鹿児島市立東桜島小学校
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鹿児島市立東桜島小学校 | |
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北緯31度33分25秒 東経130度37分49.5秒 / 北緯31.55694度 東経130.630417度座標: 北緯31度33分25秒 東経130度37分49.5秒 / 北緯31.55694度 東経130.630417度 | |
過去の名称 |
啓蒙小学校 東桜島尋常高等小学校 東桜島国民学校 東桜島村立東桜島小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 鹿児島市 |
併合学校 | 中央尋常小学校 |
設立年月日 | 1879年(明治12年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B146210000275 |
所在地 | 〒891-1543 |
鹿児島県鹿児島市東桜島町17番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
鹿児島市立東桜島小学校(かごしましりつ ひがしさくらじましょうがっこう)は、鹿児島県鹿児島市東桜島町にある公立小学校[1]。2014年(平成26年)5月現在の児童数は51名[1]。
沿革
[編集]- 1879年(明治12年) - 啓蒙小学校創立
- 1889年(明治22年) - 中央尋常小学校(所在地:東桜島村大字野尻[2])創立
- 1892年(明治25年) - 芝立尋常小学校(所在地:東桜島村大字湯之[2][注釈 1])創立
- 1915年(大正4年) - 桜島の大正大噴火によって流出した溶岩によって通学が困難となった西桜島村の桜洲小学校(現在の鹿児島市立桜洲小学校)の赤水集落(現在の桜島赤水町)の児童を一時的に受け入れ[3]。
- 1919年(大正8年) - 芝立尋常高小学校に高等科併置。東桜島尋常高等小学校と改称[4]。
- 1921年(大正10年) - 中央尋常小学校と東桜島尋常高等小学校が合併し、現在地へ移転[4]。
- 1941年(昭和16年) - 国民学校令により東桜島国民学校と改称
- 1947年(昭和22年) - 東桜島村立東桜島小学校と改称
- 1950年(昭和25年) - 東桜島村が鹿児島市に編入されたのに伴い、鹿児島市立東桜島小学校と改称[5]。
桜島爆発記念碑
[編集]東桜島小学校の敷地内には1924年(大正13年)1月に鹿児島郡東桜島村によって建立された「桜島爆発記念碑」と呼ばれる石碑がある[6][7]。1914年(大正3年)1月12日に発生した桜島の大正大噴火の教訓を後世に伝えるために建立されたものであり、碑文の内容から「科学不信の碑」として知られている[8][9]。
→詳細は「桜島爆発記念碑」を参照
通学区域
[編集]鹿児島市教育委員会の指定による2021年(令和3年)現在の東桜島小学校の通学区域は以下のとおりである[10]。但し特認校制度によりその他の区域からの通学も認められている[11]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 現在の東桜島町の旧称。
- ^ 古里町は2014年までは鹿児島市立改新小学校の通学区域であった。
- ^ 有村町は2014年までは鹿児島市立改新小学校の通学区域であった。
出典
[編集]- ^ a b 南日本新聞 2015, p. 950.
- ^ a b 鹿児島県 1927, p. 33.
- ^ 桜島町郷土誌編さん委員会 1988, p. 672.
- ^ a b 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 943.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 942.
- ^ 桜島町郷土誌編さん委員会 1988, p. 587.
- ^ “「科学不信の碑」の教え、異変あればすぐ避難せよ 九州の火山防災”. 西日本新聞 (2020年2月4日). 2021年5月23日閲覧。
- ^ 岩松暉. “過去の災害に学ぶ 36‐内閣府防災情報のページ(1914年1月 桜島大正噴火 その2)”. 内閣府. 2021年11月6日閲覧。
- ^ 祝迫勝之 (2013年5月1日). “(桜島の大正大噴火100年)防災意識高める教材に”. 朝日新聞デジタル. 2021年11月6日閲覧。
- ^ “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。
- ^ “特認校制度”. 鹿児島市 (2019年7月30日). 2021年11月6日閲覧。
参考文献
[編集]- 鹿児島県『桜島大正噴火誌』鹿児島県、1927年。NDLJP:1271933
- 桜島町郷土誌編さん委員会『桜島町郷土誌』桜島町長 横山金盛、1988年 。
- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第二巻』鹿児島市長 末吉利雄、1970年 。
- 南日本新聞『鹿児島市史 第五巻』鹿児島市長 森博幸、2015年 。