バリー・マニロウ
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| バリー・マニロウ Barry Manilow | |
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バリー・マニロウ(2019年) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Barry Alan Pincus |
| 生誕 | 1943年6月17日(82歳) |
| 出身地 |
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| 学歴 | ジュリアード音楽院 |
| ジャンル | ポピュラー音楽 |
| 職業 | 音楽家、作曲家、シンガーソングライター、ピアニスト、アレンジャー、音楽プロデューサー、指揮者 |
| 担当楽器 | ボーカル、ピアノ、キーボード、シンセサイザー |
| 活動期間 | 1973年 - |
| レーベル |
Bell Records Arista Records RCA Records Concord Records |
| 公式サイト |
barrymanilow |
バリー・マニロウ(Barry Manilow、本名:バリー・アラン・ピンカス、1943年6月17日 - )は、アメリカ合衆国の歌手、作曲家、プロデューサー。代表曲は「哀しみのマンディ」、「歌の贈りもの」(この2曲は全米ナンバー1)、「コパカバーナ」。
概要
[編集]ニューヨーク市ブルックリン出身のロシア系ユダヤ人。ジュリアード音楽院卒業。
2007年4月現在、全世界で通算7,500万枚以上のセールスを記録。1978年には5枚のアルバムがベストセラーとなった。この記録はフランク・シナトラとジョニー・マティスの記録に匹敵する。シングルがビルボードトップ100にランクインし、アルバムの売り上げが200万枚を記録し、ラジオ&レコーズのナンバー1アダルト・コンテンポラリー・アーティストと呼ばれ、3年連続でアメリカン・ミュージック・アワードの「Favorite Pop/Rock Male Artist」を受賞した。
1970年代にフランク・シナトラから「次に来るのは彼だ」と言われ、1988年のパーティーの際にボブ・ディランから抱擁を受け「あなたがしていることを止めないでくれ。我々はあなたの影響を受けている」と言われ[1]、アーセニオ・ホールからはトークショーのお気に入りゲストとして挙げられマニロウの作品は賞賛に値すると言われるなど、多くの著名人から高く評価されている。
マニロウはベット・ミドラー、ディオンヌ・ワーウィック、ローズマリー・クルーニーなどのアルバムをプロデュースした。またミュージカルと映画のための曲も書いている。
2005年2月からラスベガス・ヒルトンで長期公演「ミュージック・アンド・パッション」(後に「アルティメット・マニロウ」)を行っていたが、5年間の公演に2009年12月終止符を打ち、2010年3月からパリス・ラスベガスで長期公演を再開している。現在も旧ラスベガス・ヒルトンであるウェストゲートホテルで長期公演を継続中である。
2014年に長年のマネージャでバリー・マニロウ・プロダクションズの社長を務めているゲアリー・キーフと同性婚した(ただし、式を挙げただけで法的な書類は未提出なので正式な結婚ではない)ことが2015年4月に明らかになった[2]
来歴
[編集]初期
[編集]バリー・マニロウは1943年6月17日にバリー・アラン・ピンカス(Barry Alan Pincus)としてニューヨーク市ブルックリンに生まれる。両親のハロルドとエドナ・ピンカス(それぞれ1993年と1994年に逝去)は、ロシア系ユダヤ人を祖先に持つ。
マニロウが2歳のときに両親が離婚。その後はブルックリンのウィリアムズバーグで母親と母方の祖父母のジョセフとエステル・マニロウに育てられる。マニロウは祖父母から強い影響を受けた。初めて楽器を演奏するきっかけを作ったのも祖父母であり、ユダヤ系住民とイタリア系住民の多く住む近所で流行っていたアコーディオンの演奏を勧めた。1948年、5歳のときに従兄弟のデニスへのプレゼントとして、祖父と硬貨投入式の記録ブースで「ハッピーバースデー」を録音した。25年後、「Sing It」で知られているこの録音サンプルは最初のアルバムの1曲目に収録された。
母親がウィリー・マーフィーと再婚した際、継父がジャズとスウィングのレコードの膨大なコレクションを持参した。マニロウは、絶えずこれらのレコードを聴いた。マニロウはハロルド・アーレン、アーヴィング・バーリン、レナード・バーンスタイン、コール・ポーター、ネルソン・リドルなどの指揮者や作曲家に憧れるようになった。1956年、バル・ミツワーの年でもある13歳の誕生日にウィリーからピアノをプレゼントされた。この時期に母親は彼女とバリーの姓を彼女の旧姓である「マニロウ」に正式に変更した。それから数年間、中小企業と党のために地元で演奏を始めた。1961年、東部地区の高校を卒業。
1960年代
[編集]高校卒業後、マニロウはニューヨーク音楽大学とジュリアード音楽院に入学し、学業の傍ら学費を稼ぐためにCBSの郵便室で働いた。CBSで働いていた1964年、21歳のマニロウはディレクターのブロ・ヘロッドと出会い、メロドラマ『The Drunkard』で使う数曲のパブリックドメイン曲のアレンジの依頼を受ける。結局、アレンジではなくオリジナル曲を書いた。ミュージカルは成功し、ニューヨーク13番街劇場のオフ・ブロードウェイで8年間上演された。
また、1964年には高校時代の恋人であるスーザン・ダイクスラー (Susan Deixler) と結婚した。しかしマニロウが音楽に専念しすぎたため、結婚生活に支障をきたした。22歳のときにフルタイムで音楽を始めるべきかどうかについて『プレイボーイ』誌1965年12月号のコラムでアドバイスを求め、音楽に専念することを決意した。1966年1月6日、マニロウが離婚を求めDeixlerが婚姻の無効を申請した。マニロウはピアニスト、プロデューサー、編曲家として働いた。当時は「小切手が現金化されるならば、私はそこにいた」と、仕事を選ばなかった。
マニロウはまた、CMソングやジングルの作曲と歌の仕事を得て、1970年代まで続けた。マニロウはステートファーム保険、バンドエイドなど多数のCMソングを作曲し歌った。また歌のみであるがケンタッキーフライドチキン、ペプシコーラ、ドクターペッパー、マクドナルドの「You Deserve a Break Today」などのCMソングを歌った。マニロウは、CMソングの作曲家、歌手として1976年にクリオ賞を受賞した。
1967年まで、マニロウはWCBS-TVシリーズ『Callback』の音楽監督を務める。次いでエド・サリヴァンの製作会社に雇われ、ラジオやテレビの曲を作曲、監督、歌唱する傍ら『The Late Show』のテーマ曲を編曲した。同時に、彼とジャンヌ・ルーカスはニューヨークのジュリアス・モンクのクラブ「アップステアーズ・アット・ザ・ダウンステアーズ」にて、デュオとして2シーズンにわたる公演を行った。
