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大潮 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大潮
艦歴
発注 ②計画 [1]
起工 1936年8月5日 [2]
進水 1937年4月19日 [2]
就役 1937年10月31日 [2]
最期 1943年2月21日、米潜水艦の雷撃で沈没
除籍 1943年4月1日
性能諸元
排水量 基準:約2,000t、公試:2,400t
全長 118.00m[3]
全幅 10.386m[3]
吃水 3.71m(公試平均)[3]
機関 オール・ギアードタービン2基2軸
ロ号艦本式重油専焼缶3基
51,026hp(公試)[3]
最大速力 35.98kt(公試)[3]
航続距離 18ktで5,190浬[3]
燃料 重油591.9t[3]
乗員 230名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 Ⅱ×2
(または13mm機銃 Ⅱ×2)
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
(九〇式魚雷16本)
九一式爆雷×36

大潮(おおしお / おほしほ)は、日本海軍朝潮型駆逐艦2番艦である[4][5]。1937年(昭和12年)10月に竣工し、太平洋戦争ではバリ島沖海戦ガダルカナル島からの撤退作戦などで活躍した。1943年(昭和18年)2月、輸送船団護衛中にアドミラルティ諸島沖で米潜水艦の雷撃を受け、沈没した。

艦歴

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太平洋戦争まで

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1935年昭和10年)9月6日、舞鶴海軍工廠で建造の駆逐艦が大潮と命名され[1][6]、同日附で新設された朝潮型駆逐艦の同型となった[7]1936年(昭和11年)8月5日に起工[8][2]1937年(昭和12年)4月19日に進水した[2][9]。舞鶴要港部司令官中村亀三郎中将は『のどかなる さくらさきそう 春の海に しぶきたてゆく ふなおろし見る』という自作の和歌を記念として贈った[10]。7月7日に盧溝橋事件が発生し、上海方面に派遣する駆逐艦が必要になったため艤装工事を急ぎ、10月31日に竣工した[2][10]。大潮は速力35.98ノットを記録した[3]。同型1番艦の朝潮、同日竣工した3番艦満潮の3隻で、同日附で第25駆逐隊を編制した[11]

1938年(昭和13年)1月、佐世保海軍工廠蒸気タービン機関の改造工事を実施した(臨機調事件)。1月8日に4番艦荒潮が第25駆逐隊に編入した[12]1939年(昭和14年)11月に横須賀鎮守府へ転籍し、第25駆逐隊は第8駆逐隊に改称された[13]。15日附で 第二艦隊第二水雷戦隊に編入され、以後中国方面で活動した。1940年(昭和15年)10月11日、第8駆逐隊各艦は横浜港沖で行われた紀元二千六百年特別観艦式に参加[14]。第三列(金剛、榛名、熊野、鈴谷、最上、利根、筑摩、陽炎、《大潮、朝潮、荒潮、満潮》、霰、霞、不知火、黒潮、雪風、初風)に配置された。太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)9月1日、第8駆逐隊司令に阿部俊雄大佐が就任した[15]

太平洋戦争緒戦

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12月8日の太平洋戦争開戦時、第8駆逐隊は第二艦隊(近藤信竹中将)の南方部隊本隊に所属していた[16]マレー作戦リンガエン湾上陸作戦を支援した。

日本軍はバリ島の攻略を計画し、第8駆逐隊と輸送船2隻が1942年(昭和17年)2月19日未明にバリ島に到着、兵員と物資の揚陸を始めた。夕刻に揚陸は完了したが、昼に空襲で輸送船相模丸が損傷し、満潮と荒潮が護衛して先にマカッサルに帰投を始めた[17]。同日夜にロンボック海峡で朝潮と大潮が米蘭の連合艦隊と交戦、蘭駆逐艦ピート・ハインを撃沈した。20日未明、急報を受けて反転した満潮と荒潮がバダン海峡に突入したが、反撃され満潮が大破した。同日朝、第8駆逐隊は軽巡長良と第21駆逐隊(若葉子日初霜)に護衛されマカッサルへの退避を図ったが空襲を受け、大潮も損傷した[18]

  • 宇垣纏連合艦隊参謀長は『バンダ海峡における第八驅逐隊の海戦振りは誠に見事なり。蘭巡洋艦二、蘭米驅逐艦三撃沈其の他二に大損害を與へたり。之をバンダ海峡夜戦と銘打つて世に問ふべきなり。一驅逐隊を以て誠に立派なる夜戦なり。司令は阿部弘毅少将の弟なりと云ふ』と第8駆逐隊を賞賛した[19]山本五十六連合艦隊司令長官は12月8日、バリ島沖海戦における第8駆逐隊に感状を与えた[20]

