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三菱・みずしま

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三菱・みずしま TM3型
三菱オートギャラリー所蔵の1949年型みずしまTM3C
概要
販売期間 1946年1962年
ボディ
乗車定員 2名
ボディタイプ 小型3輪トラック
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 3A型空冷4ストロークOHV単気筒744cc - 13.5PS/3000rpm(TM3A) /6A型空冷式4ストローク単気筒744cc - 15ps(TM6D)
変速機 前進3段(TM3A)
フロント:ボトムリンク(TM3A)/オレオフォーク(TM6D)
リア:リーフリジット
フロント:ボトムリンク(TM3A)/オレオフォーク(TM6D)
リア:リーフリジット
車両寸法
ホイールベース 1,880mm(TM3A)/2,120mm(TM6D)
全長 2,797mm(TM3A)/3,360mm(TM6D)
全幅 1,750mm(TM3A)/1,452mm(TM6D)
全高 1,197mm(TM3A)/1,840mm(TM6D)
車両重量 585kg(TM3A)
その他
最大積載量 400kg(TM3A)/750kg(TM6D)
系譜
後継 三菱・360ピックアップ/三菱・ミニキャブ
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三菱・みずしま(みつびしみずしま)は新三菱重工業水島製作所が太平洋戦争終戦後初めて製造したオート三輪ピックアップトラックのシリーズ名であり、戦後間もない1946年から製造された[1][2]

この項目では「みずしま号」とその後身で1962年まで製造された「三菱号」のほか、1959年から派生型の軽オート三輪として製造された三菱・レオについても併せて記述する。

概要

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機械的にはそれまでの軍用トラックの製造技術を生かし、先行オート三輪メーカーの製品も参考にした、頑丈ながらも極めて簡素な構造のトラックであるが、第二次世界大戦敗戦後の旧財閥系企業が平和産業への転換を図って生み出された工業製品の代表例であり、官公庁や大企業向けの製品に重点を置いてきた三菱重工系企業が、民間向けの小型車両を自社開発・製造した先駆例として、三菱の自動車開発におけるマイルストーンとなった車両でもある。

運転台には運転手を保護するための折りたたみ式のキャンバストップとフロントガラスを当初から備えており、エンジンは744cc単気筒で最大積載量は400kgを公称[注釈 1]、実用的には先行する老舗オート三輪メーカーの製品と比較しても十分な性能を備えていた[3]。みずしま3輪トラックは、新三菱が同時期に開発した三菱・シルバーピジョンスクーターと共に、日本の戦後の自家用車・自家用トラック普及の一翼を担った[4]

三菱・三菱号 TM7B型
概要
販売期間 1957年1962年
ボディ
乗車定員 2名
ボディタイプ 大型3輪トラック
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 強制空冷直列2気筒4ストロークOHV1276cc - 36ps
フロント:オレオフォーク
リア:リーフリジット
フロント:オレオフォーク
リア:リーフリジット
車両寸法
全長 5,100mm
全幅 1,680mm
全高 1,860mm
車両重量 1,310kg
その他
最大積載量 2,000kg
最高速度 76km/h
系譜
先代 三菱・みずしま各モデル
後継 三菱・ジュピター
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三菱・みずしまの後のモデルは、より大きな最大積載量とより広く快適な運転台の実現を目指して様々な改良が行われた[3]

歴史

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「みずしま」は先行各社のオート三輪に比較するとモデルバリエーションが少ないという弱点はあったものの、基礎的な商品力の高さと水島工場の生産キャパシティの大きさから販路を拡大し、1940年代末期以降の一時は、オート三輪業界の3大メーカーの一つであった日本内燃機「くろがね」をも凌駕するシェアを獲得した。商品力もさることながら、早期の販売網整備と、1949年9月からオート三輪業界で初めて月賦販売を開始した[5]ことも大きく影響していた。

材質が良質であったことも特筆事項で、特に1940年代後半の初期モデルは、エンジンのクランクケースなど主要パーツには高品質のアルミニウム合金が、また荷箱には航空機の機体に使用されるジュラルミンが用いられるなど(オート三輪の荷箱としては空前絶後の代物であった)、本来軍用航空機用にストックされながら終戦で使途を失った良質な金属資材が場違いなまでにふんだんに転用されていた。

1948年、ハードトップ型キャビンを備えたTM3D型が登場、1950年まで製造された。1950年から生産開始されたTM3J型では、フロントフォークがそれまでのボトムリンクに板バネを組み合わせた古典的レイアウトに替えて、航空機の主脚に使われる油圧式ショックアブソーバーの技術を導入したテレスコピック式サスペンション(一般には、イタリア語と英語を混用して「オレオフォーク」と呼ばれた)をオート三輪業界でいち早く採用、乗り心地を大きく改善した。

1952年にはME10型866cc・21馬力エンジンを搭載し、積載量が1トンまで拡大されたTM4E型が登場。

1955年にはセルモーターと2灯式ヘッドランプ、前進4段トランスミッションを採用したTM5F/TM5G型が登場。TM5型の廉価版として744cc・750kg積みのTM6型[6]も同時発売された。

1955年のTM7型(1.5t積み)・TM8型(2t積み)モデルから車名が「三菱号」に変更され、「みずしま」の名は使われなくなった[7]。この時期以降、エンジンは強制空冷式の直列2気筒OHVとなり、大幅にパワーアップしたが、クローズドボディや丸ハンドルモデルの導入後もエンジン搭載位置はキャビン中央を占有し左右を仕切る形態を踏襲した。同時期の競合各車のような、フロントシート下にエンジンを移動させての3人がけ仕様への移行は為されず、2座のままに留まった。