1970年代
[編集]ベット・ミドラーとの付き合いは、1970年から1971年にかけてニューヨークにて、コンチナンタル・バスでミドラーや他のアーティストに同行したことから始まった。ミドラーは、彼を初期の2枚のアルバム『アメリカが生んだ最後のシンガー / ベット・ミドラー・デビュー (The Divine Miss M)』(1972年)と『II (Bette Midler)』(1973年)の共同プロデューサーおよびコンサート・ツアー「The Divine Miss M」の音楽監督に抜擢した。のちにマニロウがアルバムをリリースしたときには、ミドラーは自身のコンサートで3曲歌うことを許可した。マニロウとミドラーの付き合いは1971年から1975年までの4年間にわたった。
1973年、ベル・レコードからファースト・アルバム『恋はマジック (Barry Manilow)』をリリース。収録曲はピアノによるポップからギターによるロックまで多岐にわたった。収録曲にはマニロウが1972年の戦争演劇『Parades』のために作曲した曲が含まれた。当時はチャートで成功を収めることができなかった。
株式公開買い付けの結果、クライヴ・デイヴィスによる経営の下、ベル・レコードは、他のレーベルを合併しアリスタ・レコードに社名変更し、多くのアーティストを解雇した。しかし、ディオンヌ・ワーウィックのコンサートの前座で演奏するマニロウを見て、デイヴィスはマニロウが自身の手の上にいる勝者であることを確信し、数十年にわたる指導が始まった。
1974年にベルとアリスタから発売されたマニロウのセカンド・アルバム『哀しみのマンディ (Barry Manilow II)』で共同作業は実を結び始めた。収録曲にはナンバーワン・ヒット曲「哀しみのマンディ」を含んだ。皮肉にも、自身の作品ではなかったためマニロウは「哀しみのマンディ」を歌うことに抵抗があったが、デイヴィスの意向で収録された曲である。アルバム『哀しみのマンディ』の成功の後、ファースト・アルバムが『Barry Manilow I』として再発売された。マニロウは初のツアーで、ショーの一部としてそれまでに関わったCMソングの一部をまとめた「Very Strange Medley」を披露した。
1975年3月22日、アルバム『哀しみのマンディ』の宣伝のために『American Bandstand』に出演し「哀しみのマンディ」と「恋はマジック」を歌ったことがきっかけでディック・クラークとの交友が始まった。『Dick Clark's New Year's Rockin' Eve』への度々の出演、季節の定番曲「It's Just Another New Year's Eve」、『American Bandstand』の記念特番『アメリカン・ミュージック・アワード』での演奏、1985年のテレビ映画『コパカバーナ』はすべてクラークとの共同プロジェクトである。
「哀しみのマンディ」以降、1970年代から1980年代初めにかけてシングルおよびアルバムのヒットが続いた。マルチ・プラチナ・アルバムとしては『歌の贈りもの』『想い出の中に』『愛と微笑の世界』『ワン・ヴォイス』がある。
ソングライターでありながらもマニロウは提供曲によって成功をおさめた。「哀しみのマンディ」「うつろな想い」「恋のウィークエンド」「想い出のなかに」 「涙色の微笑」「愛に生きる二人」は自作曲ではない。「歌の贈りもの」もザ・ビーチ・ボーイズのブルース・ジョンストンによる作品である。作曲はしていないものの、ロン・ダンテと共同で編曲、プロデュースは行った。
ベスト・アルバム『Manilow Magic The Best Of Barry Manilow』のリリースをきっかけにイギリスでもブレイクした。このアルバムはテレビで大々的に宣伝され、入手方法はTelediscレーベルによる通信販売のみだった。
1970年代後期から1980年代初期にかけてABCの4本の特別番組に出演し、エグゼクティブ・プロデューサーも務めた。『The Barry Manilow Special』は、ペニー・マーシャルをゲストに迎え、1977年3月2日に放送されて3,700万人に視聴された。この特番はエミー賞の4部門にノミネートされ、「Outstanding Comedy-Variety or Music Special」部門で受賞した。
レイ・チャールズがゲスト出演した1978年の『The Second Barry Manilow Special』は、エミー賞の4部門にノミネートされた。
マニロウの「愛に生きる二人」と「コパカバーナ」は元々映画『ファール・プレイ』の楽曲だった。「愛に生きる二人」は同年のアカデミー歌曲賞にノミネートされた。「コパカバーナ」はのちに歌詞を元にミュージカル化され、テレビ版にはマニロウが主演し、他に3本が劇場で上演された。
1979年2月11日、HBOにてカリフォルニア州ロサンゼルスのグリーク・シアターでのコンサートが放送された。これは初の有料放送で、プライムタイムの視聴率を試すものとなった。1978年にロイヤル・アルバート・ホールで行われた同ツアーは1時間特番としてイングランドで放送された。
1979年5月23日、ABCはジョン・デンバーをゲストに迎えた『The Third Barry Manilow Special』を放送した。この特番はエミー賞の2部門にノミネートされ「Outstanding Achievement in Choreography」部門で受賞した。同年、ディオンヌ・ワーウィックの復帰アルバム『ディオンヌ』をプロデュース。アリスタから発売された同アルバムはワーウィックにとって初のプラチナ・ディスクとなり、「I'll Never Love This Way Again」や「Deja Vu」が収録された。
1980年代
[編集]1980年代、マニロウは「ふたりのオールド・ソング」「Somewhere Down The Road」「涙のラスト・レター」でアダルト・コンテンポラリー・チャートのヒットを記録した。その後も10年間、ラジオで高い頻度で放送され続けた。
イングランドでは、ロイヤル・アルバート・ホールでコンサートが開かれ5公演すべて完売、50万人近くが21,500席のチケットを求めた。アメリカでは1984年、ニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールで10公演を完売、ミュージックホール52年の歴史上最高の200万ドルの興行記録を作り上げた。
1980年、ディオンヌ・ワーウィックをゲストに迎えた特別番組『One Voice』がエミー賞の「Outstanding Achievement in Music Direction」にノミネートされた。
