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ミドルパークステークス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ミドルパークステークスMiddle Park Stakes)は、イギリスニューマーケット競馬場で行われる競馬の競走である。

イギリスを代表する2歳戦で、この競走の上位馬は翌年の2000ギニーの中心的存在とみられるようになる[1][2]

1866年に創設され、イギリスでグループ制が採用された1970年からは最高格のG1に位置づけられている[2]

ミドルパークステークス[3]
Middle Park Stakes[4]
開催国 イギリスの旗イギリス
競馬場 ニューマーケット競馬場・ロウリーマイルコース
2014年の情報
距離 芝6ハロン
(約1207メートル)
格付け G1
賞金 賞金総額18万ポンド[3]
出走条件 2歳牡馬
負担重量 9ストーン
(約57.15kg
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概要

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イギリスの2歳戦は、春にシーズンが始まり、6月のダービーと同時に本格化する。6月から秋にかけて、各地で2歳戦が行われ、様々な重賞が行われるが、これらのほとんどは別定戦である。したがって重賞を勝てば勝つほどより重い斤量を背負うことになる。

ミドルパークステークスはシーズンの終盤に行われる定量戦で、これまで各地で重賞を勝った2歳馬が集い、平等な条件で争うことで、2歳チャンピオンを決める競走として定着してきた。1970年にイギリスでグループ制が始まると、デューハーストステークスオブザーバーゴールドカップとともに最高格のG1に格付けされた[5]

ミドルパークステークスで上位になったものは、翌年の2000ギニーの中心的存在とみられるようになる[注 1]。ミドルパークステークスを勝って翌年2000ギニーを制したものでいちばん古いのは、プリンスチャーリー(Prince Charlie、1872年の2000ギニー優勝馬)で、最近では*ロドリゴデトリアーノ(1992年の2000ギニー優勝馬)がいる[2][5][6]

そのほか、過去の主な勝馬には4頭の三冠馬(アイシングラスプリティポリーサンチャリオットバーラム)、18戦17勝のブリガディアジェラード、イギリスの種牡馬チャンピオン(オームセントフラスキンテトラテマバヤルド)など、イギリス競馬史上の重要馬が並んでいる[2]

2010年までは、秋のニューマーケット競馬場のケンブリッジシャー開催で行われていた。

2011年にイギリス競馬で行われた秋競馬の再編成にともなって、「2歳戦の日」として創設されたフューチャー・チャンピオンズデーの中核競走の一つとなった[1]

2015年からはケンブリッジシャー開催の中核競走となる。

沿革

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  • 1866年ミドルパークプレートMiddle Park Plate)として創設
  • 1922年ミドルパークステークスMiddle Park Stakes)に改称
  • 1939年,1941-43年:第二次世界大戦の影響で、ニューマーケット競馬場のジュライコースで行われる。
  • 1940年:第二次世界大戦の戦禍を避け、ニューミドルパークステークスNew Middle Park Stakes)としてノッティンガム競馬場で代替開催
  • 1970年:イギリスでグループ制導入に伴いG1に格付けされる
  • 2003年:1位入線のThree Valleysが薬物検査陽性のため失格。Balmontが繰り上がり優勝
  • 2011年:フューチャー・チャンピオンズデーに組み込まれる
  • 2015年:ケンブリッジシャー開催に組み込まれる

創設とミドルパークスタッド

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ミドルパークステークスは1866年にウィリアム・ブレンキロン(William Blenkiron、1807?-1871)が1000ポンドの資金を提供して創設した。これは民間のスポンサーのついた競走として最初期のものである。ブレンキロンの目論見は、早熟なスピード馬を生産して売ることにあり、この競走の創設によって、そうした馬の買い手を増やすことを狙っていた。こうした彼の商業主義的な生産手法から、ブレンキロンは最初期のマーケットブリーダーであると見做されている。「ミドルパーク」という名称は、ブレンキロンが所有していたミドルパーク牧場(スタッド、Middle Park Stud)に由来する[7][2][6][8]

