鄭容臺
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名前 | ||||||
カタカナ | チョン・ヨンデ | |||||
ラテン文字 |
CHUNG Yongdae 文観式: Jeong Yongdae | |||||
ハングル | 정용대 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 韓国 | |||||
生年月日 | 1978年2月4日(46歳) | |||||
出身地 | 愛知県名古屋市 | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
鄭 容臺(チョン・ヨンデ、1978年2月4日 - )は、愛知県名古屋市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。
来歴
愛知第三初級学校の頃に中部朝鮮学校選抜の中心選手として頭角を顕した。その後、愛知朝鮮中高級学校高級部、朝鮮大学校を経て、2000年に当時関東サッカーリーグに所属していた青梅FCでプレーしていたが、その年に在日韓国人の選抜チーム「在日大韓蹴球団」のメンバーに選ばれ、韓国の釜山で行われた大会で活躍。そこでのプレーが認められ、2001年にKリーグの浦項スティーラースに入団しプロサッカー選手となった。この韓国行きの際に、それまでの朝鮮籍から韓国籍へと国籍を変更している[1]。
翌2002年に日本に戻り、名古屋グランパスエイトに入団[2]。セレッソ大阪、川崎フロンターレと渡り歩き、守備的な選手として起用された。
プロとして6年目の2006年に横浜FCに完全移籍で入団した。そこで初めてレギュラーをつかみ、チームのJ1昇格に貢献。2007年、負傷により出場機会が減り、コンサドーレ札幌へ期限付き移籍。札幌では大塚真司の負傷離脱などもあり途中加入ながらレギュラーに定着し、本来の守備的MF以外にもセンターバックやサイドバックもこなすプレーの幅の広さを生かし、ここでも昇格に貢献した。2008年に札幌へ完全移籍したが、出場機会が減少し、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。2009年シーズンは開幕を無所属のまま迎えたが、4月に2シーズンぶりに横浜FCでプレーすることが決まった[3]。同年は2006年に次ぐ出場試合数を記録し、再び横浜FCの中心選手となったが、同年限りで退団した。
2010年シーズンは無所属のまま複数のクラブの練習に参加するなどしていたが、希望するJリーグでの所属先が見つからず、同年9月に現役引退を発表。2011年より、古巣の川崎で育成部門のコーチを務める。
2013年、横浜FCのトップチームコーチに就任[4]。
2015年、カターレ富山のトップチームコーチに就任[5]。同年8月に成績不振を理由に岸野靖之監督とともに契約解除[6]。
2016年、名古屋グランパスのU-15監督に就任。2018年、ギラヴァンツ北九州のトップチームコーチに就任[7]。2019年、栃木シティフットボールクラブの監督に就任したが[8]、5月14日に契約が解除された[9]。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 2001年 浦項スティーラース
- 2002年 - 2005年 名古屋グランパスエイト
- 2006年 - 2007年 横浜FC
- 2007年9月 - 同年12月 コンサドーレ札幌 (期限付き移籍)
- 2008年 コンサドーレ札幌
- 2009年4月 - 同年12月 横浜FC
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 青梅 | 関東 | - | ||||||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 浦項 | 42 | Kリーグ | ||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | 名古屋 | 33 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |
C大阪 | 25 | J2 | 11 | 0 | - | 0 | 0 | 11 | 0 | ||
2003 | 名古屋 | 15 | J1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 |
2004 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | |||
2005 | 川崎 | 17 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | |
2006 | 横浜FC | 13 | J2 | 44 | 2 | - | 0 | 0 | 44 | 2 | |
2007 | J1 | 12 | 0 | 5 | 0 | - | 17 | 0 | |||
札幌 | 33 | J2 | 10 | 0 | - | 0 | 0 | 10 | 0 | ||
2008 | J1 | 11 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 13 | 1 | ||
2009 | 横浜FC | 29 | J2 | 39 | 1 | - | 1 | 0 | 40 | 1 | |
通算 | 日本 | J1 | 39 | 0 | 9 | 1 | 2 | 0 | 50 | 1 | |
日本 | J2 | 104 | 3 | - | 1 | 0 | 105 | 3 | |||
日本 | 関東 | - | |||||||||
韓国 | Kリーグ | ||||||||||
総通算 | 143 | 3 | 9 | 1 | 3 | 0 | 155 | 4 |
- 公式戦(ナビスコカップ)初得点:2008年3月23日 - 予選第2節 川崎フロンターレ戦 (室蘭市入江運動公園陸上競技場)
- Jリーグ(J1)初出場:2003年8月16日 - J1 2nd第1節 鹿島アントラーズ戦 (カシマスタジアム)
- Jリーグ(J2)初出場:2002年8月31日 - J2第28節 モンテディオ山形戦 (長居第2競技場)
- Jリーグ(J2)初得点:2006年9月13日 - J2第39節 柏レイソル戦 (三ツ沢球技場)
指導歴
- 2011年 - 2012年:川崎フロンターレ
- 2011年:育成・普及コーチ
- 2012年:U-15・U-13コーチ
- 2013年 - 2014年:横浜FC トップチームコーチ
- 2015年 - 2015年8月:カターレ富山 トップチームコーチ
- 2016年 - 2017年:名古屋グランパスU-15監督
- 2018年:ギラヴァンツ北九州トップチームコーチ
- 2019年 - 2019年5月:栃木シティフットボールクラブ監督
脚注
- ^ テレビ愛知ホームページ「解説委員室・コラム」No.077「愛しのヨン様!」2004年12月28日付
- ^ 鄭容臺が名古屋グランパス入団 在日大韓蹴球団出身、浦項から移籍 在日本大韓民国民団 2002年2月14日付
- ^ MF鄭容臺(チョン ヨンデ)選手加入のお知らせ 横浜FC 2009年4月2日付プレスリリース
- ^ 川崎フロンターレ育成・普及コーチ兼U-15・U-13コーチ鄭容臺氏トップチームコーチ就任のお知らせ 横浜FC 2013年1月13日付
- ^ “鄭 容臺氏 トップチームコーチ就任のお知らせ”. カターレ富山 (2014年12月28日). 2015年1月10日閲覧。
- ^ “監督交代およびヘッドコーチ契約解除のお知らせ”. カターレ富山 (2015年8月27日). 2016年1月16日閲覧。
- ^ 鄭 容臺(チョン ヨンデ)氏 トップチームコーチ就任のお知らせ
- ^ 鄭 容臺氏 監督就任のお知らせ|栃木シティフットボールクラブ
- ^ 監督交代のお知らせ|栃木シティフットボールクラブ
- ^ 名古屋グランパスエイト鄭 容臺選手加入 - ウェイバックマシン(2007年10月30日アーカイブ分) セレッソ大阪 (2002年8月23日)
関連項目
外部リンク
- 鄭容臺 - Soccerway.com
- 鄭容臺 - FootballDatabase.eu
- 鄭容臺 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 鄭容臺 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 鄭容臺 - J.League Data Siteによる選手データ
- 鄭容臺 - TheFinalBall.com
- 鄭容臺 公式サイト - ウェイバックマシン(2009年4月13日アーカイブ分)
- チョン・ヨンデ オフィシャルブログ
- チョン・ヨンデ オフィシャルブログ (2010年10月10日から)
- YONスクールブログ
- 朝鮮新報 - Jへの挑戦~在日サッカー選手の心~2