4月10日、第8駆逐隊は第二艦隊・第四水雷戦隊に編入された[21]。大潮と満潮はマカッサルで応急修理した後、16日-17日に台湾高雄市に立ち寄り、22日に横須賀へ到着した[22]。大潮は5月10日に横須賀を出発、13日に舞鶴に到着し本格的な修理に入った[23]。15日に修理のため第8駆逐隊から外れ、特別役務艦に指定された[24][25]

修理中の10月2日~11月10日、艦橋に対空見張り用の穴を設ける工事を行った[26]。10月10日、特型運貨船(大発動艇)搭載装置を設置する工事を行うことになった[27]。12月20日、廣瀬弘中佐が艦長に就任した。27日に修理が完了し、29日に第8駆逐隊に復帰した[28][29]。同日、ソロモン諸島に進出するため舞鶴を出発した[30]

ガダルカナル島の戦い、沈没

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1943年(昭和18年)1月9日朝、大潮はラバウルを経由してショートランド泊地に到着。ガダルカナル島へのドラム缶輸送作戦(鼠輸送)に投入され、10-11日、駆逐艦8隻(大潮、荒潮、黒潮巻波江風初風時津風)でガ島への第六次輸送作戦を実施した。11日、大潮、荒潮、江風、巻波はニューギニア方面護衛部隊に編入され、ショートランド泊地を出発してラバウルへ向かった。22日、輸送船団を護衛しニュージョージア諸島ニュージョージア島ムンダへの輸送作戦を実施した[31][32]

日本はガダルカナル島からの撤退を決め、2月に撤収作戦(ケ号作戦)を実施した。大潮は全3回(1日、4日、7日)にすべて出動し、成功させた(編制はケ号作戦参照)。20日、輸送船団護衛中にアドミラルティ諸島マヌス島沖で米潜水艦アルバコアの雷撃を受けた。魚雷1本が右舷前部機械室付近に命中、航行不能となった[33]。荒潮に曳航されてトラック泊地への避退を開始(20日17時時点の位置南緯00度55分 東経147度08分 / 南緯0.917度 東経147.133度 / -0.917; 147.133[34]。だが21日朝、曳航中に船体が中央部で断裂、大潮は沈没した[35][36][37]。戦死者8名(士官1、下士官兵7)[38]。荒潮は大潮乗員を収容してラバウルに帰投した[39]

4月1日、帝国駆逐艦籍から除籍された[40]。同日附で第8駆逐隊も解隊した[41]。艦名は海上自衛隊の潜水艦「おおしお」に引き継がれた。

歴代艦長

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艤装員長
  1. 山代勝守 少佐:1937年7月1日[42] - 1937年10月5日[43]
駆逐艦長
  1. 山代勝守 少佐:1937年10月5日[43] - 1938年1月20日[44]
  2. 勝見基 少佐:1938年1月20日[44] - 1938年8月2日[45]
  3. (兼)脇田喜一郎 少佐/中佐:1938年8月2日[45] - 1938年12月15日[46]
  4. 飛田健二郎 少佐:1938年12月15日[47] - 1939年10月15日[48]
  5. 渡邉保正 少佐/中佐:1939年10月15日[48] - 1940年9月16日[49]
  6. (兼)塚本守太郎 少佐/中佐:1940年9月16日[49] - 1940年11月15日[50]
  7. 吉川潔 中佐:1940年11月15日[50] - 1942年5月25日[51]
  8. (兼)友重丙 中佐:1942年5月25日[51] - 1942年9月10日[52]
  9. 杉岡幸七 中佐:1942年9月10日[52] - 1942年11月15日[53]
  10. 山名寛雄 少佐:1942年11月15日[53] - 1942年12月20日[54]
  11. 廣瀬弘 中佐:1942年12月20日[54] - 1943年3月15日[55]

