九州屋
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | 九州屋 |
本社所在地 |
日本 〒192-0361 東京都八王子市越野24-1 |
設立 | 1974年(昭和49年)11月(個人にて創業) |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 4010101000976 |
事業内容 | 食品小売業 |
代表者 | 代表取締役社長兼COO 小林拓 |
資本金 | 2億7725万円 |
純利益 | 4億2448万8000円(2020年03月31日時点)[1] |
純資産 | 42億4828万6000円(2020年03月31日時点)[1] |
総資産 | 63億1241万4000円(2020年03月31日時点)[1] |
従業員数 | 1,154名(うち正社員308名) |
決算期 | 3月31日 |
主要子会社 | 株式会社明野九州屋ファーム |
外部リンク | https://www.kyusyuya.co.jp/ |
株式会社九州屋(きゅうしゅうや)は、東京都八王子市に本社を置く、青果を中心とした食品小売業をチェーン展開する企業である。
社名および店名の由来は、創業者の島田修が宮崎県出身であることから[2]。
歴史・概要
[編集]1974年(昭和49年)11月に島田修が八王子市の団地をトラックで回る形で青果の行商を行ったのが始まりである[3]。 約1ヶ月ほどで黒字転換し、1975年(昭和50年)4月に八王子市めじろ台に店舗面積約1坪の青果店を開業した[3]。 1976年(昭和51年)5月に有限会社九州屋を設立して法人化した[3]。
1984年(昭和59年)に聖蹟桜ヶ丘駅前の「ザ・スクエア」の八百屋の後継店舗を出店した際には、退店した八百屋の月商が50万円ほどであったため[3]、保証金と設備費で約1億3000万円とされていたものを約100万円に減額してもらったうえで出店した[4]。 この店舗は約30坪の売場面積で、商品を入れるショーケースを斜めにして後方から補充できるようにするなど、鮮度の高い青果を毎日売り切る営業力を一段と高める工夫を凝らした[5]。 その様な戦略も功を奏し、当社は出店から約半年後には月商約8000万円まで売上を伸ばして繁盛店となり、その評判を聞きつけた百貨店などが視察に来るようになった[4]。
1987年(昭和62年)10月15日に山梨県甲府市の岡島百貨店[6]地下1階に出店し[7]、一段と注目されるようになった[8]。
1988年(昭和63年)1月に[4]小田急百貨店町田店地下1階に出店し[9]、ここでも月商約600万円から月商約1億円まで伸ばして繁盛店とすることに成功した[4]。
当社は「立て直し屋」を使命として、大量に売ることで出店依頼を受ける様にする経営方針を採り、当初は関東地方での出店を進めていった[4]。
その後、1992年(平成4年)4月に静岡県浜松市の松菱百貨店への出店を皮切りに全国展開に乗り出し、1993年(平成5年)9月に兵庫県尼崎市の「エース新鮮館」へ出店して関西に進出した[4]。
また、1994年(平成6年)12月1日に「ガレリア·ユギ」の核店舗だった「柚木そごう」の撤退に伴い、同店の1階に出店していたことから、同店跡の1階全フロアを借りて子会社の「パワーセンタージャパン」が「エキサイティングプラザ祭」を開店し、パワーセンター事業に進出した[10]。
1995年(平成7年)6月に宮崎県宮崎市のボンベルタ橘百貨店へ出店して九州に、1997年(平成9年)3月に広島県広島市の天満屋へ出店して中国地方に進出した[4]。 同年には関連会社の「株式会社サム」の運営する海鮮レストラン「OH!サム」を八王子市に出店した[11]。
1997年(平成9年)12月8日から有機農産物についてのプロジェクトチームを作って全国各地の有機栽培農家とも連携し、、1998年(平成10年)9月に小田急ハルクの店舗を有機農産物専門店に業態転換したほか、各店舗に有機農産物コーナーを開設するなどの取り組みを行っている[12]。
2000年(平成12年)3月1日に「函館西武」の地下食品売り場の改装に合わせて出店した[13]。
全国の百貨店・専門店ビルなどに青果店などを展開して集中出店していないため、仕入れなどの面でスケールメリットが働き難いことから、一部では他地方で仕入れた商品を配送して販売することも行っている[14]。
また、初の食品スーパーを八王子市に出店する際には、商圏住民の高齢化が進んだ成熟した町となっていて、バス路線が無くて公共交通が不便であることが調査で判明したため、シャトルバスを運行にも取り組むことになった[15]。
沿革
[編集]- 1974年(昭和49年)11月 - 島田修が八王子市でトラックによる青果行商を開始[3]。
- 1975年(昭和50年)4月 - 八王子市めじろ台に店舗面積約1坪の青果店を開業[3]。
- 1976年(昭和51年)5月 - 有限会社九州屋を設立して法人化[3]。
- 1984年(昭和59年)11月 - 聖蹟桜ヶ丘駅前の再開発ビル「ザ・スクエア」内に出店。SC出店開始。
- 1985年(昭和60年)5月 - 株式会社九州屋へ改組。
- 1987年(昭和62年)10月15日 - 甲府駅前の岡島百貨店内に出店[6]。百貨店出店開始。
- 1988年(昭和63年)1月 - 小田急百貨店町田店内に出店[4]。
- 1992年(平成4年)4月 - 静岡県浜松市の松菱百貨店に出店して全国展開を開始[4]。
