高知県立高知丸の内高等学校
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高知県立高知丸の内高等学校 | |
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北緯33度33分49.4秒 東経133度31分58.6秒 / 北緯33.563722度 東経133.532944度座標: 北緯33度33分49.4秒 東経133度31分58.6秒 / 北緯33.563722度 東経133.532944度 | |
過去の名称 |
高知県尋常中学校女子部 高知県高等女学校 高知県立高等女学校 高知県立高知高等女学校 高知県立高知第一高等女学校 高知県立高知高等女学校 高知県立高知女子高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 高知県 |
併合学校 | 高知県立高知第二高等女学校 |
校訓 |
洞察力 豊かな人間性 凡事徹底 |
設立年月日 | 1887年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 |
単位制(普通科) 学年制(音楽科) |
設置学科 |
普通科 音楽科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D139210000092 |
高校コード | 39114A |
所在地 | 〒780-0850 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
高知県立高知丸の内高等学校(こうちけんりつ こうちまるのうちこうとうがっこう、Kochi Prefectural Kochi Marunouchi High School)は、高知県高知市丸ノ内二丁目にある県立高等学校。通称は「丸」もしくは「丸高」。
概要
[編集]- 歴史
- 1887年(明治20年)に高知県尋常中学校(現: 高知県立高知追手前高等学校)へ設置された女子部を前身とする。2016年(平成28年)に創立130周年を迎えた。
- 設置学科
- 全日制課程
- (単位制)普通科
- (学年制)音楽科(1学年あたり30名)
- 校訓
- 「洞察力・豊かな人間性・凡事徹底」 - 2006年(平成18年)に制定。
- 校章
- 校名を表す「丸」と学問を表す3本の「ペン先」の絵を組み合わせたものを背景にして、中央に「高」の文字を置いている。1949年(昭和24年)に山本開生によって制定された。
- 校歌
- 1955年(昭和30年)に制定。作詞は喜志邦三、作曲は樋口昌道による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「丸の内」が登場する。
- 制服
- 男女ともに冬服はブレザー。男子はネクタイ、女子はネクタイリボン。シャツは男子が白・青の2色、女子は白・青・ピンクの3色がある。またスカートはチェック柄でグレー・エンジ・ブルーの3種類がある。別に、音楽科は黒の無地の下に白い線があるスカートが存在し、定期演奏会などの音楽科限定の行事でのフォーマルとなる。音楽科男子には黒のズボンが存在する(なお、普段は黒でもグレーでもよい)。式典などの学校行事の際はフォーマルであるが、それ以外の時はポロシャツ(白)、ベスト(白)、セーター(グレー)、ダッフルコート(現在はない模様)などと比較的自由に組み合わせて着ることができる。
沿革
[編集]旧制中学校女子部時代
[編集]高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
[編集]- 1893年(明治26年)4月1日 - 高知県尋常中学校より分離の上、高知県高等女学校として独立。年度始めを4月に変更する。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 小学校教員の養成を目的とした補習科を設置。入学資格を高等女学校本科卒業、修業年限を1か年、定員を30名とする。
- 1900年(明治33年)8月 - 校友会が発足。当初の会員数は約200名。
- 1901年(明治34年)
- 1904年(明治37年)4月 - 寄宿舎を設置。
- 1905年(明治38年)6月 - 紋章を制定。
- 1914年(大正3年)7月 - 旧・高知県立農林学校跡(現在地)に移転。講堂屋内体操場を増築。募集定員を150名(3学級)とする。
- 1922年(大正11年)4月1日 - 高知県立高知高等女学校と改称。定員を1,000名・20学級とする。
- 1926年(大正15年)4月1日 - 高等女学校(高知県立高知第二高等女学校)の新設に伴い、高知県立高知第一高等女学校と改称。
- 1928年(昭和3年)
- 1935年(昭和10年)3月 - 校歌(二代目)を制定。作詞は土井晩翠、作曲は下総皖一による。
- 1938年(昭和13年)2月 - 校舎落成および開校50周年記念式典を挙行。
- 1945年(昭和20年)6月 - 空襲により、校舎と講堂を消失。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 高知県立第二高等女学校を統合し、高知県立高知高等女学校と改称。終戦により、4ヶ年に短縮されていた修業年限が5ヶ年に戻る。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 高等女学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設(以下・併設中学校)し、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校はあくまで暫定的に設置されたもので、新たな生徒募集は行われず、在校生が高等女学校から収容された2・3年生だけであった。
