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大高康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大高康
おおたか やすし
生年月日 1899年1月8日
出生地 日本の旗茨城県
没年月日 (1969-01-29) 1969年1月29日(70歳没)
出身校 茨城県立水戸中学校(現茨城県立水戸第一高等学校)卒業
所属政党改進党→)
日本民主党→)
自由民主党
称号 従四位
勲二等瑞宝章

選挙区 旧茨城2区
当選回数 4回
在任期間 1953年4月19日 - 1958年4月25日
1960年11月20日 - 1966年12月27日

第48代茨城県議会議長
在任期間 1950年7月30日 - 1951年5月22日

茨城県会議員

高萩町長

高萩町会議員
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大高 康(おおたか やすし、1899年明治32年)1月8日[1] - 1969年昭和44年)1月29日[2][3])は、大正・昭和期の実業家政治家衆議院議員(4期)、茨城県多賀郡高萩町長

経歴

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茨城県出身[2][3]。1917年(大正6年)茨城県立水戸中学校(現茨城県立水戸第一高等学校)を卒業した[2][3]

高萩町会議員、高萩町長[1]、同消防団長[1]、茨城県会議員、同議長などを務めた[4][2][3]。1953年(昭和28年)4月の第26回衆議院議員総選挙茨城県第2区から改進党公認で出馬して初当選[2][3][5]第27回総選挙で再選されたが、1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙は次点で落選[6]。1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙第30回総選挙で再選され[7]、衆議院議員に通算4期在任した[2][3]。この間、第2次池田第1次改造内閣郵政政務次官裁判官弾劾裁判所裁判官、日本民主党政調会郵政部長、自由民主党総務局人事部長、同副幹事長、同国会対策副委員長、同代議士会副会長などを務めた[2][3]

その他、高萩林材取締役社長、日立セメント取締役などを務めた[3]

1969年(昭和44年)1月29日死去、70歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[8]

脚注

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  1. ^ a b c 『日本人事録 第6版』全国篇、202頁。
  2. ^ a b c d e f g 『新訂 政治家人名事典』113頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』130頁。
  4. ^ 歴代正副議長名簿”. www.pref.ibaraki.jp. 2021年4月28日閲覧。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』60頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』61頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』61-62頁。
  8. ^ 『官報』第12639号18-19頁 昭和44年2月3日号

参考文献

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  • 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。