- 1993年(平成5年)9月 - 兵庫県尼崎市の「エース新鮮館」に出店して関西に進出[4]。
- 1994年(平成6年)5月 - 八王子市越野に現本社ビルが完成。
- 1995年(平成7年)6月 - 宮崎県宮崎市のボンベルタ橘百貨店に出店して九州に進出[4]。
- 1997年(平成9年)3月 - 広島県広島市の天満屋に出店して中国地方に進出[4]。
- 2015年(平成27年)9月 ‐ 産業ガス大手エア・ウォーターが株式の55%を取得。
かつて存在した店舗
[編集]東京都
[編集]- 「柚木そごう」の1階に出店していた[10]。
- 「ガレリア·ユギ」の核店舗だった「柚木そごう」跡の1階全フロアを借りて子会社の「パワーセンタージャパン」が開設したパワーセンターで、当社が青果と鮮魚売り場を担当し、精肉のニュークイックやスーパーの「ベスト」などが出店する形で開業した[10]。
- 地下1階の「フレッシュマーケット」の一角に出店していた[20]。
神奈川県
[編集]- 相模大野小田急(B館)2階の「生鮮市場」の一角に出店していた[22]。
埼玉県
[編集]茨城県
[編集]山梨県
[編集]- 岡島百貨店地下1階[7](山梨県甲府市丸ノ内1-21-15[6]、1987年(昭和62年)10月15日開店[6])
- 岡島パワーセンター田富店[5](山梨県南巨摩郡田富町西花輪字古宮4424-8[28]、1993年(平成5年)9月15日開店[28])
長野県
[編集]静岡県
[編集]京都府
[編集]- 売場面積206m2[35]
大阪府
[編集]兵庫県
[編集]- エースの本店を改装して新装開店した際に出店していた[10]。
広島県
[編集]福岡県
[編集]大分県
[編集]- コスモピア専門店街地下1階の「食彩通り」の一角に出店していた[42]。
宮崎県
[編集]北海道
[編集]- 「函館西武」の地下食品売り場の改装に合わせて出店した[13]。
青森県
[編集]
脚注
[編集]- ^ a b c 株式会社九州屋 第30期決算公告
- ^ 【前編】全国に80店舗展開する青果専門店 九州屋様 社長インタビュー 株式会社ネクスウェイ、2015年8月19日
- ^ a b c d e f g 島田修 “青果小売業のイノベーション 九州屋の成長戦略”. RIRI流通産業 1998年2月号 (流通産業研究所) (1998年2月).pp4
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 島田修 “青果小売業のイノベーション 九州屋の成長戦略”. RIRI流通産業 1998年2月号 (流通産業研究所) (1998年2月).pp5
- ^ a b “Ⅳ.岡島パワーセンターの事例調査”.IDR研究資料 No.125 (流通問題研究協会) (1995年1月6日).pp47
- ^ a b c d 前田吉治 “「ラブコール熱高まるばかり」の生鮮量販専門店の現状認識と未来戦略”. 食品商業 1996年2月号 (アール・アイ・シー) (1996年2月).pp131-135
- ^ a b c d e “生鮮カテゴリーキラー導入で生き残りを図る「岡島」”. ショッピングセンター 1995年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年2月1日).pp41
- ^ 五十嵐宅雄 “宵越しの商品はもたない青果販売のプロ集団”. 販売革新 1996年8月号 (アール・アイ・シー) (1996年8月).pp82-83
- ^ a b 島田修 “青果小売業のイノベーション 九州屋の成長戦略”. RIRI流通産業 1998年2月号 (流通産業研究所) (1998年2月).pp8
- ^ a b c d e f g h i “生鮮カテゴリーキラー導入で生き残りを図る「岡島」”. ショッピングセンター 1995年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年2月1日).pp43
- ^ a b c 島田修 “青果小売業のイノベーション 九州屋の成長戦略”. RIRI流通産業 1998年2月号 (流通産業研究所) (1998年2月).pp9
- ^ 島田修 “青果小売業のイノベーション 九州屋の成長戦略”. RIRI流通産業 1998年2月号 (流通産業研究所) (1998年2月).pp11
- ^ a b c “百貨店戦争2000年春の陣 ボーニ、丸井、西武の三大百貨店リニューアルオープンで商戦の火ブタを切る!”. はこだて財界 2000年4月号 (函館財界問題研究所) (2000年4月).pp17-18
- ^ 島田修 “青果小売業のイノベーション 九州屋の成長戦略”. RIRI流通産業 1998年2月号 (流通産業研究所) (1998年2月).pp7
- ^ 島田修 “青果小売業のイノベーション 九州屋の成長戦略”. RIRI流通産業 1998年2月号 (流通産業研究所) (1998年2月).pp14
- ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1994年版』 東洋経済新報社、1994年。pp502-503
- ^ “寿がきや、7日第538号店の忠実屋南大沢店内店をオープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年6月3日). pp5