ブレンキロンはヨークシャーの農夫だったが、ロンドンに出て事業に成功し、その財で1852年にケント州エルサムでミドルパーク牧場を開設した。そこでの生産馬の代表格は、カラクタカス(Caractacus、1862年イギリスダービー馬)、ハーミット(Hermit、1867年イギリスダービー馬)、ゲイモス(Gamos、1870年イギリスオークス馬)である。ブレンキロンは自ら生産するだけではなく、セリ市で高額で馬を買うことでも知られていた。特に高額だったのは、ダービーとオークスに勝った牝馬ブリンクボニー(Blink Bonny)、イギリス三冠馬グラディアトゥール(Gladiateur)、ダービー馬ブレアーアソール(Blair Athol)である。これらは皆、ミドルパーク牧場に繋養された[7][8]

ミドルパークステークスは、創設から1921年まで、「ミドルパークプレート」という名称だった。「プレート競走」というのは、賞金を主催者が供出して保証するタイプのレースである。1922年からは「ミドルパークステークス」になった。「ステークス競走」は、出走を希望する馬主が事前に供託した登録料の総和が賞金となるタイプのレースである[2][6]

牝馬の出走

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創設以来、牡馬と牝馬が出走できる競走で、過去にはプリティポリー、サンチャリオットといった三冠牝馬や、翌年の1000ギニーに勝つフレア(Flair、日本輸入種牡馬ガロンの母)といった優勝馬も出ている[9]

しかし、1942年にナスルーラを破って優勝したリボン(Ribbon)を最後に、第二次世界大戦以降は牝馬の優勝はなく、1987年からは牡馬限定戦となった[10][2]

なお、ミドルパークステークスと対になっている2歳牝馬の6ハロンのG1レースがチェヴァリーパークステークスである[6]

2011年のイギリス競馬の再編成とフューチャー・チャンピオンズデー

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ミドルパークステークスは、秋(9月末から10月初旬)にニューマーケット競馬場で開かれる「ケンブリッジシャー開催」で行われてきた。この開催では、ミドルパークステークスと対を成す形で、2歳牝馬のG1チェヴァリーパークステークス(6ハロン)も行われていた。

2011年にイギリス競馬界で秋の競馬スケジュールの大幅な見直しが行われ、これに伴ってミドルパークステークスも時期が変わることになった。

イギリスの競走体系では、シーズン最後の大レースとして10月後半にニューマーケット競馬場で行われるチャンピオンステークス(約2012m)で一年を締めくくるというのが、イギリスの一流馬にとっての平均的なスケジュールだった。ところが、10月1週にフランスで行われる凱旋門賞や、その後に行われるアメリカのブリーダーズカップ、アジアのジャパンカップ香港国際カップなどが高額賞金で一流馬を呼び寄せるようになると、チャンピオンステークスに一流馬が集結するという従来の価値が維持できなくなっていった。

そこでイギリスでは、チャンピオンステークスの復権のために賞金の大幅な積み増しと競馬番組の大掛かりな変更を行った。100年以上にわたりニューマーケット競馬場の秋開催の最大の呼び物だったチャンピオンステークスをアスコット競馬場に移転し、ブリーダーズカップを範として、一日でさまざまなカテゴリーの大レースをまとめて開催する「ブリティッシュ・チャンピオンズデー」を10月下旬に創設した[注 2][11]。(詳細はチャンピオンステークス参照)

秋の最大の看板競走を放出したニューマーケット競馬場には、その代償として、主要な2歳戦をまとめて開催する「フューチャー・チャンピオンズデー」が10月中旬に創設された。この日には、従来ケンブリッジシャー開催(9月下旬から10月初旬)で行っていたミドルパークステークス、従前のチャンピオンズデーに開催していたデューハーストステークス、2歳牝馬のG1フィリーズマイルなど、複数の2歳重賞が行われることになった[12]

