栗原浩司
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選手情報 | ||||
フルネーム | くりはら こうじ | |||
ラテン文字 | Koji Kurihara | |||
国籍 | 日本 | |||
競技 | 陸上競技(短距離走) | |||
種目 | 60m, 100m | |||
大学 | 筑波大学 | |||
生年月日 | 1964年5月2日(60歳) | |||
出身地 | 栃木県佐野市(旧:田沼町)[1] | |||
身長 | 174cm | |||
体重 | 68kg | |||
成績 | ||||
オリンピック |
100m 2次予選5組6着 (1988年) 4x100mR 準決勝1組5着 (1988年) | |||
国内大会決勝 |
日本選手権 100m 2位(1985年) 4x100mR 優勝(1983年) | |||
自己ベスト | ||||
100m | 10秒44(1988年) | |||
編集 |
栗原 浩司(くりはら こうじ、1964年5月2日 - )は、栃木県佐野市(旧:田沼町)出身の元陸上競技選手。現陸上競技指導者。1988年ソウルオリンピック日本代表。4×100mリレーの元日本記録保持者。現在は栃木県立宇都宮女子高等学校陸上競技部の顧問などを務める。
経歴
佐野市立閑馬小学校時代は100mを14-15秒で走るなど、学校で一番の快足の持ち主だった[1]。
栃木県立佐野高等学校時代は国民体育大会少年男子Aで優勝する活躍を見せたが、腰を痛める、腹膜炎、足首を捻挫するなど、大事な試合前に怪我をすることが多かった[1]。
筑波大学時代には日本選手権男子4×100mリレーで優勝、男子200mで2位、日本学生選手権で2冠(男子100m・4×100mリレー)達成するなど活躍。神戸ユニバーシアードにも出場した。
栃木県立足利工業高等学校教員時代の1988年にソウルオリンピック日本代表に選ばれ、大会では男子100mと4×100mリレーに出場した。男子100mでは出場した日本人選手の中で唯一1次予選を突破し、2次予選では敗退したもののカール・ルイスと同じく組で走った[2]。男子4×100mリレーでは3走を務め、準決勝で敗退したものの38秒90の日本新記録樹立に貢献した[1]。
27歳で現役を引退し、その後は栃木県立佐野女子高等学校(現・栃木県立佐野東高等学校)、栃木県総合教育センターなどに勤めた[1]。
2013年に栃木県立石橋高等学校に赴任。同高校陸上部の顧問を務めるとともに、野球部のアドバイザーも務めている[2]。
主要大会成績
- 備考欄の記録は当時のもの
国際大会
年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 | 備考 | 脚注 |
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1985 | 第13回ユニバーシアード (en) | 神戸 | 100m | 2次予選 | 10秒73 (0.0) | [3] | |
4x100mR | 6位 | 39秒93 (2走) | |||||
1988 | 第24回オリンピック | ソウル | 100m | 2次予選 | 10秒49 (+1.4) | ||
4x100mR | 準決勝 | 38秒90(3走) | 日本記録 | ||||
1989 | 第2回世界室内選手権 | ブダペスト | 60m | 準決勝 | 6秒72 | ||
第5回ワールドカップ (en) | バルセロナ | 4x100mR | 8位 | 39秒32(1走) | アジア代表(日本代表) |
日本選手権
- 1988年までは6位以内、1989年以降は8位以内の成績を収めた大会を記載
年 | 大会 | 種目 | 結果 | 記録 | 備考 | 脚注 |
---|---|---|---|---|---|---|
1982 | 第66回日本選手権 | 4x100mR | 4位 | 41秒76 (2走) | [4] | |
1983 | 第67回日本選手権 | 4x100mR | 優勝 | 40秒41 (2走) | 大会記録 | |
1985 | 第69回日本選手権 | 100m | 2位 | 10秒57 (0.0) | ||
1986 | 第70回日本選手権 | 4x100mR | 4位 | 40秒86 (1走) | ||
1988 | 第72回日本選手権 | 100m | 5位 | 10秒67 (-1.0) | ||
1989 | 第73回日本選手権 | 100m | 8位 | 10秒59 (+1.6) |
獲得タイトル
- 優勝した主要大会を記載(主要国際大会と日本選手権を除く)
年 | 大会 | 種目 | 記録 | 備考 | 脚注 |
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1982 | 第37回国民体育大会 | 100m | 10秒82 (-0.9) | 少年A | [5] |
1983 | 第52回日本学生選手権 | 100m | 10秒77 | ||
4x100mR | 40秒49(1走) | ||||
1984 | 第53回日本学生選手権 | 100m | 10秒56 | ||
4x100mR | 40秒33(4走) |
日本記録
- 樹立した日本記録を記載
屋外
種目 | 記録 | 年月日 | 大会 | 場所 | 所属 | 備考 | 脚注 |
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4x200mR | 1分24秒15 | 1986年11月3日 | 浜松中日カーニバル | 浜松 | 日本選抜 | 3走 | [6] |
4x100mR | 38秒90 | 1988年10月1日 | オリンピック | ソウル | 日本代表 | 3走 |
日本ランキング
- 10位以内に入った記録を記載
年 | 種目 | ランク | 記録 | 所属 | 脚注 |
---|---|---|---|---|---|
1983 | 100m(電動) | 9位 | 10秒65 | 筑波大学 | [7] |
100m(手動&電動) | 5位 | 10秒5 | |||
1984 | 100m(電動) | 5位 | 10秒51 | 筑波大学 | |
200m(手動&電動) | 4位 | 21秒2 | |||
1985 | 100m(電動) | 6位 | 10秒57 | 筑波大学 | |
100m(手動&電動) | 8位 | 10秒5 | |||
1986 | 100m(電動) | 5位 | 10秒53 | 筑波大学 | |
100m(手動&電動) | 8位 | 10秒5 | |||
1987 | 100m(電動) | 8位 | 10秒52 | 足利工業高校教員 | |
100m(手動&電動) | 9位 | 10秒4 | |||
1988 | 100m(電動) | 5位 | 10秒44 | 足利工業高校教員 |
脚注
- ^ a b c d e “日本人唯一1次突破”. 読売新聞 (2014年10月26日). 2018年2月19日閲覧。
- ^ a b “石橋、21世紀枠候補に カール・ルイスと走った男が走塁“革命””. スポーツニッポン (2016年12月17日). 2018年2月19日閲覧。
- ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「競技会記録 / 国際競技会」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、1061-1123頁。
- ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「競技会記録 / 日本選手権大会」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、869-946頁。
- ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「競技会記録 / 主要国内競技会」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、947-1060頁。
- ^ 日本陸上競技連盟八十年史編集委員会「日本記録の変遷」『日本陸上競技連盟八十年史』、ベースボール・マガジン社、2005年10月22日発行、41-60頁。
- ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「年度別日本10傑」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、739-868頁。
外部リンク
- 栗原浩司 - Olympedia
- 栗原浩司 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 栗原浩司 - 国際陸上競技連盟