- ^ a b “日本のSC パルロード赤羽(アピレ、イトーヨーカドー赤羽店、ビビオ)”. ショッピングセンター 1996年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (1996年2月1日).pp15
- ^ a b “日本のSC 八王子東急スクエア(東京都八王子市)”. ショッピングセンター 1997年5月号 (日本ショッピングセンター協会) (1997年5月1日).pp21
- ^ “日本のSC 八王子東急スクエア(東京都八王子市)”. ショッピングセンター 1997年5月号 (日本ショッピングセンター協会) (1997年5月1日).pp22
- ^ a b “日本のSC 小田急相模大野ステーションスクエア(神奈川県相模原市)”. ショッピングセンター 1997年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (1997年2月1日).pp15
- ^ “日本のSC 小田急相模大野ステーションスクエア(神奈川県相模原市)”. ショッピングセンター 1997年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (1997年2月1日).pp17
- ^ a b “日本のSC モアーズシティ (神奈川県横須賀市)”. ショッピングセンター 1998年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1998年1月1日).pp70
- ^ “日本のSC モアーズシティ (神奈川県横須賀市)”. ショッピングセンター 1998年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1998年1月1日).pp69
- ^ a b “生鮮カテゴリーキラー導入で生き残りを図る「岡島」”. ショッピングセンター 1995年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年2月1日).pp42
- ^ “日本のSC つくばショッピングセンター「アッセ」”. ショッピングセンター 1996年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1996年1月1日).pp78
- ^ a b “日本のSC つくばショッピングセンター「アッセ」”. ショッピングセンター 1996年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1996年1月1日).pp77
- ^ a b “Ⅳ.岡島パワーセンターの事例調査”.IDR研究資料 No.125 (流通問題研究協会) (1995年1月6日).pp42
- ^ “Ⅳ.岡島パワーセンターの事例調査”.IDR研究資料 No.125 (流通問題研究協会) (1995年1月6日).pp36
- ^ “Ⅳ.岡島パワーセンターの事例調査”.IDR研究資料 No.125 (流通問題研究協会) (1995年1月6日).pp43
- ^ a b “Ⅳ.岡島パワーセンターの事例調査”.IDR研究資料 No.125 (流通問題研究協会) (1995年1月6日).pp37
- ^ a b “Ⅳ.岡島パワーセンターの事例調査”.IDR研究資料 No.125 (流通問題研究協会) (1995年1月6日).pp38
- ^ a b 『日本アルマナック 現代日本を知る総合データバンク 1984年版』 教育社、1984年1月30日。pp1594
- ^ “日本のSC MOMO(京都市伏見区) ”. ショッピングセンター 1997年4月号 (日本ショッピングセンター協会) (1997年4月1日).pp15
- ^ a b 月泉博 “話題のSCウォッチング「MOMO」”. 商業界 1997年5月号 (アール・アイ・シー) (1997年5月).pp17-20
- ^ “日本のSC MOMO(京都市伏見区) ”. ショッピングセンター 1997年4月号 (日本ショッピングセンター協会) (1997年4月1日).pp13
- ^ a b “日本のSC プラットプラット(大阪府堺市) ”. ショッピングセンター 2000年10月号 (日本ショッピングセンター協会) (2000年10月1日).pp39
- ^ a b c d 月泉博 “生鮮カテゴリーキラーが質販店を目指して大変身!”. 販売革新 1997年6月号 (アール・アイ・シー) (1997年6月).pp188-191
- ^ a b 渡辺米英 “450坪型新鮮館の完成プロトタイプ店舗”. 販売革新 1997年11月号 (アール・アイ・シー) (1997年11月).pp185-188
- ^ 三田村蕗子 “ビッグウェイ大宰府(2477坪・130億円) 明治屋産業が北辰、九州屋を誘致、ニコニコ堂がしかけたCSCの新機軸”. 食品商業 1979年6月号 (商業界) (1979年6月).pp114-119
- ^ 清水祐輔 “"食彩通り"オープン”. おおいたの経済と経営 1996年5月号 (大銀経済経営研究所) (1996年4月25日).pp34
- ^ 清水祐輔 “"食彩通り"オープン”. おおいたの経済と経営 1996年5月号 (大銀経済経営研究所) (1996年4月25日).pp36
- ^ a b “県内経済日誌(9月中)”. はこだて財界 1994年10月号 (函館財界問題研究所) (1994年10月).pp32