参考文献

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  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻4(1939年印刷) info:ndljp/pid/1886711』海軍大臣官房、1939年。 
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。 
    • 海軍研究社編輯部 編『日本軍艦集 2600年版』海軍研究社、1940年7月。 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C13072003500『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿巻2.3(防衛省防衛研究所) 巻3追録/第13類 艦船(1)』。 
    • Ref.C13071997700『昭和16年6月30日現在10版内令提要追録第9号(上)原稿:巻1追録/第6類機密保護』。 
    • Ref.C12070099000『昭和10年 達 完/達昭和10年9月』。 
    • Ref.C12070162800『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年5月(2)』。 
    • Ref.C12070166000『昭和17年10月~12月内令4巻止/昭和17年10月(4)』。 
    • Ref.C12070167100『昭和17年10月~12月 内令4巻止/昭和17年12月(5)』。 
    • Ref.C05110626700『第4215号 11.9.8大潮』。 
    • Ref.C05110729100『第4770号 12.9.16艦名(大潮)に関する件』。 
    • Ref.C14120969300『支那事変 第8回功績概見表綴 駆逐隊 潜水隊 水雷隊 掃海隊 海軍武功調査/8駆隊機密第19号の1 第8駆逐隊支那事変第8回功績概見表』。 
    • Ref.C14120979000『支那事変 第9回功績概見表綴 海軍武功調査/支那事変第9回駆逐隊功績概見表/8駆機密第19号の4 第8駆逐隊支那事変第9回功績概見表』。 
    • Ref.C14120987800『支那事変 第10回功績概見表綴/支那事変駆逐隊第10回功績概見表/8駆機密第19号の1 第8駆逐隊支那事変第10回功績概見表』。 
    • Ref.C08030112300『昭和17年4月1日~昭和17年6月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(1)』。 
    • Ref.C08030112400『昭和17年4月1日~昭和17年6月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(2)』。 
    • Ref.C08030354200『昭和17年5月1日~昭和17年5月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。 
    • Ref.C08030354300『昭和17年6月1日~昭和17年6月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。 
    • Ref.C08030354400『昭和17年7月1日~昭和17年7月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌(1)』。 
    • Ref.C08030354500『昭和17年7月1日~昭和17年7月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌(2)』。 
    • Ref.C08030354600『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。 
    • Ref.C08030354700『昭和17年9月1日~昭和17年9月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。 
    • Ref.C08030354800『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。 
    • Ref.C08030354900『昭和17年11月1日~昭和17年11月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。 
    • Ref.C08030355200『昭和17年12月1日~昭和17年12月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌(1)』。 
    • Ref.C08030355300『昭和17年12月1日~昭和17年12月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌(2)』。 
    • Ref.C08030022800『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(4)』。 
    • Ref.C08030022900『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(5)』。 
    • Ref.C08030116000『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(1)』。 
    • Ref.C08030116100『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(2)』。 
    • Ref.C08030116200『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(3)』。 
    • Ref.C08030116300『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(4)』。 
    • Ref.C08030116400『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(5)』。 
    • Ref.C08030100200『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030100300『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030100400『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。 
    • Ref.C08030100500『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。 
    • Ref.C08030146300『昭和18年2月1日~昭和19年10月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。 
  • 石渡幸二「不滅の駆逐艦長吉川潔」『太平洋戦争の提督たち』中央公論社、1997年12月。ISBN 4-12-203014-5 
  • 宇垣纏成瀬恭発行人『戦藻録 明治百年史叢書』原書房、1968年1月。 
  • 岡本孝太郎『舞廠造機部の昭和史』文芸社、2014年5月。ISBN 978-4-286-14246-3 
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9 
    • 命令誤認 <砲艦「橋立」艦長・山代勝守大佐の証言>(太平洋戦争時、橋立艦長、第8駆逐隊司令、第11駆逐隊司令等)
  • 高松宮宣仁親王嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第六巻 昭和十八年二月十二日~九月』中央公論社、1997年3月。ISBN 4-12-403396-6 
  • 寺内正道ほか『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』潮書房光人社、2015年9月。ISBN 978-47698-1601-0 
    • 戦史研究家海老原康之『夜戦の白眉 "第八駆逐隊" 朝潮型四隻の奮戦 朝潮、大潮、満潮、荒潮。第二水雷戦隊所属の精鋭たちのバリ島沖海戦
  • 庭田尚三「4.駆逐艦の巻」『元海軍技術中将 庭田尚三述 建艦秘話』船舶技術協会、1965年9月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』朝雲新聞社、1969年5月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書83 南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』朝雲新聞社、1975年8月。 
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
  • 吉田俊雄「17章勇気 吉川潔中佐の「砲撃はじめ。ドンドン撃て」」『海軍人間語録 現代に生きる海軍式言行録』光人社、1985年6月。ISBN 4-7698-0271-4 