1980年にはまた、ウェンブリー・アリーナでの完売コンサートがツアー中に放送された。マニロウはセルフ・タイトルのアルバム『バリー』をリリースしたが、これは15位に終わりアメリカでトップテンに入らなかった初のアルバムとなった。このアルバムには「I Made It Through The Rain」や「バミューダ・トライアングル」が収録された。「いまなら、きっと…」は1980年の映画『マイ・ハート マイ・ラブ』で使用された。
続いて1981年にアルバム『愛は、あなただけ』をリリース。「ふたりのオールド・ソング」「Somewhere Down the Road」「レッツ・ハング・オン」が収録された。それまではロン・ダンテとの共同プロデュースであったが、このアルバムは単独でプロデュースされた。
ペンシルベニア州ピッツバーグのピッツバーグ・シヴィック・アリーナで行われた完売コンサートは、Showtimeで全国放送され、フィラデルフィアでは今はなき地域限定スポーツ・映画チャンネル「PRISM」で放送された。
1982年、ロイヤル・アルバート・ホールでの完売ショーがイングランドで放送された。ライブ・アルバムおよびビデオ『Live in Britain』に同公演の模様が収録された。
1983年8月27日、イギリスのブレナム宮殿で、画期的な屋外コンサートを行った。こういった形式のイベントは初めてで、観客動員数は控えめに推定して40,000人とされる。同年12月、マニロウがワールド・ツアーで訪れたアメリカとカナダの主要大学6校の音楽学部に寄付をしたと報じられた。この基金は、若い才能を発掘し、育てる活動の一環として行われた。
レコーディング・キャリアの初期から、アルバムにレコード・エグゼクティブのクライヴ・ディヴィスからの影響を受けることをしぶしぶ許可していたが、中期にはマニロウ自身の音楽性を探求しレパートリーを拡大し始めた。その結果、1984年の一発録りによるジャズ/ブルース・アルバム『パラダイス・カフェ - 2:00A.M.』が生まれた。1984年にサラ・ヴォーンやメル・トーメなどの伝説的ジャズ歌手とともにアルバムを録音するマニロウのドキュメンタリー番組がShowtimeで放送された。
1984年と1985年に、イングランドのナショナル・エキシビジョン・センターで行われたコンサートの1時間特番が2本放送された。

1985年に、アリスタ・レコードを去りRCAレコードに移籍した。RCAからポップ・アルバム『MANILOW』をリリースし、フランス語、イタリア語、ポルトガル語、日本語をはじめとする多言語で歌い、デュエットもし、国際的な音楽の段階を開始した。アルバム『MANILOW』は『パラダイス・カフェ - 2:00A.M.』とは逆に、現代的でアップ・テンポな曲やシンセサイザーを使った曲を多数収録した。同年、日本の日本武道館で行われたコンサート特番では「さくらさくら」を琴で演奏する姿が放送された。
1985年にトニー・スター役でCBSのミュージカル番組『コパカバーナ』に主演。映像作品での演技を伴う出演はこれが最初で最後である。共演はローラ・ラマール役のアネット・オトゥール、リコ役のジョセフ・ボローニャ。これは初のテレビ用ミュージカルで、TVガイド誌による1985年最高のテレビ特番のうちの1つに選ばれた。マニロウは実績のある共同制作者ブルース・サスマンとジャック・フェルドマンによる歌詞を用いて映画の使用曲を全曲作曲した。RCAレコードも、映画のサウンドトラック・アルバムを発表した。
1986年10月、ブルース・サスマン、トム・スコット、チャーリー・フォックスとともにワシントンD.C.を訪れ、2日間に渡り議員と会談し、当時のアル・ゴア上院議員(民主党-テネシー州)と昼食をともにした。訪問の目的は地元のテレビ局によって提唱される、シンジケートにされたテレビ番組の再放送で主題歌と付随音楽のソングライター-製作者ソースライセンスを負託して、現行の包括的な許可の使用を認めない著作権法案に反対するロビー活動のためであった。ソングライターによると、包括的な許可なしではシリーズが成功するかどうかわからず、アーティストは前金で個々に製作者と交渉しなければならない。現行では曲の使用回数分支払われる方式である。マニロウは、この法案が完全に包括的な許可をなくす放送局の先例の働きをするとコメントした。
翌年、3年がかりで完成した自伝『Sweet Life: Adventures on the Way to Paradise』が、McGraw-Hillから出版された。自伝の宣伝の一環として応えた電話インタビューで、マニロウは自身の音楽について「私はのどかなロサンゼルスに住んでいるが、気持ちは精力的なニューヨーカーであり、それは音楽にも反映している。批評家に退屈でくだらないバラードだと言われるたびに驚いた」と述べている。
マニロウは、1987年にアリスタ・レコードに復帰し『スイング・ストリート』をリリースした。このアルバムは、伝統的なアフターダークとテクノ・ジャズの混成を含み、マニロウの自叙伝的な歌である「Brooklyn Blues」、マイアミ・サウンド・マシーンのリード・シンガー、グロリア・エステファンの夫であるエミリオ・エステファンのプロデュースで、キッド・クレオール&ザ・ココナッツのバックアップによるアップテンポなラテン・スタイルの「ヘイ・マンボ」などが収録された。
1988年3月、キッド・クレオール&ザ・ココナッツ、フィリス・ハイマン、スタンリー・クラーク、カーメン・マクレエ、トム・スコット、ジェリー・マリガン、ダイアン・シューア、フル・スウィング、当時のバック・バンド「Uncle Festive」を含むゲストを招き『スイング・ストリート』と『パラダイス・カフェ - 2:00A.M.』という2枚のアルバム曲を演奏した『Big Fun on Swing Street』がCBSで放送された。この特番はエミー賞の「Outstanding Lighting Direction (Electronic): For a Variety」と「Music or drama series, a miniseries or a special」の2部門にノミネートされ、「Outstanding Art Direction for a Variety or Music program」を受賞した。
イングランドでは、「Big Fun Tour de Force」ツアー中、もう一つのNECアリーナで行われた1時間のコンサート特番が放送された。
1988年、ディオンヌ・ワーウィック率いるワーウィック財団のための慈善コンサート「That's What Friends Are For: AIDS Concert '88」で「愛は哀しみをこえて」と「哀しみのマンディ/恋はマジック」を演奏し、2年後にShowtimeで放送された。
1988年、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズのアニメ映画『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』でベット・ミドラー演じるキャラクターによってマニロウ作曲の新曲「Perfect Isn't Easy」が歌われた。