これらの「ブリティッシュ・チャンピオンズデー」・「フューチャー・チャンピオンズデー」の創設はまだ始まったばかりであり、2012年、2013年、2014年と変更が重ねられている[13]。フューチャー・チャンピオンズデーとチャンピオンズデーは、当初は2週間の間を隔てて行われたが、2014年に再びスケジュールの見直しが行われ、2014年10月17日にニューマーケット競馬場でフューチャー・チャンピオンズデーが、10月18日にアスコット競馬場でブリティッシュ・チャンピオンズデーを行い、これらをあわせて「英国チャンピオンズウィークエンド」となることが決まっている。フューチャー・チャンピオンズデーの中身もG1フィリーズマイルとG2ロックフェルステークスが入れ替えられるなど、まだ定着していない[14]

2015年からは9月下旬の開催となり[15]チェヴァリーパークステークスと同日開催となるとともにフューチャー・チャンピオンズデーから外れて、ケンブリッジシャー開催に組み込まれることになった。

ミドルパークステークスと各国

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アメリカとの関連

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ミドルパークステークスを勝って、その後アメリカの代表的な2歳戦であるブリーダーズカップへ転戦したものとしては、2001年の*ヨハネスブルグ、2008年のブッシュレンジャー、2011年のクルセイド(Crusade)がいる。芝コースで行われるヨーロッパの競馬に対し、ダートコースで行われるアメリカ競馬へ参戦した結果は、各馬で明暗を分けている。

ヨハネスブルグは、アイルランドのフィーニクスステークス(G1)、フランスのモルニ賞(G1)、イギリスのミドルパークステークス(G1)と、ヨーロッパ主要国の代表的な2歳G1戦を勝って、アメリカへ渡り、ダートで行われるブリーダーズカップジュヴェナイルも勝ってしまった。この結果ヨハネスブルグは、全欧全米2歳チャンピオンに選出された。

2008年優勝馬のブッシュレンジャーはフィーニクスステークスは3着だったが、モルニ賞とミドルパークステークスに勝ってブリーダーズカップジュヴェナイルに参戦した。現地では3番人気に支持されたが、12頭中11着に大敗している。

2011年の優勝馬クルセイドもミドルパークステークスのあとブリーダーズカップジュヴェナイルに転戦した。9番人気とあまり人気がなかったが、6着に入っている。

フューチャーチャンピオンデイ創設と時期を前後して、2007年からはイギリスの主要2歳戦がアメリカのブリーダーズカップチャレンジシリーズに指定され、勝つとブリーダーズカップ2歳戦への優先出走権が与えられることになった。

ミドルパークステークスの場合には、2012年からBCジュヴェナイルジュヴェナイルスプリントへの優先出走権が与えられたが、2012・2013年の優勝馬はアメリカ遠征を行わず、BCジュヴェナイルスプリントのほうが2013年を最後に廃止になってしまった。

同じフューチャーチャンピオンデイのデューハーストステークスのほうは、従前より時期が前倒しになったことで、デューハーストステークスのあとブリーダーズカップへ転戦することが容易になった。デューハーストステークスを勝つと、BCジュヴェナイルターフの優先出走権が得られることになっているが、デューハーストステークス優勝馬でこの権利を行使したものはいない。しかし2011年から2013年までの3年連続でヨーロッパ馬がBCジュヴィナイルターフを勝っており、うち2頭はヨーロッパで重賞未勝利、2012年と2013年はデューハーストステークスの3着馬である。

日本との関連

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優勝馬の中で最初に日本へ種牡馬として輸入されたのは1951年優勝のキングスベンチ(King's Bench)である。キングスベンチはミドルパークステークスのほか、3歳になってセントジェームズパレスステークスにも勝った。日本では、1952年に外国からの種牡馬の輸入が解禁となり、キングスベンチはその第一弾として輸入された種牡馬の1頭である。キングスペンチは1953年から種牡馬として供用されたが、これといった活躍馬を送り出すことはなかった。