だが4輪トラック市場の成長に反比例した1957年以降のオート三輪市場の縮小は如何ともし難く、三菱でも2トン積みクラスの小型4輪トラックの開発が進められた。ジープ用4気筒エンジンを改良して搭載した1959年発表の「三菱・ジュピター」以降、三菱は小型トラックの4輪モデルへのシフトを進め、どの国産メーカーよりも早く中型トラックの開発を進めていた[8]。小型オート三輪撤退に至った1962年時点での最終型オート三輪であるTM18B型でも、オート三輪業界上位2社のダイハツ・マツダのような水冷エンジンへのシフトは行われず、最上級モデルまでも空冷直列2気筒1.5L47PSの過渡的なパワーユニットのまま終焉を迎えた。

レオ

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三菱・レオ
LT10/11型
福山自動車時計博物館所蔵のレオ(ただしフロントターンシグナルランプは社外品のものが取り付けられている)。日本には僅か5台が現存するのみといわれる。
三菱オートギャラリー所蔵の1959年式レオ。
概要
販売期間 1959年1962年
ボディ
乗車定員 2名
ボディタイプ 軽3輪トラック(LT10)
軽3輪ライトバン(LT11)
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン ME20型 310cc 4ストロークOHV単気筒 - 13ps/4,700rpm、2.2kg-m/3,000rpm
変速機 シンクロメッシュ付き前進3段
車両寸法
全長 2,870mm
全幅 1,280mm
全高 1,520mm
車両重量 360kg
その他
技術的特徴 オート三輪初のシンクロメッシュ式トランスミッションの採用、オールスチール製キャビンの採用
最大積載量 300kg
系譜
先代 三菱・みずしま
後継 三菱・360
(ピックアップは後にミニカピックに改称)
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1959年には当時の軽オート三輪ブームに対応する派生車種として軽自動車規格の三菱・レオLEO[9]が登場する。

「三菱3輪ペット」という新ジャンル名を与えられ、手塚治虫のヒット作、ジャングル大帝の主人公レオにあやかって名付けられたこのモデルは、シリーズ初のオールスチール製キャビンを持ち、オート三輪史上初のシンクロメッシュ式3速MTを搭載。最高速度は約74km/hと当時の軽オート三輪の中でも最速を公称した。ベンチタイプのシートは座面も厚く、エンジンをシートの下に搭載することで、足元空間と荷台を広げたことも特徴であった[10]

三菱・レオは、三菱が戦後初めて製造した4輪自動車である三菱・360三菱・ミニカにも多大な影響を及ぼした。また、レオの愛嬌あるデザインは2001年にオリビエ・ブーレイ三菱自動車工業のチーフデザイナーに就任した際、"ブーレイ顔"に代表されるその後の三菱車の基本デザインを策定していく上で大いに参考にされたという[11]

レオは小型トラックのLT10以外にもライトバン型のLT11等もラインナップ。シリーズでも屈指のヒット作となり、僅か3年の間に約28,000台を売り上げたが、軽オート三輪のブームは短いものであった。

1961年発表の4輪軽貨物車である三菱・360の成功が契機となり、レオと三菱号TM18B型を最後に翌1962年に三菱はオート三輪の生産を全面中止。水島製作所は三菱・360より派生した三菱・ミニカ三菱・ミニキャブの製造に総力を挙げていく事になる。

みずしまオート三輪は、1948年から1962年までにシリーズ合計35車種を世に送り出し、総生産台数は約91000台であった[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 当時の日本におけるトラックユーザーには公称積載量はあまり意味のある数値でなく、実際にはこれに2倍3倍する過積載が日常的にまかり通っていた。そのような過酷な取り扱いにも耐えられなければ市場競争力は得られないため、トラック開発にあたっては、何れのメーカーも過積載されることを当然の前提として設計を行っていた。
  2. ^ なお、三菱オートギャラリーにはTM3C型とレオLT10型も所蔵されている。

出典

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  1. ^ "1941–1950 Reconstruction, Recovery and Hope" Archived 2007年8月19日, at the Wayback Machine., Mitsubishi Motors South Africa website
  2. ^ 日本の自動車技術240選による みずしま3輪 TM3A型の紹介
  3. ^ a b c Mizushima Archived 2007年9月28日, at the Wayback Machine., Mitsubishi Motors South Africa website
  4. ^ "Rebuilding the Nation" Archived 2007年8月23日, at the Wayback Machine., Mitsubishi Motors History, Mitsubishi Motors South Africa website
  5. ^ 呂寅満「日本自動車工業史」(2011年 東京大学出版会)p332
  6. ^ 三菱オートギャラリーによるみずしまTM6D型の紹介 Archived 2013年6月20日, at the Wayback Machine., Mitsubishi Motors Web Museum[注釈 2]
  7. ^ 1940–1959 Archived 2012年8月14日, at WebCite, Mitsubishi Motors Web Museum
  8. ^ カミオン特別編集・三菱ふそうのすべて 芸文社 2011年5月発行 53ページ 
  9. ^ 三菱オートギャラリーによるレオLT10型の紹介
  10. ^ 360cc軽自動車のすべて. 三栄書房. (2013). pp. 18. ISBN 9784779618963 
  11. ^ "Mitsubishi Gets a Makeover", Chester Dawson, BusinessWeek, November 5 2001

関連項目

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外部リンク

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