1989年発表のアルバム『バリー・マニロウ』には、「愛は哀しみをこえて」「イーチ・アザー・ウォーム」「The One That Got Away」が収録され、自作曲収録アルバムの連続に終止符を打った。2曲を除けば作曲も編曲も他人によるもので、カバーとコンピレーションの始まりだった。
1989年4月18日から6月10日にかけて「Barry Manilow at the Gershwin」44公演を行った。偶然ながら、Gershwin Theatre(正式にはUris Theatreと呼ばれる)は、初回のABCテレビ特番が収録された場所でもある。
『ライヴ・オン・ブロードウェイ』の翌年に発売された同ショーの90分間のビデオはベストセラーとなった。1時間特番『Barry Manilow SRO On Broadway』は、このビデオからのハイライトを編集した。マニロウは、ブロードウェー・ショーの完売となったワールド・ツアーにこのセットを付け加えた。
1990年代
[編集]1990年代、マニロウはシンガーソングライターからカバー・アーティストへと転向し、アルバムの内容が大幅に変化した。1989年リリースのアルバム『バリー・マニロウ』からの流れを汲んで、1990年にクリスマス・アルバム『ビコーズ・イッツ・クリスマス』をリリース。ブロードウェイの曲を集めた『ショウストッパーズ』(1991年)、『ウィズ・ザ・ビッグ・バンド』(1994年)、1970年代後期の曲を集めた『サマー・オブ・'78』と「イベント」的なアルバムが続いた。フランク・シナトラの死後数ヶ月でリリースしたトリビュート・アルバム『マニロウ・シングス・シナトラ』(1998年)で1990年代を終えることとなる。
1990年、日本で『National Eolia Special: Barry Manilow On Broadway』が放送され、1989年から1990年にかけて行われた「Live on Broadway」ツアーからの曲に加え、「夢の中のエオリア」(エアコンのCMソング)を歌った。
1990年代前半、マニロウは3本のアニメ映画のために作詞家ジャック・フェルドマンとブルース・サスマンの詞に曲をつける契約をドン・ブルースと結んだ。マニロウは『おやゆび姫 サンベリーナ』(1994年)と『ペンギン物語〜きらきら石のゆくえ〜』(1995年)のためのブロードウェイ風の曲を共作した。3本目の映画『Rapunzel』は『ペンギン物語〜きらきら石のゆくえ〜』の失敗によりお蔵入りとなった。マニロウは、クリケットの声に配役されることになっていた。
1992年2月19日、マニロウは下院法案3204「The Audio Home Recording Act of 1991」を支持するために、知的財産権及び司法行政下院委員会の小委員会で証言した。この法案は、同年10月28日にジョージ・H・W・ブッシュ大統領によって署名された。家電業界と音楽業界の歴史的な妥協案であるこの法案はすぐに発効された。
1993年、資金集めのために同年にイングランドのウェンブリー・アリーナで収録された『Barry Manilow: The Best of Me』がPBSで放送された。BBCでも同番組が1時間枠で放送され、マニロウいわく「lucky strike extra」と呼ばれるビデオ『ザ・ベスト・オブ・ミー - ザ・グレイテスト・ヒッツ・ツアー』未収録曲を特別に披露した。
1994年3月30日に公開されたドン・ブルース監督のワーナー・ブラザース長編アニメーション・ミュージカル映画『おやゆび姫 サンベリーナ』では、『クレイジー・フォー・ユー』や『リトル・マーメイド』のジョディ・ベンソンを主演に迎え、劇中歌すべての作曲を担当。またマニロウ自身も、エンドタイトル・ソング「Let Me Be Your Wings」を歌った。
マニロウは長年の付き合いの作詞家ブルース・サスマンとともにミュージカル『コパカバーナ』をリメイクした。リメイクにはマニロウによる新曲を含み、ロンドン・ウエスト・エンドで2年間上演され、ツアー会社が作られた。
1996年12月、2本の『Live By Requests』のうちの1本目『Barry Manilow: Live By Request』がA&Eで放送された。この放送は240万人が視聴したと推定され、A&Eの最高視聴率記録を塗り替えた。この番組はラジオでも同時放送された。1997年3月、ヒット曲や当時の最新アルバム『サマー・オブ・'78』からの曲のピアノ・ソロとインタビューからなる1時間特番『Barry Manilow: The Summer of '78』が、VH-1で放送された。
マニロウとサスマンはカリフォルニア州サンディエゴ・ラホヤにあるラホヤ・プレイハウス(La Jolla Playhouse)にて、1997年10月7日から11月23日まで上演されたミュージカル『Harmony』を共作した。2003年後半、『Harmony』はフィラデルフィアでブロードウェイ進出前にテスト上演される予定だったが、財政難で中止を余儀なくされた。2005年、プロデューサーのマーク・シュワルツと法廷で争い、マニロウとサスマンはミュージカルの版権を取り戻した。このミュージカルがいつブロードウェイに上陸するかは現在不明である。
1999年10月23日、ネバダ州ラスベガスのマンダレイ・ベイで収録された2時間特番『StarSkates Salute to Barry Manilow』がNBCで放送された。同番組では多数のフィギュアスケーターがマニロウの音楽に合わせて演技を披露し、マニロウも演技を披露した。
2000年代
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21世紀はテネシー州ナッシュビルのテネシー・パフォーミング・アーツ・センターで2日連続で収録された『Manilow Country』『Manilow Live!』の2本の特番で幕を開けた。2000年4月11日、2時間特番『Manilow Country』が、The Nashville Network (TNN)で放送された。同番組ではカントリー・スターのトリーシャ・イヤウッド、ニール・マッコイ、ディーナ・カーター、ジョディー・メッシーナ、ローリー・モーガン、ケビン・シャープ、ライラ・マッキャン、ジリアン・ウェルチ、ジャシー・ベラスケスがマニロウのヒット曲をカントリー風にアレンジして歌い、マニロウも歌を披露した。同番組はTNN初の高視聴率番組となり、TNNの最高視聴率コンサート特番のうちの1つとなった。
2000年6月、30人のオーケストラと合唱隊をバンドに加えた2時間のコンサート特組『Manilow Live!』がディレクTVで放送された。ヒット曲を多数含む直近のコンサート・ツアーを記録したこの高精細度テレビジョン放送特番はビデオ化された。
