ジム・スタインマン

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ジム・スタインマン
Jim Steinman
ジム・スタインマン(2005年)
基本情報
生誕 (1947-11-01) 1947年11月1日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク・ヒューレット
死没 (2021-04-19) 2021年4月19日(73歳没)
ジャンル ロックポップスワグネリアン・ロックミュージカル
職業 作曲家、作詞家、音楽プロデューサー
活動期間 1969年 - 2021年
共同作業者 ミートローフボニー・タイラー、パンドラズ・ボックス、シスターズ・オブ・マーシーセリーヌ・ディオンエア・サプライバリー・マニロウバーブラ・ストライサンドシェールトッド・ラングレン、ロリー・ドッド、ビリー・スクワイアー、アンドリュー・ポレック、クリスティーナ・ベニントン、ダニエル・ステアーズ
公式サイト jimsteinman.com

ジム・スタインマンJim Steinman1947年11月1日 - 2021年4月19日)は、アメリカ合衆国作詞家作曲家、歌手、ミュージシャン、プロデューサー。

来歴[編集]

ニューヨーク東欧系アシュケナジム・ユダヤ人の家庭に生まれた。

1977年、スタインマンが全曲を作詞・作曲したミートローフのアルバム『地獄のロック・ライダー』がリリースされ、アメリカを中心に世界的なヒットとなった。同作品では、トッド・ラングレンがプロデュースを担当している。なお、日本ではヒットには至らなかった。ミートローフの次作『デッド・リンガー』(1981年)までは、スタインマンの楽曲を中心に制作されたが、訴訟などもあり袂を分かつことになった。

1981年には、初のソロ・アルバム『バッド・フォー・グッド』を発表した。この作品は、本来はミートローフのセカンド・アルバムになるはずであったが、ミートローフの喉のコンディションが良くなく、急遽ソロとして出すことになった。同作品からは「Rock And Roll Dreams Come Through」がシングルカットされ、アメリカで小ヒットとなった。

その後、ボニー・タイラーエア・サプライにも楽曲を提供。タイラーの「愛のかげり」(原題:Total Eclipse of the Heart)」は全米1位の大ヒット、エア・サプライの「渚の誓い」(原題:Making Love Out of Nothing at All)も全米2位のヒットで、2曲で3週にわたりビルボードの1位、2位を独占。さらに1984年の映画『ストリート・オブ・ファイヤー』に収録されたファイヤー・インクの「今夜は青春」も評判となる。

1989年には、ロック・オペラ『Original Sin』を発表。タイトル曲は後に映画『シャドー』の主題歌としてテイラー・デインによって歌われ、後にセリーヌ・ディオンにカヴァーされて大ヒットする「イッツ・オール・カミング・バック・トゥ・ミー・ナウ」も収録されている[1]。なお、この「イッツ・オール・カミング・バック・トゥ・ミー・ナウ」のPVはケン・ラッセル監督によって撮られたことでも知られ、2006年には発売25周年記念でリリースされたDVD付きの特別盤で見ることができる。

1993年には、ミートローフと再タッグを組み、『地獄のロック・ライダーII〜地獄への帰還』(原題:Bat Out of Hell II: Back into Hell)を作成。スタインマンが全曲作曲及びプロデュースした本作は、全米1位の大ヒット。シングル「愛にすべてを捧ぐ」(原題:I'd Do Anything for Love (But I Won't Do That))は、アメリカを含む世界28カ国で1位を獲得。12分に及ぶ超大作で、スタインマンの傑作の一つでもあり、ミートローフはこの曲でグラミー賞最優秀男性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞している。

スタインマンは、セリーヌ・ディオンのアルバム『FALLING INTO YOU』(1996年)のプロデュースに参加して、同アルバムの制作者の1人としてグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞した[2]

2012年、ソングライターの殿堂入りを果たした[3]

2021年4月19日コネチカット州ダンベリーの病院にて腎不全により死去。73歳没[4]

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

  • 『バッド・フォー・グッド』 - Bad For Good (1981年) ※旧邦題『楽園への翼』

手がけた主な楽曲[編集]

舞台作品[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]