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ロックサンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロックサンド
ロックサンド(左が馬主のミラー、右がダービーとセントレジャーで騎乗したマハー)
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1900年
死没 1914年7月20日
サンフォアン
ロクブリュヌ
生国 イギリス
生産者 サー・ジェイムズ・ミラー英語版
馬主 サー・ジェイムズ・ミラー
調教師 ジョージ・ブラックウェル英語版
競走成績
生涯成績 20戦16勝
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ロックサンドRock Sand1900年 - 1914年)は、20世紀初頭に活躍したイギリス競走馬。史上10頭目のイギリスクラシック三冠を達成した。

生涯

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2歳時はミドルパークプレートで3着に敗れた以外は全勝で6勝をあげている。3歳時は2000ギニーでフロットサム (Flotsam)、のちに大種牡馬となるラブレーチョーサーらを破り1着。エプソムダービーでもこれらを破り完勝した。三冠を前に古馬が相手となるエクリプスステークスに出走しており本命に推されたが、ゴール前で力尽き前年のクラシックホースであるアードパトリック(エプソムダービー)とセプタークラシック四冠)に次ぐ3着に終わった。秋のセントレジャーステークスは楽勝で、史上10頭目のイギリスクラシック三冠を達成する。その後はジョッキークラブステークスではふたたびセプターに完敗、翌年のコロネーションカップでもクラシック不出走のジンファンデル (Zinfandel) とセプターに敗れてしまった。しかし、ハードウィックステークスではセプターに雪辱し、秋の大一番・ジョッキークラブステークスも制すなど活躍した。

引退後は当初イギリスで種牡馬入りしたが、1906年馬主が死亡した際アメリカ合衆国でサラブレッド事業を拡大しようともくろんでいたオーガスト・ベルモント2世に買われた。アメリカ合衆国ではマンノウォーの母となるマフバー (Mahubah)、ベルモントステークスフライアーロック英語版、イギリスに渡りセントレジャーステークスを制したトレーサリー英語版などの産駒を送り出した。しかし、折からの禁酒法のあおりを受け多くの州で馬券発行禁止の措置がとられるようになるとフランスに輸出され、2年後の1914年、7月20日に心臓病で死亡した。

競走成績

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血統

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サンフォアン英語版はダービー馬でストックウェルの傍系、ストックウェル3×3のインブリードを持っていた。母ロクブリューンはセントサイモンと1000ギニー馬セントマーゲライトの仔。当時はセントサイモンの血が溢れており、ロックサンドと対戦した馬の多くがセントサイモンの直仔か孫であった(チョーサーラブレーが直仔、自身とセプターアードパトリック・フロットサム・ジンファンデルが孫)。

血統表

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ロックサンド血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 エクリプス系
[§ 2]

Sainfoin
1887 栗
父の父
Springfield
1873 鹿
St. Albans Stockwell
Bribery
Viridis Marsyas
Maid of Palmyra
父の母
Sanda
1878 栗
Wenlock Lord Clifden
Mineral
Sandal Stockwell
Lady Evelyn

Roquebrune
1893 黒鹿
St. Simon
1881 鹿
Galopin Vedette
Flying Duchess
St. Angela King Tom
Adeline
母の母
St. Marguerite
1879 栗
Hermit Newminster
Seclusion
Devotion Stockwell
Alcestis
母系(F-No.) 4号族(FN:4-n) [§ 3]
5代内の近親交配 Stockwell:S4×S4×M4、Newminster:M4×S5、Pocahontas:S5×S5×M5×M5、Touchstone:M5×M5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ[1]およびnetkeiba.com[2]
  2. ^ netkeiba.com[2]
  3. ^ JBISサーチ[1]およびnetkeiba.com[2]
  4. ^ JBISサーチ[1]

出典

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  1. ^ a b c 5代血統表|血統情報|Rock Sand(GB)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年11月5日閲覧。
  2. ^ a b c Rock Sandの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2023年11月5日閲覧。

外部リンク

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