- 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生となる。
- 1948年(昭和23年)
- 3月 - 本館が完成。
- 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校は廃止され、新制高等学校高知県立高知女子高等学校が発足。
- 高等女学校卒業生(希望者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生として編入。併設中学校卒業生を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校の在校生が、1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生だけとなる。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
新制高等学校(男女共学)
[編集]- 1949年(昭和24年)9月 - 高校三原則に基づく高知県内公立高校再編により、高知県立高知丸の内高等学校(現校名)と改称され、男女共学を開始。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 被服科を設置。
- 1955年(昭和30年)11月 - 校歌(現校歌)を制定。
- 1956年(昭和31年)5月 - 校旗を制定。
- 1962年(昭和37年)5月 - 体育館が完成。高知県下初の2階建て体育館であった。
- 1965年(昭和40年)2月 - 午前2時頃発生した大火災により、南校舎・中校舎等を消失。
- 1967年(昭和42年)2月 - 新校舎が完成。
女子校(再)
[編集]- 1967年(昭和42年)4月 - 在校生が女子のみとなり、入試要項も女子のみの募集と改正される(18年ぶりに女子校となる)。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 音楽科を設置。
- 1982年(昭和57年)9月 - 音楽科棟が完成。
- 1968年(昭和63年)4月1日 - 被服科を家政科に改編。
- 1989年(平成元年)
- 2月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 3月 - 正門を移転。
- 8月 - 中校舎・北校舎の大規模改造工事を完了。
- 1990年(平成2年)
- 3月 - 高知県下初の半地下式駐輪場が完成。
- 9月 - 駐輪場に全天候型コートが完成。
- 1991年(平成3年)2月 - 生徒昇降棟、キャノピーが完成。
- 1992年(平成4年)3月 - 弓道場(2階部分)・部室(1階部分)が完成。
- 1993年(平成5年)12月 - 南校舎の大規模改造工事が完了。
- 1994年(平成6年)3月 - 北・東校舎の大規模改造工事が完了。
- 2002年(平成14年)11月 - 北校舎の耐震補強工事、北校舎と南校舎1階内部の大規模改造工事を完了。
- 2003年(平成15年)2月 - 防球ネットが完成。
- 2004年(平成16年)8月 - 南校舎4階教室を選択授業用小教室に改装。
- 2005年(平成17年)
- 1月 - 入学試験において初めて前期選抜を実施。
- 3月 - 入学試験において初めて後期選抜を実施。
- 家政科の募集を停止。
男女共学(再)
[編集]- 2005年(平成17年)
- 4月1日 - この時の普通科入学生より単位制となる。38年ぶりに再び男女共学となる。この時の男子入学生は40名。
- 8月 - 南校舎3階教室を選択授業用小教室に改装。
- 2006年 (平成18年)4月 - 校訓を制定。
- 2007年(平成19年)
- 3月31日 - 家政科を廃止。
- 9月 - 学習室を設置。
- 10月 - 創立120周年記念式典並びに行事挙行。
- 2008年(平成20年)3月 - 単位制による全日制普通科(第1期生)卒業する。
- 2016年(平成28年)10月 - 創立130周年記念式典並びに行事挙行。130周年記念キャラクター「まるのん」が公表される。
学校行事
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
(2学期制)
- 前期
- 4月 - 入学式・始業式・新入生オリエンテーション
- 5月 - ホームマッチ
- 6月 - 前期中間試験 修学旅行(2年次)
- 7月 - 体育祭 進学合宿
- 8月 - 夏期補習
- 9月 - 前期期末試験 音楽科定期演奏会
- 後期
- 10月 - 文化祭 1日体験入学
- 11月 - 後期中間試験
- 12月 - 冬季講習・音楽科定期演奏会
- 1月 - ドリ懇(全体会)
- 2月 - 後期期末試験
- 3月 - 卒業式・修了式
部活動
[編集]【体育会系】
[編集]【文化系】
[編集]【その他】
著名な出身者
[編集]文化
- 木津川計(編集者、芸能評論家)