破城
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破城(はじょう)とは、日本の戦国時代から江戸時代にかけて行われた、城を崩し廃止することをいう。城割(しろわり)ともよばれる。
破城が行われた理由[編集]
破城の理由は様々であるが、戦国期には日本各地で行なわれた。戦国中期までは1城ごとの城割が多かったが、織田信長や豊臣秀吉の台頭に伴い、領国単位の大規模な城割が行なわれるようになる。さらに江戸時代には、江戸幕府による一国一城令の発布により、おもに西国や東北の外様大名領内で破城・廃城が実施された顕著な例がある。
戦国時代[編集]
- 抗争中の戦国大名間における和平条件として
- いわゆる焦土作戦を目的としたもの
- 支配力の集中を目的としたもの
江戸時代[編集]
- 一国一城令(江戸幕府 1615年6月)
- 所領内の居城以外の城の破却を行い、1615年(元和元年)7月に発布された武家諸法度における「居城」の確定を目的とするもの。
破城の方法[編集]
破城として行われた方法としては、主に以下のような方法がある。
例[編集]
- 筒井城 - 1580年(天正8年)、織田信長によるもの。
- 置塩城 - 羽柴秀吉によるもの。解体された部材は姫路城へ転用
- 大坂城 - 大坂冬の陣(慶長19年(1614年))における徳川方の和平の条件として二ノ丸・三ノ丸・総構(真田丸を含む)破却と堀の埋め立てが盛り込まれ実施された。
- 名護屋城 - 寺沢広高による建物部材や石材の転用のための破却行為が行われたが、徹底して破却が行われたのは1638年の島原の乱の後である。
参考サイト[編集]
関連項目[編集]
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