ケルン級フリゲート
ケルン級フリゲート | |
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基本情報 | |
種別 | フリゲート |
命名基準 | ドイツの都市 |
運用者 |
西ドイツ海軍 トルコ海軍 |
建造期間 | 1957年 - 1964年 |
就役期間 | 1961年 - 1989年 |
前級 |
教育フリゲート (138型) ※旧英海軍ハント級/ブラックスワン級 |
次級 | ブレーメン級 (122型) |
要目 | |
基準排水量 | 2,090トン |
満載排水量 | 2,750トン |
全長 | 109.8 m |
最大幅 | 11.0 m |
吃水 | 4.6 m |
機関方式 | CODAG方式 |
主機 |
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推進器 | 可変ピッチ・プロペラ×2軸 |
出力 |
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電源 | ディーゼル発電機(405 kW)×3基 |
速力 | 32ノット |
航続距離 | 3,450海里 (12kt巡航時) |
乗員 | 238名 |
兵装 |
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FCS |
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レーダー |
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ソナー | CWE-10/PAE-1 船底装備式 |
電子戦・ 対抗手段 |
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ケルン級フリゲート (ドイツ語: Fregatte KÖLN-Klasse, 英: Köln-class frigate) は、ドイツ連邦海軍(西ドイツ海軍)のフリゲートの艦級。公称艦型は120型(Klasse 120)[1][2]。
来歴
[編集]第二次世界大戦後、連合軍軍政期においてドイツは一旦は非武装化された。しかし冷戦構造の成立に伴い、1949年のドイツ連邦共和国(西ドイツ)建国後、1951年には連邦国境警備隊、1955年には連邦軍が設置され、翌1956年にはその海洋戦力として連邦海軍(Bundesmarine; 西ドイツ海軍)が建軍された[3]。
1956年5月、連邦議会は海軍のための最初の艦艇新造計画を認可したが、この計画には護衛艦(Geleitboot)6隻の建造が盛り込まれていた[4]。これによって建造されたのが本級である。設計そのものは「護衛艦55」として1955年より着手されており、1957年に発注された[1][2]。
ただし実際の竣工は数年後となることから、その間の空白を埋めるため、アメリカ海軍から119型駆逐艦(旧フレッチャー級駆逐艦)6隻、イギリス海軍からは138型教育フリゲート7隻(旧ハント級駆逐艦3隻、ブラックスワン級スループ1隻、改ブラックスワン級スループ3隻)の譲渡を受けることとなり、これらは1958年から1960年にかけて順次に編入された[3]。
設計
[編集]本級は、第二次世界大戦後において、ドイツ海軍がはじめて建造した大型戦闘艦であり、世界で初めてCODAG(ディーゼル=ガスタービン複合機関)を搭載した艦でもある。本級の主機関は、4基のMAN社製V型16気筒ディーゼルエンジン(2,208 kW (2,961 hp))と2基のブラウン・ボベリ(BBC)社製ガスタービンエンジン(8,832 kW (11,844 hp))を組み合わせたものであり、また電力供給のため、550hp / 405kWのディーゼル発電機を3基搭載する。このガスタービンエンジンは舶用専用として設計されたものであり、また推進器にも可変ピッチプロペラ(CPP)を採用するなど多くの新機軸が盛り込まれた[2]。船型としては平甲板型を採用しており、船体は13個の水密区画に区分されている[5]。
装備
[編集]本級は、対潜戦に重点をおいた装備が施されている。対潜兵器としては533mm短魚雷発射管のほか、対潜迫撃砲として、艦橋直前の甲板室上にM/50 375mm対潜ロケット発射機が搭載されている。センサとなるソナーとしては、CWE-10/PAE-1が搭載される。これは同一のソナードームを共用する複合ソナー・システムであり、前者は10.5/11kHz、後者は24kHzを使用するサーチライト・ソナーである。また、水中攻撃指揮装置(UBFCS)としてはM5(対潜ロケット砲用)およびM9(魚雷用)が用いられるが、これはアメリカのMk.105におおむね相当する[6]。
また本級は砲装型のフリゲートであり、防空・対水上火力に関しては砲熕兵器に依存している。主砲としてはフランス製の新しい両用砲システムである55口径100mm単装砲(Modèle 53)、高角機銃としては、やはり新型のボフォース 70口径40mm機関砲がブレーダ・メッカニカ・ブレシャーナ社製マウントと組み合わされて採用された[7]。
