久我志通
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化7年(1810年) |
死没 | 文政元年(1818年) |
官位 | 正四位下、侍従 |
主君 | 光格天皇→仁孝天皇 |
氏族 | 久我家 |
父母 | 父:久我通明、母:就姫(細川治年の娘) |
兄弟 | 養兄弟:建通[1] |
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久我 志通(こが ふみみち)は、江戸時代後期の廷臣。官位は正四位下・侍従。
文化7年(1810年)、内大臣・久我通明の子として誕生。文政元年(1818年)、9歳で夭折した。志通の死後、久我家の名跡は一条家からの養子建通が継いだ。
久我家33代当主 | |
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