活躍馬を出した輸入種牡馬でいちばん古いものは1953年にミドルパークステークスを勝ち、1955年に輸入されたロイヤルチャレンヂャー(Royal Challenger)である。ロイヤルチャレンヂャーの1963年生まれの産駒スピードシンボリは、1960年代の日本を代表する名競走馬になった。

一方、ミドルパークステークス優勝馬の子で日本で最初に活躍したものの1頭は、1952年優勝のニアルーラ(Nearula)の子キューピットである。キューピットは持ち込み馬で、スピードを活かして活躍し、阪神牝馬特別など9勝をあげた。キューピットは繁殖牝馬として大成功し、後年「華麗なる一族」と呼ばれる牝系の祖になった。

そのほか1950年代から1970年代まで、ミドルパークステークスの優勝馬は続々と日本へ輸入され、その多くは成功した。主なものでは、

このほかこの時期の輸入種牡馬のうち、スカイマスター、クロケット、ハバット、カジュンが重賞勝馬を出している。

1980年代にはこうした動きは一段落したが、のちに輸入されたロドリゴデトリアーノヨハネスブルグともに日本で種牡馬として成功をおさめている。

歴代優勝馬

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  • 「*」は日本輸入馬。国際レース出走などの一時的なものも含む。
  • 馬名のあとに記号つくものは下記の通り。
    • 「★」…翌年の2000ギニー優勝馬
    • 「◎」…翌年のダービー優勝馬
回数 施行日 優勝馬 タイム 優勝騎手 管理調教師
第1回 1866年 The Rake
第2回 1867年 Green Sleeve
第3回 1868年 Pero Gomez
第4回 1869年 Frivolity
第5回 1870年 Albert Victor
第6回 1871年 Prince Charlie★
第7回 1872年 Surinam
第8回 1873年 Newry
第9回 1874年 Plebeian
第10回 1875年 Petrarch★
第11回 1876年 Chamant★
第12回 1877年 Beauclerc
第13回 1878年 Peter
第14回 1879年 Beaudesert
第15回 1880年 St Louis
第16回 1881年 Kermesse
第17回 1882年 Macheath
第18回 1883年 Busybody
第19回 1884年 Melton◎
第20回 1885年 Minting
第21回 1886年 Florentine
第22回 1887年 Friar's Balsam
第23回 1888年 Donovan
第24回 1889年 Signorina
第25回 1890年 Gouverneur
第26回 1891年 Orme
第27回 1892年 Isinglass★◎
第28回 1893年 Ladas◎
第29回 1894年 Speedwell
第30回 1895年 St Frusquin
第31回 1896年 Galtee More★◎
第32回 1897年 Dieudonne
第33回 1898年 Caiman
第34回 1899年 Democrat
第35回 1900年 Floriform
第36回 1901年 Minstead
第37回 1902年 Flotsam
第38回 1903年 Pretty Polly
第39回 1904年 Jardy
第40回 1905年 Flair
第41回 1906年 Galvani
第42回 1907年 Lesbia
第43回 1908年 Bayardo
第44回 1909年 Lemberg◎
第45回 1910年 Borrow
第46回 1911年 Absurd
第47回 1912年 Craganour
第48回 1913年 Corcyra
第49回 1914年 Friar Marcus
第50回 1915年 Argos
第51回 1916年 North Star
第52回 1917年 Benevente
第53回 1918年 Stefan the Great
第54回 1919年 Tetratema★
第55回 1920年 Monarch
第56回 1921年 Golden Corn
第57回 1922年 Drake
第58回 1923年 Diophon★
第59回 1924年 Picaroon
第60回 1925年 Lex
第61回 1926年 Call Boy◎
第62回 1927年 Pharamond
第63回 1928年 Costaki Pasha
第64回 1929年 Press Gang
第65回 1930年 Portlaw
第66回 1931年 Orwell★
第67回 1932年 Felicitation
第68回 1933年 Medieval Knight
第69回 1934年 Bahram★◎
第70回 1935年 Abjer
第71回 1936年 Fair Copy
第72回 1937年 Scottish Union
