アルフレード・ジャンネッティ

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Alfredo Giannetti
アルフレード・ジャンネッティ
生年月日 (1924-04-16) 1924年4月16日
没年月日 (1995-07-30) 1995年7月30日(71歳没)
出生地 イタリア王国の旗 イタリア王国 ローマ
死没地 イタリアの旗 イタリア ローマ
国籍 イタリアの旗 イタリア
職業 脚本家映画監督
ジャンル ネオレアリズモイタリア式コメディ
活動期間 1953年 - 1995年
活動内容 1953年 脚本家デビュー
1961年 映画監督デビュー
主な作品
鉄道員
イタリア式離婚狂想曲
 
受賞
アカデミー賞
第35回アカデミー賞脚本賞
イタリア式離婚狂想曲
その他の賞
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アルフレード・ジャンネッティAlfredo Giannetti, 1924年4月16日 - 1995年7月30日)は、イタリア脚本家映画監督である[1][2]

来歴・人物[編集]

1924年(大正13年)4月16日イタリア王国(現在のイタリア共和国ローマに生まれる[1]

1953年(昭和28年)に公開されたジュゼッペ・デ・サンティス監督の映画『アンナ・ツァッケオの夫』の脚本に参加し、脚本家としてデビューする[1]。1959年(昭和34年)に公開されたピエトロ・ジェルミ監督の『刑事』の脚本執筆に参加、翌1960年(昭和35年)には、同作を共同執筆したジェルミ、エンニオ・デ・コンチーニとともに、ナストロ・ダルジェント賞脚色賞を受賞する[1]

1961年(昭和36年)に公開されたピエトロ・ジェルミ監督の『イタリア式離婚狂想曲』の脚本執筆に参加、同年、『毎日必死に』で映画監督としてデビューを果たす[1]。『イタリア式離婚狂想曲』を共同執筆したジェルミ、エンニオ・デ・コンチーニとともに、1962年(昭和37年)にはナストロ・ダルジェント賞脚本賞を、1963年(昭和38年)4月8日に発表・授賞式が行われた第35回アカデミー賞ではアカデミー脚本賞を受賞する[1]

1993年(平成5年)に放映されたテレビ映画ドリス・体制の歌姫』、1995年(平成7年)に放映されたロドルフォ・ロベルティ監督のテレビ映画『別離と帰還』がそれぞれ最後の監督作、脚本作となった[1]。同年7月30日、ローマで死去した[1]。満71歳没。

おもなフィルモグラフィ[編集]

17作を監督し、32作の脚本を書いた[1]

参考文献[編集]

関連事項[編集]

[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i Alfredo Giannetti, インターネット・ムービー・データベース (英語), 2011年1月5日閲覧。
  2. ^ Alfredo Giannetti, allmovie (英語), 2011年1月5日閲覧。
  3. ^ Rodolfo Roberti - IMDb(英語), 2011年1月7日閲覧。

外部リンク[編集]