2000年、モニカ・マンシーニと共同でコンコードから発売されたマンシーニのアルバム『The Dreams of Johnny Mercer』を制作。マニロウは7曲、マーサーの詞にメロディーをつけた。
一方、マニロウとアリスタ・レコードとの契約は、新しい管理体制により更新されなかった。マニロウはカリフォルニアのジャズ・レーベル、コンコード・レコードと契約し、長いこと計画を練っていたコンセプト・アルバム『ヒア・アット・ザ・メイフラワー』の制作にとりかかった。このアルバムもまた様々なスタイルの折衷混合で、ほぼ全曲マニロウ自身によって作曲、プロデュースされた。
コンコード・レコードとの契約期間中、2002年から2005年まで4年連続で作詞能力を評価するために6人の優秀な学生に「The Barry Manilow Scholarship」を授与した。UCLAのエクステンション・コース「Writing Lyrics That Succeed and Endure」はマニロウの長年の共同制作者マーティ・パンザーによって教えられ、学生たちは、それぞれパンザーの個人指導3時間に加え「マスタークラス」を3コマ受講した。奨学金受取者はコースの成績、作詞能力、インストラクターによる作曲の素質の評価を基準にインストラクターによって選ばれた。
2002年2月、アリスタ・レコード発売のベスト・アルバム『歌の贈りもの〜ベスト・オブ・バリー・マニロウ』がBillboard 200(アルバムチャート)初登場3位を記録し、久しぶりのヒットとなった。同年5月18日、マニロウは『歌の贈りもの〜ベスト・オブ・バリー・マニロウ』の宣伝のためにCBSに出演、1988年の『Big Fun Swing Street』特番以来14年ぶりのCBS出演となった。特番はハリウッドのコダック・シアターで収録され、「Outstanding Music Direction」部門でエミー賞にノミネートされた。
2003年9月30日に、マニロウのプロデュースによる『ローズマリー・クルーニー・ソングブック』がリリースされた。これは20年以上ぶりのベット・ミドラーとの共同作業となった。アルバムはゴールド・ディスクとなり、続いて2005年には『Bette Midler Sings the Peggy Lee Songbook』を共同制作した。
2003年12月3日、2公演のコンサートのうちの2公演目の『A Barry Manilow Christmas: Live by Request』がA&Eで放送された。この2時間特番ではクリスマス・ソングのリクエストを受けてバンドおよびオーケストラとともに演奏した。シンディ・ローパー、ホセ・フェリシアーノ、ベット・ミドラーがゲスト出演した。
2004年には、ライブ・アルバム『2Nights Live!』(2004年、BMG Strategic Marketing Group)とミュージカルの楽曲を収録した『スコアーズ~フィーチャリング・コパカバーナ&ハーモニー』の2枚のアルバムをリリースした。『スコアーズ』はコンコード・レコードから発売された最後のアルバムとなった。
2004年9月15日、マニロウが『オプラ・ウィンフリー・ショー』に3度目の出演をした際、ウィンフリーはマニロウが同番組で最も視聴者からのリクエストの多いゲストの1人であると発表した。番組で「One Night Live! One Last Time!」ツアーの宣伝を行い、最後の公演ではないが、トラックとバスによる移動で6ヵ月間行うツアーはこれが最後となること、大都市での公演は今後も行うことを発表した。同ツアーは22都市で完売し、25万人を動員、最新アルバムの宣伝となった。
2004年12月14日、ネバダ州ラスベガスのラスベガス・ヒルトン・ホテル経営陣はマニロウとともに記者会見を行い、長期公演「ミュージック・アンド・パッション」を行う契約をしたと発表した。2006年3月、公演契約は2008年まで延長された。
マニロウは2006年1月31日にリリースされるカバー・アルバム『ザ・グレイテスト・ソングス・オブ・ザ・フィフティーズ』のために、クライヴ・ディヴィスの提案でアリスタ・レコードに復帰した。デイヴィスがマニロウのラスベガス・ショーに出向き提案したときに、マニロウはこれに感動したと告げた。「彼に提案されたとき、私は額を叩き、こう言った。『なぜ誰もこの考えにいたらなかったのか?』と。クライヴ・ディヴィスは唯一無二の存在。長い年月を経て再び彼と働けることは光栄でありとても幸運に思う。故郷に帰るような気分」と、マニロウは言った。アルバムには「Are You Lonesome Tonight?」や「アンチェインド・メロディ」など往年のヒット曲を収録。予想に反し、2006年2月18日付のチャート初登場1位を記録するヒットとなった。同チャートでの1位は『バリー・マニロウ・ライヴ』以来29年ぶりであり、初登場1位となったのはこれが初めてであった。アメリカでプラチナ・ディスクを獲得し、全世界で300万枚以上を売り上げた。
2006年3月、PBSの資金集めの一環として、ヒルトン公演の模様を収録した『Barry Manilow: Music and Passion』がPBSで放送された。マニロウはエミー賞の2部門にノミネートされ、「Outstanding Individual Performance in a Variety or Music Program」部門で受賞した。
2006年10月31日に、1950年代トリビュート・アルバムの続編として、「アンド・アイ・ラヴ・ハー」や「好きにならずにいられない」を含む『ザ・グレイテスト・ソングス・オブ・ザ・シックスティーズ』リリース。前作に続くヒットとなり、Billboard 200で初登場2位を記録した。
2007年1月、故郷のニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートを3公演行った。目玉の一つとして、マニロウが生演奏し、スクリーンではテレビ初出演時の映像を流すというパフォーマンスが行われた。
2007年9月18日に、1950年代、1960年代トリビュート・アルバムの第3弾として、『ザ・グレイテスト・ソングス・オブ・ザ・セヴンティーズ』がリリースされ、Billboard 200で初登場4位を記録した。11月1日には、ホールマーク限定で『イン・ザ・スウィング・オブ・クリスマス』をリリースした。
2008年、『ザ・グレイテスト・ソングス・オブ・ザ・セヴンティーズ』の続編として『The Greatest Songs Of The Eightees』が発売された。
2008年、前年にホールマーク限定で発売された『イン・ザ・スウィング・オブ・クリスマス』がアリスタ・レコードから、「Christmas Is Just Around Corner」を追加して、メジャー・リリースされた。
2010年、『The Greatest Love Songs Of All Time』を発売、メロウな歌唱で様々なラブソングをカバーし披露している。また、全曲オリジナルのロック風のオリジナル・アルバムの発売が予定されていた。同年12月にはノーベル平和賞記念コンサートで「恋はマジック」「涙色の微笑」「哀しみのマンディ」「コパカバーナ」「One Voice」の5曲を披露した。