第73回 1938年 Foxbrough
第74回 1939年 Djebel★
第75回 1940年 Hyacinthus
第76回 1941年 Sun Chariot
第77回 1942年 Ribbon
第78回 1943年 Orestes
第79回 1944年 Dante◎
第80回 1945年 Khaled
第81回 1946年 Saravan
第82回 1947年 The Cobbler
第83回 1948年 Abernant
第84回 1949年 Masked Light
第85回 1950年 Big Dipper
第86回 1951年 *キングスベンチ
第87回 1952年 Nearula★
第88回 1953年 *ロイヤルチャレンヂャー
第89回 1954年 *アワバブー
第90回 1955年 Buisson Ardent
第91回 1956年 Pipe of Peace
第92回 1957年 Major Portion
第93回 1958年 Masham
第94回 1959年 ヴェンチア
第95回 1960年 *スカイマスター
第96回 1961年 *グスタフ
第97回 1962年 *クロケット
第98回 1963年 Showdown
第99回 1964年 *スパニッシュイクスプレス
第100回 1965年 Track Spare
第101回 1966年 Bold Lad
第102回 1967年 Petingo
第103回 1968年 Right Tack★
第104回 1969年 Huntercombe
第105回 1970年 Brigadier Gerard
第106回 1971年 Sharpen Up
第107回 1972年 テュデナム
第108回 1973年 *ハバット
第109回 1974年 スティールハート
第110回 1975年 *ヒッタイトグローリー
第111回 1976年 Tachypous
第112回 1977年 Formidable 1:11.20 パット・エデリー Peter Walwyn
第113回 1978年 *ジュニアス 1:11.00 レスター・ピゴット ヴィンセント・オブライエン
第114回 1979年 Known Fact 1:13.30 ウィリー・カーソン Jeremy Tree
第115回 1980年 *マタボーイ 1:13.30 ウィリー・カーソン Jeremy Tree
第116回 1981年 *カジュン 1:16.49 レスター・ピゴット ヘンリー・セシル
第117回 1982年 Diesis 1:13.36 レスター・ピゴット ヘンリー・セシル
第118回 1983年 Creag-an-Sgor 1:13.24 スティーブ・コーゼン Charlie Nelson
第119回 1984年 Bassenthwaite 1:13.58 パット・エデリー Jeremy Tree
第120回 1985年 Stalker 1:12.12 ジョー・マーサー Peter Walwyn
第121回 1986年 Mister Majestic 1:13.75 レイ・コクレーン Robert Williams
第122回 1987年 Gallic League 1:13.95 スティーブ・コーゼン バリー・ヒルズ
第123回 1988年 Mon Tresor 1:12.27 Michael Roberts Ron Boss
第124回 1989年 Balla Cove 1:11.04 スティーブ・コーゼン Ron Boss
第125回 1990年 Lycius 1:10.14 キャッシュ・アスムッセン アンドレ・ファーブル
第126回 1991年 ロドリゴデトリアーノ 1:11.11 ウィリー・カーソン ピーター・チャップルハイアム
第127回 1992年 *ザイーテン 1:11.28 スティーブ・コーゼン André Fabre
第128回 1993年 First Trump 1:11.28 スティーブ・コーゼン André Fabre
第129回 1994年 Fard 1:11.36 ウィリー・カーソン David Morley
第130回 1995年 Royal Applause 1:11.14 ウォルター・スウィンバーン バリー・ヒルズ
第131回 1996年 Bahamian Bounty 1:11.95 マイケル・キネーン David Loder
第132回 1997年 Hayil 1:12.39 Richard Hills David Morley
第133回 1998年 Lujain 1:14.74 Frankie Dettori David Loder
第134回 1999年 Primo Valentino 1:12.83 パット・エデリー Peter Harris
第135回 2000年 Minardi 1:12.83 パット・エデリー Peter Harris
第136回 2001年 ヨハネスブルグ 1:11.73 マイケル・キネーン エイダン・オブライエン
