ユスティノス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。村田ラジオ (会話 | 投稿記録) による 2018年10月8日 (月) 13:29個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (著作の節を加筆。)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

聖ユスティノス
生誕 100年?
サマリア、フラウィア・ネアポリス(現ナーブルス
死没 165年
ローマ
崇敬する教派 正教会
非カルケドン派
カトリック教会
聖公会
ルーテル教会
記念日 6月1日
テンプレートを表示
Iustini opera, 1636

ユスティノスギリシア語: Ιουστίνος, 100年? - 165年)は、紀元2世紀キリスト教神学者ギリシア教父の系統に属し、「護教教父」といわれる最初期のキリスト教神学者の一人。

正教会非カルケドン派カトリック教会聖公会ルーテル教会聖人として崇敬される。

生涯と思想

自身の著述によれば、ユスティノスはサマリアイスラエルの北方)のフラウィア・ネアポリス(現在のパレスチナ自治区ナーブルス)出身。父はプリスクスという名であった。アテネローマに学び、さまざまな哲学諸派をへてキリスト教にたどりつき、エフェソスで洗礼を受けた。当時盛んだったグノーシス主義を「キリスト教の正当な信仰をゆがめるもの」として激しく批判した。アントニウス・ピウス帝の時代にローマへ赴き、そこでキリスト教を広める私塾を開いた。論破した哲学者の陰謀で捕えられ、165年、ローマで殉教したと伝えられる[1]。そのため「殉教者ユスティノス」と呼ばれることもある。

ユスティノスの思想の特徴は、キリスト教徒として初めてギリシア思想とキリスト教思想を融合しようとしたことにある。具体的には当時のギリシア哲学の用語であった「ロゴス」をキリスト教思想に取り入れている。ユスティノスに先立ちアレクサンドリアのフィロンユダヤ教徒としてユダヤ教思想にロゴスを取り入れ、「神はロゴスを通して自らを表す」と唱えたが、ユスティノスはフィロンと異なり、キリスト教徒としてイエス・キリストこそが完全なロゴスであると考えた。イエスは「普遍的・神的ロゴス、純粋知性、完全な真理」であるとユスティノスはいっている。

彼の著作に見られるスタイルは、ギリシア人に対してキリスト教思想を解説し、誤解や偏見をなくそうとする姿勢(これが護教論的といわれる)が根本にあり、当時の一般的なキリスト教観と対話する形をとっている。

さまざまな哲学諸派を遍歴し、プラトン哲学を自らの思想的土台とした彼は「人間の魂は本質的にキリスト教的なものである」として、キリスト教こそが唯一の真理であると考えた。そして古代の哲学はその真理にいたる前段階であると考え、それらの中に断片的に真理が存在するのは、その中にある「種子的ロゴス」のせいであると考えた。これを「種子的ロゴス論」という。

著作

現存するもの

  • 『ユダヤ人トリュフォンとの対話』 - ユダヤ人のラビ、タルフォンとの二日間にわたる対話の記録で、142章からなる大著。ユスティノスの聖書解釈を示す著作。
  • 『第一弁明』、『第二弁明』 - ローマ皇帝と元老院にあてた形で書かれた護教的(キリスト教を擁護する)著作

失われたもの

  • 『全異端反駁』
  • 『マルキオン反駁』
  • 『ギリシア人反駁』
  • 『神の威光について』
  • 『魂について』

脚注

  1. ^ 『原典 古代キリスト教思想史 1 初期キリスト教思想家』p.57

参考文献

  • 小高毅 編 『原典 古代キリスト教思想史 1 初期キリスト教思想家』 教文館、1999年6月10日。ISBN 4-7642-7185-0

外部リンク