脚注

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  1. ^ a b #達昭和10年9月p.21『達第百七號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十年九月六日 海軍大臣 大角岑生|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 朝潮アサシホ|舞鶴要港工作部ニ於テ建造 驅逐艦 大潮オホシホ
  2. ^ a b c d e f #艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『大潮(艦要目略)舞鶴工廠|11-8-5|12-4-19|12-10-31|(兵装略)』
  3. ^ a b c d e f g h #庭田、建艦秘話60頁『朝潮型駆逐艦一般計画要領書抜萃』
  4. ^ #艦艇類別等級表昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|朝潮、大潮、満潮、荒潮、朝雲、山雲、夏雲、峯雲、霞、霰』
  5. ^ #第4215号大潮p.2『艦名 大潮(オホシホ)』
  6. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.209『◎驅逐艦朝潮及大潮命名ノ件 昭和十年九月六日(達一〇七)』
  7. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.69『昭和十年九月六日(内令三四〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦、一等ノ部中白露型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ|朝潮型|朝潮、大潮』
  8. ^ #第4215号大潮p.2『龍骨据付ノ日 昭和十一年八月五日』
  9. ^ 昭和12年4月21日(水)海軍公報 第3032号 p.13」 アジア歴史資料センター Ref.C12070363200 『○進水 驅逐艦大潮四月十九日舞鶴海軍工廠ニ於テ進水セリ』
  10. ^ a b #庭田、建艦秘話59-61頁
  11. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.72『昭和一一.一二.一(内令四七一)|佐世保鎮守府|第二十五驅逐隊|梨、竹、榧|朝潮、大潮、満潮(一二.一〇.三一 七六三)|梨、竹、榧(一二.一〇.三一 七六三)』
  12. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)pp.72-73『昭和一二.一二.一|佐世保鎮守府|第二十五驅逐隊|朝潮、大潮、満潮|荒潮(一三.一.八 一三)』
  13. ^ 昭和14年11月1日(水)海軍公報(部内限)第3349号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C12070381800 『官房第五五八七號 本月十一月一日驅逐隊編制中改正竝ニ海軍定員令中改正施行ノ際現ニ左記上欄ノ隊ノ職員タル者ハ別ニ辭令ヲ用ヒズシテ各下欄ノ相當職員ニ補セラレタル義ト心得ベシ 昭和十四年十一月一日 海軍大臣』-『(従前ノ隊名)第八驅逐隊|(新隊名)第二十驅逐隊』-『第二十五驅逐隊|第八驅逐隊』-『呉防備隊|佐伯防備隊』
  14. ^ 『紀元二千六百年祝典記録・第六冊』、369頁
  15. ^ 昭和16年9月1日(発令9月1日付)海軍辞令公報(部内限)第701号 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075700 
  16. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦付表第一『南方部隊作戦関係主要職員表 昭和十六年十二月八日』
  17. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦325-328頁
  18. ^ 昭和17年3月25日(水)海軍公報(部内限)第4051号 p.20」 アジア歴史資料センター Ref.C12070410900 『○司令驅逐艦變更 第八驅逐隊司令ハ二月二十日司令驅逐艦ヲ大潮ヨリ朝潮ニ變更セリ』
  19. ^ #戦藻録(1968)86頁『二月廿一日土曜日晴上天気』
  20. ^ 昭和18年1月27日(水)海軍公報(部内限定)第4301号 pp.14-15」 アジア歴史資料センター Ref.C12070429400 『○感状 第八驅逐隊 昭和十七年二月十九日「バリ」島急襲攻略作戰ニ際シ同日夜半「ロンボク」海峡ニ於テ我ガ上陸ヲ阻止セントシテ來襲セル敵巡洋艦二隻及驅逐艦五隻以上ト遭遇スルヤ寡勢克ク勇戰忽チ敵驅逐艦四隻ヲ撃沈シ同巡洋艦二隻及驅逐艦一隻ヲ撃破遁走セシメタルノミナラズ爾后此ノ戰闘ニ於テ損傷ヲ受ケタル僚艦ヲ曳航翌晝間ニ於ケル敵機ノ猛爆ヲ冒シテ之ヲ味方泊地ニ移シ遂ニ救出ノ目的ヲ達シタルハ其ノ武勲顕著ナリト認ム 仍テ竝ニ感状ヲ授與ス 昭和十七年十二月八日 聯合艦隊司令長官 山本五十六』