第137回 2002年 Oasis Dream 1:09.61 Jimmy Fortune John Gosden
第138回 2003年 Balmont 1:09.61 Jimmy Fortune John Gosden
第139回 2004年 Ad Valorem 1:12.19 キーレン・ファロン エイダン・オブライエン
第140回 2005年 Amadeus Wolf 1:12.36 Neil Callan Kevin Ryan
第141回 2006年 Dutch Art 1:14.07 Frankie Dettori ピーター・チャップルハイアム
第142回 2007年 Dark Angel 1:12.08 Michael Hills バリー・ヒルズ
第143回 2008年 Bushranger 1:12.08 Michael Hills バリー・ヒルズ
第144回 2009年 Awzaan 1:10.11 Richard Hills Mark Johnston
第145回 2010年 Dream Ahead 1:10.11 Richard Hills Mark Johnston
第146回 2011年 Crusade 1:10.75 Seamie Heffernan エイダン・オブライエン
第147回 2012年 Reckless Abandon 1:11.06 Gérald Mossé Clive Cox
第148回 2013年 Astaire 1:12.33 Neil Callan Kevin Ryan
第149回 2014年 Charming Thoughts 1:13.01 William Buick Charlie Appleby
第150回 2015年 Shalaa 1:11.92 Frankie Dettori John Gosden
第151回 2016年 The Last Lion 1:12.13 Joe Fanning Mark Johnston
第152回 2017年 U S Navy Flag 1:12.44 Seamie Heffernan エイダン・オブライエン
第153回 2018年 Ten Sovereigns 1:10.04 Donnacha O'Brien エイダン・オブライエン
第154回 2019年 Earthlight 1:09.31 ミカエル・バルザローナ アンドレ・ファーブル
第155回 2020年 Supremacy 1:09.73 Adam Kirby Clive Cox
第156回 2021年 Perfect Power 1:11.32 クリストフ・スミヨン Richard Fahey
第157回 2022年 Blackbeard 1:12.02 ライアン・ムーア エイダン・オブライエン
第158回 2023年9月30日 Vandeek 1:10.76 ジェームズ・ドイル Simon & Ed Crisford
第159回 2024年9月28日 Shadow Of Light 1:12.29 ウィリアム・ビュイック チャーリー・アップルビー


脚注

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参考文献

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  • 『サラブレッド』ピーター・ウィレット著、日本中央競馬会・刊、1978

基礎資料

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歴代結果

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解説

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注釈

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  1. ^ 日本とは違い、イギリスでは数多くの民間のブックメーカーが自由に馬券を発売している。日本では、たとえば日本ダービーの馬券が実際に発売されるのは早くてもレースの2、3日前からだが、イギリスではレースの1年以上前から馬券が売られている。同じ馬の馬券でも購入時期によって倍率は異なる。1年以上早い時期に馬券を買うと、その馬がそもそもダービーに出走するかどうかもわからない(もちろん出走しなければ馬券はハズレとなる)し、その馬の実力や相手関係など不確定要素は多いが、そのぶんだけ馬券の倍率は高くなる。したがって早い時期に有力と思う馬を見つけて馬券を買うというのは、賭事としては高いリターンを期待できることになり、イギリスではダービーや2000ギニーの1年以上前から優勝馬の検討がはじまるのである。
  2. ^ それ以前も、ニューマーケット競馬場ではチャンピオンステークスの開催日を「チャンピオンズデー」と称している。

出典

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