マリオ・バレンズエラ
基本情報 | |
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国籍 | メキシコ |
出身地 | バハ・カリフォルニア・スル州サン・マルコス島 |
生年月日 | 1977年3月10日(47歳) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 225 lb =約102.1 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1996年 アマチュアFA |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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派遣歴
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この表について
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マリオ・バレンズエラ・オスーナ(Mario Valenzuela Osuna, 1977年3月10日 - )はメキシコ・バハ・カリフォルニア・スル州出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入りとホワイトソックス傘下時代
[編集]1996年にシカゴ・ホワイトソックスと契約。この年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ホワイトソックスで21試合に出場し、打率.260、1本塁打、8打点という成績だった。
1997年はレンタル移籍でリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのサルティーヨ・サラペメーカーズに所属。
1998年にホワイトソックス傘下に復帰し、ルーキー級ブリストル・ホワイトソックスに所属。1999年はA級バーリントン・ビーズ、2000年はA+級ウィンストン・セイラム・ワートホッグス、2001年はAA級バーミングハム・バロンズ、AAA級シャーロット・ナイツでプレー。
2002年は怪我で全休した。
2003年はAAA級シャーロット、ルーキー級グレートフォールズ・ホワイトソックスでプレー。
2004年はAAA級シャーロットでプレー。119試合に出場し、打率.263、25本塁打、66打点、3盗塁という成績だった。この年限りでホワイトソックスを退団した。
メキシカンリーグ時代
[編集]2005年にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのサルティーヨ・サラペメーカーズと契約し、キャリアハイとなる打率.360、31本塁打、103打点を記録。
2006年、第1回WBCのメキシコ代表に選出された。2次リーグの対アメリカ戦でロジャー・クレメンスから放った打球がライトポールに直撃したが、責任審判ボブ・デービッドソンにより二塁打と判定された。これは本来なら本塁打として扱われるべきであるとして、デービッドソンの誤審疑惑のひとつとなった[1]。
2009年にメキシコシティ・レッドデビルズに移籍。この年には第2回WBCのメキシコ代表に選出された。
2015年にオアハカ・ウォーリアーズに移籍。
脚注
[編集]- ^ “MARIO VALENZUELA UN JUGADOR DE ENTREG”. LMP.MX (2021年4月9日). 2022年6月5日閲覧。
- ^ MLB公式プロフィール参照。2022年6月5日閲覧。