  21. ^ #S1704四水戦日誌(1)p.9『本日附艦隊編制替ニ依リ二十四駆ハ一水戦ニ八駆ハ當隊ニ編入セラレタリ 昭南港ニ於テ朝日及101工作部ト協議シ那珂應急修理ニ関スル要務處理ヲ終リ十二日1000将旗ヲ夏雲ニ移揚ノ上九駆一小隊ヲ率ヰ高雄ヲ経テ横須賀ニ向ヒタリ 途上十八日敵機動部隊ノ来襲ヲ聞キ我亦之ニ應ズル如ク増速セルモ荒天ノ為意ノ如クナラズ二十一日横須賀ニ歸着尓後整備作業ニ従事セリ』
  22. ^ #S1704四水戦日誌(1)p.65『一七(天候略)一二〇〇9dg1D高雄発横須賀ニ向フ/大潮満潮高雄着|一八(天候略)一〇〇〇大潮満潮横須賀ニ向ケ高雄発』p.66『二二(天候略)一五〇〇4dg横須賀着/一三三〇大潮満潮横須賀着』
  23. ^ #S1704四水戦日誌(2)p.51『一〇(天候略)一五〇〇大潮(満潮)舞鶴(呉)ニ向ケ横須賀発』『一三(天候略)朝潮荒潮マニラ着/一一〇〇大潮舞鶴着|夏雲工事完成』
  24. ^ #内令昭和17年5月(2)p.26-27内令第850号、第851号
  25. ^ #S1704四水戦日誌(2)pp.9-10『(二)経過概要(略)九日附ニテ由良ハ5SSヨリ除カレ當隊に編入サル同日前進部隊電令第七號ニ依リ大潮ハ舞鶴満潮呉山雲ハ横須賀ニテ修理セシメラルコトトナリ何レモ十五日附ニテ特別役務艦ニ編入セラレタリ/南方部隊ニ編入サレアリタル朝潮荒潮ハ十五日附ニテ同部隊ヨリ除カレ十八日呉着次期作戰準備ニ従事セリ』
  26. ^ #S1710舞鎮日誌p.43『二(天候略)二.大潮羅針艦橋對空見張用人孔装備工事着手(横廠受託)』p.53『一〇(天候略)二.大潮羅針艦橋對空見張用人孔装備工事竣工』
  27. ^ #S1710舞鎮日誌p.24『十日大臣(宛略)大潮特型運貨船搭載装置新設ノ件訓令』-p.57『二一(天候略)工廠工事一〇一〇官房機密第一二七九二號訓令ニ依リ大潮ニ特型運貨船搭載装置新設工事指令』
  28. ^ #S1712舞鎮日誌(1)p.6『(a)損傷復舊工事 大潮 豫定通二十七日完成(略)』
  29. ^ #内令昭和17年12月(5)p.21『内令第二千四百二十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十二月二十九日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第八驅逐隊ノ項中「満潮」ノ下ニ「、大潮」ヲ加フ』
  30. ^ #S1712舞鎮日誌(2)p.24『二九日(天候略)初月竣工引渡/大波竣工呉鎮部隊ニ編入/大潮修理工事完成「ラバウル」ニ向ケ發』
  31. ^ #S1801二水戦日誌(1)pp.15-16『九(天候略)一.〇九〇〇8dg(大潮)一一〇〇16dg(初風時津風)「ショートランド」着 何レモ増援部隊編入/二.〇七三〇15dg(親潮陽炎)鶴見山陽○ヲ護衛シ「ショートランド」發/三.一五〇〇第六次ガ」島輸送作戰打合/〇六一〇10S司令部「ラバウル」進出(旗艦秋月)』p.18『一一(天候略)一.〇六三〇秋月(司令官10S)「ショートランド」着/二.〇九一五黒潮8dg(大潮荒潮)巻波「ショートランド」着/三.一五三〇10S司令官ニ増援部隊指揮官ノ引継ヲ了ス/四.一五三五将旗ヲ長波ニ移揚/五.江風(司令24dg)巻波8dg(大潮荒潮)東部「ニューギニア」方面護衛隊ニ編入/六.一八三〇嵐江風初風時津風「ショートランド」皈着/七.一七〇〇8dg(大潮荒潮)巻波「ラバウル」ニ向ケ「ショートランド」發』
  32. ^ #戦史叢書83ガ島戦p.512-513,516-517
  33. ^ #高松宮日記6巻37頁『○第八駆逐隊《二〇-〇六〇三》〇六〇三「大潮」雷撃ヲ六本ヲウケ内一本前部機械室右舷ニ命中、前後部機械室、三缶浸水、航行不能。「荒潮」制圧、アドミラルティ島北60度浸水量合計700t、戦死8、重傷1』
  34. ^ #S1712四水戦日誌(4)p.41『二十日二三五五(長官)2F(宛略)AdB電令作第一四八號 (司令官)4sdハ明二十一日早朝麾下駆逐艦一隻ヲ派遣シ成ルベク速ニ「トラツク」回航中8dg(朝潮大潮)被曳航中ニ合同シ之ガ警戒ニ任ゼラレ度二十日一七〇〇ノ位置〇度五五分南一四七度八分東針路三〇度速力八節』
  35. ^ #高松宮日記6巻37-38頁
  36. ^ #S1709八艦隊日誌(5)p.32『二月二十日 大潮「アドミラリテイ」諸島北方海面ニ於テ雷撃ヲ受ケ航行不能朝潮之ヲ「トラック」ニ曳航中二十一日船体切断沈没ス』
  37. ^ #S1712四水戦日誌(4)p.21『二一(天候略)一.(司令)村雨AdB電令作第一四八號ニ依ル8dg(荒潮大潮)警戒ノ爲出港セシモAdB電令作第一五〇號ニ依リ取止メラレトラツクニ皈投ス(大潮沈没)/二.春雨〇二〇〇波浪ノ爲全部屈折垂下〇九一〇前部ヲ切断ス』
  38. ^ #海軍駆逐隊(2015)154-155頁
  39. ^ #S1712四水戦日誌(4)p.45『二十一日〇六五〇(司令)8dg(宛略)大潮乗員全部救助シ機密書類整理ス司令旗ヲ荒潮ニ移シ「ラボール」ニ向フ護衛艦ヲ復皈サレ度』
