小林恒人
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小林 恒人 こばやし つねと | |
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生年月日 | 1938年1月22日 |
出生地 | 北海道 |
没年月日 | 2020年2月18日(82歳没) |
死没地 | 北海道小樽市 |
出身校 | 川西農業高校 |
前職 | 国労札幌地方本部副委員長 |
所属政党 | 日本社会党 |
称号 |
従四位 旭日中綬章 |
配偶者 | 有 |
選挙区 | 旧北海道1区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1980年 - 1993年 |
小林 恒人(こばやし つねと、1938年1月22日 - 2020年2月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。従四位。
略歴
[編集]川西農業高校卒業後、国鉄釧路鉄道管理局に入局。のち国労札幌地方本部副委員長を務め、本籍地および住民票を小樽市に移した。
島本虎三の勇退に伴い、1979年10月の第35回衆議院議員総選挙で日本社会党公認で北海道1区から立候補したが落選。翌1980年6月の第36回衆議院議員総選挙で初当選を果たした。得票数は同じ北海道1区で立候補した社会党の現職、横路孝弘を上回った。1983年12月第37回衆議院議員総選挙、1986年7月第38回衆議院議員総選挙、1990年2月第39回衆議院議員総選挙でも再選された。
体調不良を理由に、1993年6月の衆議院解散と同時に引退し、地盤は小樽市議の池田隆一が継承した。1999年4月統一地方選挙では赤井川村長選挙に立候補するが次点で敗れた。2003年北海道知事選や衆院選では、鉢呂吉雄を全面的に支援した。2008年11月に旭日中綬章を受章した[1]。
2020年2月18日、肺炎のため死去。82歳没[2]。死没日をもって従四位に叙される[3]。
脚注
[編集]- ^ “中綬章受章者の顔触れ(1)”. 四国新聞社 (2008年11月3日). 2023年6月17日閲覧。
- ^ “小林恒人氏が死去 元衆院議員”. 日本経済新聞. (2020年2月28日)
- ^ 『官報』第217号9頁 令和2年3月26日号