私生活
[編集]2015年のカミングアウトまで長年世間の反応に怯えて自身の性的指向を明かさずにおり、それがマニロウにとってストレスや不安を招いていた。ゲイリーと出会ったことでより隠さなければいけないという思いは強くなったが、マニロウとゲイリーが連れ立っている姿を見たファンの肯定的な反応により、そういったものは一切なくなったとインタビューで語った[1]。
日本との関わり
[編集]- 1983年、初来日公演を行ない、後にテレビ放映された。また、ノエビア化粧品のCMソングに「You're Looking Hot Tonight(君はLookin' Hot)」が起用された(2~7月)。「君はLookin' Hot」はオリコン洋楽シングルチャートで1983年5月23日付から4週連続1位を獲得した[3]。
- 1985年、西城秀樹に楽曲を提供。「腕の中へ -In Search of Love-」では、西城とのデュエットとして自ら参加して、日本で大ヒットした。また、2度目の来日公演を行った。
- 『腕の中へ〜In Search of Love〜』
- 『愛の翼〜It's All Behind Us Now〜』
- 1989年、ナショナルエアコン「エオリア」でCMソングを担当(「夢の中のエオリア」)。
- 2006年、『The Greatest Songs Of The Fifties』日本盤で、岩崎宏美と「Sincerely/Teach Me Tonight」をデュエット。この縁でラスベガス・ヒルトンで長期公演「MANILOW Music & Passion」にゲスト出演を果たした。「Sincerely/Teach Me Tonight」は、岩崎のカバー・アルバム『Dear Friends III』(2006.9.27)にも収録された。
- 2006年、日本でキャメロン・ディアスが出演するソフトバンクモバイルのCMソングに「コパカバーナ」が起用された。
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- 『恋はマジック』 - Barry Manilow (1973年、Bell)
- 『哀しみのマンディ』 - Barry Manilow II (1974年、Bell)
- 『歌の贈りもの』 - Tryin' To Get The Feeling (1975年、Arista)
- 『想い出の中に』 - This One's For You (1976年、Arista)
- 『愛と微笑の世界』 - Even Now (1978年、Arista)
- 『ワン・ヴォイス』 - One Voice (1979年、Arista)
- 『バリー』 - Barry (1980年、Arista)
- 『愛は、あなただけ』 - If I Should Love Again (1981年、Arista)
- 『ヒア・カムズ・ザ・ナイト』 - Here Comes The Night (1982年、Arista)
- 『パラダイス・カフェ - 2:00A.M.』 - 2:00 AM Paradise Cafe (1984年、Arista)
- 『MANILOW』 - Manilow (1985年、RCA)
- 『スイング・ストリート』 - Swing Street (1987年、Arista)
- 『バリー・マニロウ』 - Barry Manilow (1989年、Arista)
- 『ビコーズ・イッツ・クリスマス』 - Because It's Christmas (1990年、Arista)
- 『ショウストッパーズ』 - Showstoppers (1991年、Arista)
- 『ウィズ・ザ・ビッグ・バンド』 - Singin' With The Big Bands (1994年、Arista)
- 『サマー・オブ・'78』 - Summer Of '78 (1996年、Arista)
- 『マニロウ・シングス・シナトラ』 - Manilow Sings Sinatra (1998年、Arista)
- 『ヒア・アット・ザ・メイフラワー』 - Here At The Mayflower (2001年、Concord)
- A Christmas Gift Of Love (2002年、Concord Jazz / Columbia)
- 『スコアーズ~フィーチャリング・コパカバーナ&ハーモニー』 - Scores - Songe From Copacabana And Harmony (2004年、Concord)
- 『ザ・グレイテスト・ソングス・オブ・ザ・フィフティーズ』 - The Greatest Songs Of The Fifties (2006年、Arista)
- 『ザ・グレイテスト・ソングス・オブ・ザ・シックスティーズ』 - The Greatest Songs Of The Sixties (2006年、Arista)
- 『ザ・グレイテスト・ソングス・オブ・ザ・セヴンティーズ』 - The Greatest Songs Of The Seventies (2007年、Arista)
- 『イン・ザ・スウィング・オブ・クリスマス』 - In The Swing Of Christmas (2007年、Arista / Hallmark)
- The Greatest Songs Of The Eighties (2008年、Arista)
- The Greatest Love Songs Of All Time (2010年、Arista)
- 15 Minutes (2011年、Stiletto Entertainment)
- Night Songs (2014年、Stiletto Entertainment)
- My Dream Duets (2014年、Verve Music UMG)
- 『ディス・イズ・マイ・タウン: ソングス・オブ・ニューヨーク』 - This is my town Songs of New York (2017年、Verve Music UMG)
- Night Songs II (2020年、Stiletto Entertainment)
ライブ・アルバム
[編集]- 『バリー・マニロウ・ライヴ』 - Barry Manilow Live (1977年、Arista)
- Live In Britain (1982年、Arista)
- 『ライヴ・オン・ブロードウェイ』 - Live On Broadway (1990年、Arista)
- 2Nights Live! (2004年、Stiletto)
- Live in London (2012年、Stiletto)
- Live at Paris Las Vegas (2014年、Ingrooves)
コンピレーション・アルバム