  40. ^ 内令昭和18年4月(1)pp.28-29『内令第五百八十二號|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 村雨、驅逐艦 朝潮、驅逐艦 大潮、驅逐艦 荒潮、驅逐艦 峯雲|呉鎮守府在籍 驅逐艦 白雪、驅逐艦 時津風|右帝國駆逐艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 伊號第一潜水艦、伊號第十八潜水艦 右帝國潜水艦籍ヨリ除カル|昭和十八年四月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  41. ^ 内令昭和18年4月(1)p.26『内令第五百七十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年四月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第二驅逐隊ノ項中「村雨、」ヲ削ル|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、峯雲」ヲ「朝雲、薄雲、白雲」ニ改ム|第十一驅逐隊ノ項中「白雪、」ヲ削ル|第十六驅逐隊ノ項中「、時津風」ヲ削ル|第八驅逐隊、第二十九驅逐隊及第三十四驅逐隊ノ各項ヲ削ル』
  42. ^ 昭和12年7月2日付 官報第3148号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959631 で閲覧可能。
  43. ^ a b 昭和12年10月5日(発令10月5日付)海軍辞令公報(部内限)第68号 p.7」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072400 
  44. ^ a b 昭和13年1月20日(発令1月20日付)海軍辞令公報(部内限)第125号 p.23」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073300 
  45. ^ a b 昭和13年8月3日(発令8月2日付)海軍辞令公報(部内限)第220号 p.16」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200 
  46. ^ 昭和13年12月15日(発令12月15日付)海軍辞令公報(部内限)第273号 p.26」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800 
  47. ^ 昭和13年12月15日(発令12月15日付)海軍辞令公報(部内限)第273号 p.31」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800 
  48. ^ a b 昭和14年10月16日(発令10月15日付)海軍辞令公報(部内限)第391号 pp.21-22」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076400 
  49. ^ a b 昭和15年9月16日(発令9月16日付)海軍辞令公報(部内限)第530号 p.40」 アジア歴史資料センター Ref.C13072078800 
  50. ^ a b 昭和15年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第555号 pp.13-14」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079500 
  51. ^ a b 昭和17年5月26日(発令5月25日付)海軍辞令公報(部内限)第867号 p.42」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085500 
  52. ^ a b 昭和17年9月10日(発令9月10日付)海軍辞令公報(部内限)第939号 pp.32-33」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086800 
  53. ^ a b 昭和17年11月16日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第988号 p.12-13」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088200 
  54. ^ a b 昭和17年12月21日(発令12月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1017号 pp.32-33」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088600 
  55. ^ 昭和18年3月17日(発令3月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1072号 p.48」 アジア歴史資料センター Ref.C13072090000 

関連項目

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