アウクスブルク (フリゲート・初代)

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アウクスブルク
基本情報
建造所 H.C.ストラッケン&ゾーン ハンブルク造船所
運用者  ドイツ海軍
艦種 フリゲート
級名 ケルン級
艦歴
起工 1958年10月29日
進水 1959年8月15日
就役 1962年4月7日
退役 1988年3月30日
その後 ハンブルクにてスクラップとして解体
要目
排水量 2.969 t
全長 109.8m
最大幅 11.2m
吃水 3.54m
機関 CODAG方式、2軸推進
Brown, Boveri & Cieガスタービン × 2基
MANV型16気筒 4ストロークディーゼル × 4基
出力 17,664kW(ガスタービンエンジン2基)
8,832kW(ディーゼルエンジン4基)
26,496kW(ガスタービン+ディーゼルの合計)
速力 34ノット(ガスタービン+ディーゼル)
28ノット(ガスタービンのみ)
23ノット(ディーゼルのみ)
航続距離 海里
乗員 210名 - 238名
兵装 Mle.53 100mm両用単装砲 × 2基
ブレダMod.58-II MDL 40mm連装機関砲 × 2基
ボフォースMod.58 40mm単装機関砲 × 2基
M/50 375mm対潜ロケット4連装発射機 × 2基
533mm魚雷発射管 × 4基
Mk44魚雷を発射する。)
レーダー 航法レーダー KH14/9
監視レーダー SGR105/04, SGR103/02
火器管制レーダー MV2/3Du, M4/1Du, M5/1Du, M9/3Du
ソナー CWE10 魚雷誘導ソナー
PAE1A 対潜ロケット照準ソナー
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アウクスブルクドイツ語: Augsburg, F 222)とは、西ドイツ海軍フリゲートであり、ケルン級フリゲートの3番艦である。

艦名はバイエルン州第3の都市であるアウクスブルク市に由来し、この名を冠するドイツ海軍艦艇としては2代目に相当する。

艦歴[編集]

「アウクスブルク」は、H.C.ストラッケン&ゾーン・ハンブルク造船所にて1958年10月29日に起工し、1959年8月15日の進水式には当時のアウクスブルク市長クラウス・ミュラー(Dr. Klaus Müller)とその妻アニー・ミュラー(Anny Müller)が出席し、アウクスブルクと命名された。

その後は艤装と試験航海を行った後の1962年4月7日に西ドイツ海軍に就役し、他の姉妹艦と共に第2護衛艦戦隊(2. Geleitgeschwader)に配備された[1]

「アウクスブルク」をはじめとするケルン級フリゲートはバルト海での作戦行動を前提に設計されており、米ソ全面戦争勃発時には、バルト海北海を通って北欧諸国への増援に向かうNATO軍輸送船団をソ連海軍およびワルシャワ条約機構加盟国(東ドイツとポーランド)海軍の潜水艦から護衛することになっていた。

「アウクスブルク」は就役後、北海やバルト海、北大西洋地中海におけるNATO軍の合同演習に多数参加してきたが、新型のブレーメン級フリゲートの建造と就役が進められたこともあって1987年10月1日に「アウクスブルク」の運用終了が決定され、1988年3月30日に退役した。

退役後の「アウクスブルク」の船体は、ヴィルヘルムスハーフェンの海軍工廠(Marinearsenal[2]に保管された後にVerwertungsunternehmen des Bundes(VEBGE)に売却され、1989年11月17日にハンブルクへ曳航され翌12月に解体された。

備考[編集]

  1. ^ 第2護衛艦戦隊の母港は、1958年2月1日の編成以来クックスハーフェンCuxhaven)に置かれていたが、1968年にヴィルヘルムスハーフェンに移転。
    第2護衛艦戦隊は1988年9月30日に解隊され、残存の「F224 リューベック」と「F225 ブラウンシュヴァイク」は翌10月1日に編成された第2フリゲート戦隊(2. Fregattengeschwader)に転属となった。
  2. ^ 海軍工廠は、連邦軍の兵器調達を担当する軍備範囲Rüstungsbereich)の管轄下にある。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]