[編集]- 『グレイテスト・ヒッツ』 - Greatest Hits (1978年、Arista)
- Manilow Magic The Best Of Barry Manilow (1979年、Arista)
- 『グレイテスト・ヒッツ Vol.II』 - Greatest Hits Vol. II (1983年、Arista)
- 『バリー・マニロウ・グレイテスト・ヒッツ』 - The Manilow Collection / 20 Classic Hits (1985年、Arista)
- 『グレイテスト・ヒッツ・イン・スパニッシュ』 - Grandes Éxitos En Español (1985年、RCA)
- 『グレイテスト・ヒッツ Vol.1』 - Greatest Hits Volume I (1989年、Arista)
- 『グレイテスト・ヒッツ Vol.2』 - Greatest Hits Volume II (1989年、Arista)
- 『グレイテスト・ヒッツ Vol.3』 - Greatest Hits Volume III (1989年、Arista)
- The Songs 1975–1990 (1990年)
- 『歌の贈りもの~バリー・マニロウ・ボックス』 - The Complete Collection and Then Some... (1992年、Arista)
- Hidden Treasures (1993年、Arista)
- Greatest Hits: The Platinum Collection (1993年、Arista)
- 『歌の贈りもの〜ベスト・オブ・バリー・マニロウ』 - Ultimate Manilow (2002年、Arista)
- 『エッセンシャル・バリー・マニロウ』 - The Essential Barry Manilow (2005年、Legacy Recordings)
- The Very Best Of Barry Manilow (2005年、Hallmark/Sony BMG)
- Beautiful Ballads & Love Songs (2008年、Arista)
- The Essential Barry Manilow: Limited Edition 3.0 (2010年、Legacy)
- 『プレイリスト: ヴェリー・ベスト・オブ・バリー・マニロウ』 - Playlist: The Very Best of Barry Manilow (2010年、Sony Legacy)
- 『デュエッツ』 - Duets (2011年、Sony Legacy)
サウンドトラック・アルバム
[編集]- 『ファール・プレイ オリジナル・サウンドトラック』 - Foul Play (1973年、Arista) ※映画『ファール・プレイ』サウンドトラック
- 『イン・コパカバーナ』 - Barry Manilow In Copacabana (1986年、RCA) ※『Copacabana』サウンドトラック
- Thumbelina (1994年、SBK) ※映画『おやゆび姫 サンベリーナ』サウンドトラック
- The Pebble And The Penguin (1995年、Rhino) ※映画『ペンギン物語〜きらきら石のゆくえ〜』サウンドトラック
主なシングル
[編集]- 「哀しみのマンディ」 - "Mandy" (1974年)
- 「愛は奇蹟のように」 - "It's A Miracle" (1975年)
- 「恋はマジック」 - "Could It Be Magic" (1975年)
- 「歌の贈りもの」 - "I Write The Songs" (1975年)
- 「うつろな想い」 - "Tryin' to Get the Feeling Again" (1976年)
- 「愛を歌に込めて」 - "This One's For You" (1976年)
- 「恋のウィークエンド」 - "Weekend In New England" (1976年)
- 「想い出のなかに」 - "Looks Like We Made It" (1977年)
- 「デイブレイク (夜明け)」 - "Daybreak" (Live) (1977年)
- "It's Just Another New Year's Eve" (1977年)
- 「涙色の微笑」 - "Can't Smile Without You" (1978年)
- "Even Now" (1978年)
- 「コパカバーナ」 - "Copacabana (At The Copa)" (1978年)
- 「愛に生きる二人」 - "Ready To Take A Chance Again" (1978年)
- 「夜のしじまに」 - "Somewhere in the Night" (1978年)
- 「人生は航海 (シップス)」 - "Ships" (1979年)
- "When I Wanted You" (1979年)
- "I Don't Want To Walk Without You" (1980年)
- 「バミューダ・トライアングル」 - "Bermuda Triangle" (1980年)
- "I Made It Through The Rain" (1980年)
- 「二人でスロー・ダンス」 - "(Why Don't We Try) A Slow Dance" (1980年)
- 「いまなら、きっと…」 - "We Still Have Time" (1980年) ※映画『マイ・ハート マイ・ラブ』テーマ曲
- "Lonely Together" (1981年)
- 「ふたりのオールド・ソング」 - "The Old Songs" (1981年)
- "Somewhere Down the Road" (1981年)
- 「レッツ・ハング・オン」 - "Let's Hang On" (1982年)
- 「OH! ジュリー」 - "Oh Julie" (1982年)
- "If I Should Love Again" (1982年)
- "Stay (live)" (1982年)
- "Stay" (1982年)
- "I Wanna Do It With You" (1982年)
- 「メモリー」 - "Memory" (1982年)
- "I'm Gonna Sit Right Down And Write Myself A Letter" (1982年)
- 「君は恋フレンド」 - "Some Kind Of Friend" (1983年)
- 「涙のラスト・レター」 - "Read 'Em And Weep" (1983年)
- 「君はLookin' Hot」 - "You're Looking Hot Tonight" (1983年) ※ノエビア化粧品CFイメージ・ソング
- 「恋人たちのオクトーバー」 - "When October Goes" (1984年)
