大手門
大手門(おおてもん)とは、日本の城郭における内部二の丸または、三の丸などの曲輪へ通じる大手虎口に設けられた城門。正門にあたる。
概要
元は追手門(おうてもん)と書かれ[1]、高知城など、城によっては現在も追手門と表記しているところもある。これに対して背面の門は搦手門(からめてもん)と呼ばれる。
防御のために厳重な築造がされ、大規模な櫓門を開いたり石塁などにより枡形をしていることが多い。見た目も大きく、目立つように造られる。また、橋は土橋であることが多い。
一覧
以下に列挙した例は一部である。以下の出所については脚注[2][3]を参照されたい。 (以下のいずれも50音順)
現存
- 大坂城大手門 - 渡櫓型の櫓門と高麗門からなる枡形門[注釈 1]。1628年(寛永5年)の建築。多聞櫓、千貫櫓、塀三棟を含め国の重要文化財。
- 高知城追手門 - 渡櫓型の櫓門。1801年(享和元年)の再建。国の重要文化財。
- 小諸城大手門 - 二階門型の櫓門。瓦門とも呼ばれ、2008年に修復復元。国の重要文化財。
- 名古屋城二の丸大手二の門(西鉄門) - 渡櫓型の櫓門と高麗門からなる枡形門。内、高麗門形式の二の門が現存する。国の重要文化財。
- 二条城北大手門 - 渡櫓型の櫓門。1626年(寛永3年)ごろの建築。国の重要文化財。
- 二条城東大手門 - 渡櫓型の櫓門。1662年(寛文2年)の再建。国の重要文化財。
- 弘前城三ノ丸追手門 - 二階門型の櫓門。外壁仕上げに真壁造を採用している。国の重要文化財。
- 福岡城下ノ橋御門 - 渡櫓型の櫓門。2000年(平成12年)に1階部分が一部焼失したが、2007年(平成19年)に櫓部分の復元とともに修復復元。福岡県の重要文化財。
- 丸亀城大手門 - 渡櫓型の櫓門と高麗門からなる枡形門。1670年(寛文10年)ごろの再建。国の重要文化財。
非現存
- 宇和島城追手門 - 渡櫓型の櫓門。外壁仕上げに真壁造が採用されていた。1664年(寛文4年)の再建。1934年(昭和9年)、天守ととも日本の国宝保存法の国宝(以下、旧国宝)に指定されるが、1945年(昭和20年)の空襲により焼失。
- 佐倉城大手門 - 二階門型の櫓門。1873年(明治6年)、日本陸軍第一軍官第二師団官営所の用地とするために撤去された。
- 仙台城大手門 - 二ノ丸(現・東北大学川内南キャンパス)脇櫓付近にあった。外壁仕上げに真壁造が採用されていた。1931年(昭和6年)に旧国宝に指定されるが、1945年(昭和20年)の仙台空襲で焼失。
- 福島城大手門 - 二階門型の櫓門。門櫓の上にシャチを載せていた。既に保存状態が芳しくなかったこともあり、1873年の陸軍鎮台分営の設置時に破却された。
- 水戸城大手門 - 東京鎮台の第4分営が置かれた[4]後も残されたが、老朽化により明治時代に撤去される[5]。平成末に再建計画が始まる[5]。
再建建築
- 江戸城大手門 - 渡櫓型の櫓門と高麗門からなる枡形門。関東大震災に倒壊後修復されたが、1945年(昭和20年)に東京空襲によって焼失。1963年(昭和38年)に木造復元により再建された。
- 大分城大手門 - 渡櫓型の櫓門。多門櫓の上に鐘楼を載せていた。1945年(昭和20年)に大分空襲によって焼失。1966年(昭和41年)に外観復元により再建された。
- 山形城東大手門 - 渡櫓型の櫓門と北櫓、さらに高麗門からなる枡形門。明治時代に撤去されたが、1991年(平成3年)に木造復元により再建された。
- 金石城大手門 - 渡櫓型の櫓門。多門櫓の上に望楼を載せていた。1919年(大正8年)に撤去されたが、1997年(平成9年)に木造復元により再建された。
脚注
注釈
出典
- ^ 西ヶ谷恭弘 (編著)、阿部和彦 (建築史)、大橋健一、笹崎明『城郭の見方・調べ方ハンドブック』東京堂出版、2008年。ISBN 9784490206364 。
- ^ 中井均『日本の城』1号、山川出版社〈山川MooK 第1号〉、2009年。ISBN 9784634170018。 NCID BA91667683。
- ^ 図説国宝の城 : 決定版 : 現国宝・旧国宝全25城完全収録. 歴史群像シリーズ. 学研パブリッシング ; 学研マーケティング(発売). (2010). ISBN 9784056059663. NCID BB03819862
- ^ 『太政類典』第2篇第205巻(兵制4・武官職制4)「東京鎮台第四分営ヲ常陸国元水戸城ニ置ク」
- ^ a b 水谷エリナ (2018年11月18日). “「水戸城」大手門、復活へ着々 来秋 完成予定”. 東京新聞首都圏. 2019年6月10日閲覧。 “二の丸角櫓(すみやぐら)と土塀の復元も進めている。JR水戸駅北口のペデストリアンデッキから見える位置にできるため、利用者が水戸城跡を訪れるきっかけにする狙いもあるという。これらは二〇年秋に完成する予定だ。”