ドノヴァン (競走馬)
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ドノヴァン | |
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欧字表記 | Donovan |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1886年 |
死没 | 1905年 |
父 | ガロピン |
母 | Mowerina |
母の父 | Scottish Chief |
生国 | グレートブリテン及びアイルランド連合王国 |
馬主 |
ウィリアム・キャヴェンディッシュ= ベンティンク |
調教師 | George Dawson |
競走成績 | |
生涯成績 | 21戦18勝 |
獲得賞金 | £55,443 |
勝ち鞍 |
ノーフォークステークス (1888) ジュライステークス (1888) ミドルパークプレート (1888) デューハーストステークス (1888) Newmarket Stakes (1889) エプソムダービー (1889) プリンスオブウェールズステークス (1889) セントレジャーステークス (1889) Lancashire Plate (1889) |
ドノヴァン(Donovan、1886年-1905年)は、イギリスのサラブレッド競走馬・種牡馬。1888年から1889年までに21のレースに出場し、18勝した。1888年には13戦で11勝した。3歳の時、エプソムダービーとセントレジャーステークスに勝利したが、2000ギニーは僅差で敗れ、三冠を逃した。合計£55,443の賞金を獲得し、世界記録を樹立した[1]。種牡馬としてはそこそこの成功を収めた。1905年に事故で負傷し死亡した。
背景
[編集]黒い毛で覆われた鹿毛の競走馬であり、保守党の政治家・地主のウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク (第6代ポートランド公爵)の競走馬である[2]。彼の所有する他の馬には、無敗のセントサイモンや1888年のダービー馬Ayrshireがいた。サフォーク州のニューマーケットにあるHeath House StableでGeorge Dawsonの調教を受けた[3]。
父のガロピンは、1872年にダービーで優勝した競走馬であり、その後3度リーディングサイヤーになった。母のMowerinaは、16のレースに勝利し、繁殖牝馬として1000ギニーの優勝馬Semolinaやアイシングラスを破った唯一の馬である牡馬Raeburnなどを生んだ[4]。
血統表
[編集]ドノヴァン[5]の血統 | (血統表の出典) | |||
父 ガロピン (GB) 1872 |
父の父 Vedette1854 |
Voltigeur | Voltaire | |
Martha Lynn | ||||
Mrs Ridgway | Birdcatcher | |||
Nan Darrell | ||||
父の母 Flying Duchess 1853 |
The Flying Dutchman | Bay Middleton | ||
Barbelle | ||||
Merope | Voltaire | |||
Juniper mare | ||||
母 Mowerina (GB) 1876 |
Scottish Chief 1861 |
Lord of the Isles | Touchstone | |
Fair Helen | ||||
Miss Ann | The Little Known | |||
Bay Missy | ||||
母の母 Stockings1863 |
Stockwell | The Baron | ||
Pocahontas | ||||
Go-Ahead | Melbourne | |||
Mowerina (1843)(Family: 7) |
出典
[編集]- ^ “English and American Hobse.”. pp. 47 (11 December 1901). 2024年2月25日閲覧。
- ^ “6th Duke of Portland”. Horseracinghistory.co.uk. 2011年11月21日閲覧。
- ^ “George Dawson”. Horseracinghistory.co.uk. 2011年11月21日閲覧。
- ^ “Donovan”. Tbheritage.com (1905年2月1日). 2011年11月21日閲覧。
- ^ “DONOVAN, THE EPSOM DEEBY WINNER”. Paperspast.natlib.govt.nz. 2011年11月21日閲覧。