- 「パラダイス・カフェ 2:00A.M.」 - "Paradise Cafe" (1985年)
- "Run To Me" (1985年) ※デュエット with ディオンヌ・ワーウィック
- 「イン・サーチ・オヴ・ラヴ (腕の中へ)」 - "In Search Of Love" (1985年)
- 「腕の中へ -In Search of Love-」 - "In Search Of Love" (1985年) ※デュエット with 西城秀樹
- 「この愛とどくまで」 - "He Doesn't Care (But I Do)" (1986年)
- 「アイム・ユア・マン」 - "I'm Your Man" (1986年)
- "Brooklyn Blues" (1988年)
- 「ヘイ・マンボ」 - "Hey Mambo" (1988年) ※with キッド・クレオール&ザ・ココナッツ
- 「イーチ・アザー・ウォーム」 - "Keep Each Other Warm" (1989年)
- 「愛は哀しみをこえて」 - "Please Don't Be Scared" (1989年)
- 「夢の中のエオリア」 - "Eolia" (1989年) ※パナソニック・エアコン、Eoliaキャンペーン・ソング
- "The One That Got Away" (1989年)
- "If I Can Dream" (1990年)
- "If You Remember Me" (1990年)
- "Some Good Things Never Last" (1990年) ※with Debra Byrd & Dana Robbins
- "Because It's Christmas" (1990年)
- 「ジングル・ベル」 - "Jingle Bells" (1990年) ※with エクスポゼ
- 「恋のエピローグ」 - "Epilogue" (1991年) ※デュエット with ナンシー・ウィルソン
- "Another Life" (1992年)
- "Let Me Be Your Wings" (1994年) ※with Debra Byrd
- "I'd Really Love to See You Tonight" (1997年)
- "I Go Crazy" (1997年)
- "Turn the Radio Up" (2001年)
- "River" (2003年)
- "Unchained Melody" (2006年)
- "Love Is A Many Splendored Thing" (2006年)
映像作品
[編集]- 『ザ・ベスト・オブ・ミー - ザ・グレイテスト・ヒッツ・ツアー』 - Greatest Hits...& Then Some (1994年、BMG Video)
- 『マニロウ・ライヴ!』 - Manilow Live! (2000年、Stiletto / Image)
- 『アルティメット・バリー・マニロウ DVD』 - Ultimate Manilow! - Live from Kodak Theatre (2002年、Stiletto / BMG Strategic Marketing Group)
- 『ライヴ・フロム・ラスヴェガス』 - Music and Passion - Live From Las Vegas (2005年、Rhino / Stiletto Television)
- 『ファースト&フェアウェル (ライヴ1974 & 2004)』 - First & Farewell (2006年、Rhino / Stiletto Television)
受賞歴
[編集]- 1979年 Best Male Pop Vocal Performance "Copacabana (At the Copa)"
- 1978年 Favorite Pop/Rock Male Artist
- 1979年 Favorite Pop/Rock Male Artist
- 1980年 Favorite Pop/Rock Male Artist
- 1977年 OUTSTANDING WRITING IN A COMEDY-VARIETY OR MUSIC SPECIAL
- 1977年 OUTSTANDING SPECIAL - COMEDY-VARIETY OR MUSIC
- 1978年 OUTSTANDING WRITING IN A COMEDY-VARIETY OR MUSIC SPECIAL
- 1978年 OUTSTANDING SPECIAL - COMEDY-VARIETY OR MUSIC
- 2006年 Outstanding Individual Performance In A Variety Or Music Program
- '85 FNS歌謡祭 特別賞
日本公演
[編集]- 3月25日 東京プリンスホテル(鳳凰の間)、3月27日、28日、29日 日本武道館、3月30日 NHKホール、4月1日 名古屋市民会館、4月2日、3日 フェスティバルホール、4月4日 福岡サンパレス、4月6日 神奈川県民ホール
- 6月3日 北海道厚生年金会館、6月5日 神奈川県民ホール、6月6日 大阪城ホール、6月7日 福岡国際センター、6月8日 フェスティバルホール、6月10日 愛知県体育館、6月11日 静岡県草薙総合運動場体育館、6月12日、13日、14日 日本武道館
- 4月17日 フェスティバルホール、4月18日、19日 大阪港・クイーン・エリザベス2世号、4月21日 名古屋市民会館、4月22日 昭和女子大学人見記念講堂、4月26日 神戸国際会館、4月27日 浦和市文化センター、4月28日、29日 NHKホール
- 11月25日 神奈川県民ホール
脚注
[編集]出典
[編集]- 1 2 Vincent, Alice (2017年4月6日). “Barry Manilow comes out as gay at 73 and reveals his partner of 39 years”. Telegraph. 2024年12月21日閲覧。
- ↑ 澤田理沙 (2015年4月11日). “「コパカバーナ」歌手バリー・マニロウ、同性婚していた”. シネマトゥデイ 2015年4月11日閲覧。
- ↑ コンピレーション・アルバム『ナンバーワン80s ORICON ヒッツ』の裏ジャケット。ナンバーワン 70s 80s 90s オリコン・ヒッツも参照。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- バリー・マニロウ - オールミュージック
- バリー・マニロウ - IMDb
- バリー・マニロウ - インターネット・ブロードウェイ・データベース
- バリー・マニロウ - Discogs
- 公式ファンクラブ・サイト
- ワーナーミュージック・ジャパン - バリー・マニロウ - ウェイバックマシン(2010年4月14日アーカイブ分)