しかし船体は比較的小型で発展余地も少なかったことから、就役後に登場した新しいテクノロジーである個艦防空ミサイルや艦対艦ミサイル、C4Iシステムには対応できなかった。また対潜戦についても、就役後に登場した艦載ヘリコプターの運用設備(ヘリコプター甲板や格納庫)の設置には対応できなかった[5]。
同型艦
[編集]一覧表
[編集]# | 艦名 | 起工 | 進水 | 就役 | 退役 | 備考 |
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F220 | ケルン Köln |
1957年 12月21日 |
1958年 12月6日 |
1961年 4月15日 |
1982年 7月14日 |
ノイシュタット市(de)にて、船体をダメージコントロール訓練に利用。 |
F221 | エムデン Emden |
1958年 4月15日 |
1959年 3月21日 |
1961年 10月24日 |
1983年 9月23日 |
トルコ海軍にてD-361「ゲムリク」として再就役(1983〜1989) |
F222 | アウクスブルク Augsburg |
1958年 10月29日 |
1959年 8月15日 |
1962年 4月7日 |
1988年 3月31日 |
ハンブルクにて解体。 |
F223 | カールスルーエ Karlsruhe |
1958年 12月15日 |
1959年 10月24日 |
1962年 12月15日 |
1983年 3月28日 |
トルコ海軍にてD-360「ゲリボル」として再就役(1983〜1992) |
F224 | リューベック Lübeck |
1959年 10月28日 |
1960年 7月23日 |
1963年 7月6日 |
1988年 12月1日 |
予備部品確保用としてトルコに譲渡 |
F225 | ブラウンシュヴァイク Braunschweig |
1960年 7月28日 |
1962年 2月3日 |
1964年 7月16日 |
1989年 7月4日 |
トルコ海軍にてD-361「ゲムリク」として再就役(1989〜1994) |
運用史
[編集]1957年から1964年にかけて、西ドイツのストラッケン&ゾーン造船所において6隻が建造された。これらは1961年より順次に就役を開始し、続いて建造されたハンブルク級駆逐艦とともに、1970年代・1980年代において西ドイツ海軍の基幹兵力となった。しかし上記の通り発展余地が乏しく、性能が限定的であったことから、後継となるブレーメン級フリゲートの就役に伴って順次に運用を終了し、1989年までに全艦が退役した[1]。
退役後、本級のうち3隻はトルコ海軍に譲渡され、うち2隻が再就役したものの、これらも1994年までに運用を終了した。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c Gardiner 1996, p. 144.
- ^ a b c 海人社 1998.
- ^ a b 青木 1998.
- ^ Gardiner 1996, p. 141.
- ^ a b Koop & Breyer 1996.
- ^ Friedman 1997, p. 600.
- ^ Prezelin 1990, p. 538.
参考文献
[編集]- Friedman, Norman (1997), The Naval Institute Guide to World Naval Weapon Systems 1997-1998, Naval Institute Press, ISBN 9781557502681
- Gardiner, Robert (1996), Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995, Naval Institute Press, ISBN 978-1557501325
- Koop, Gerhard; Breyer, Siegfried (1996), Die Schiffe, Fahrzeuge und Flugzeuge der deutschen Marine von 1956 bis heute, Bernard & Graefe Verlag, ISBN 9783763759507
- Moore, John E. (1975), Jane's Fighting Ships 1974-1975, Watts, ASIN B000NHY68W
- Prezelin, Bernard (1990), The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 1990-1991, Naval Institute Press, ISBN 978-0870212505
- 青木栄一「戦後ドイツ海軍の歩み (ドイツ軍艦の戦後史)」『世界の艦船』第542号、海人社、69-73頁、1998年9月。doi:10.11501/3292326。
- 海人社 編「水上戦闘艦 (第2次大戦後のドイツ軍艦)」『世界の艦船』第542号、海人社、80-83頁、1998年9月。doi:10.11501/3292326。