木津川計

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木津川 計(きづがわ けい、1935年[1] - )は日本の雑誌編集者、文化芸能評論家コラムニスト。本名は坂本 凡夫(さかもと つねお)[2]

雑誌上方芸能』を発行するかたわら、大学で教鞭をとったほか、演芸賞・文学賞等の審査を行った。

略歴[編集]

高知県高知市江ノ口生まれ。高知市立旭小学校、高知市立城北中学校、高知県立高知丸の内高等学校卒業[3]

20代より上方の芸能に関する執筆活動を行う[4]。ペンネームを当初「私の主張に『気付けい』」との思いを込め、「木津 計(きづ けい)」としていたが、やがて「聞き流していただいて結構です、水のように川のように」と心境が変化し、川の字をつけて「木津川 計」と改めたという[4]

1964年大阪市立大学文学部社会学科卒業[1]。家業の印刷会社を営むかたわら[5]1968年4月26日[6]、33歳で雑誌『上方芸能』を創刊。1999年に同誌編集長を退任[6]

研究者としては、「都市と文化の関係を究明すること」をテーマとした[7]

2006年に、芸能に関するひとり語りの舞台「木津川計の一人語り劇場」を立ち上げる[1]

『上方芸能』[編集]

創刊当初の『上方芸能』は落語会「上方落語をきく会」(朝日放送主催の同名の会とは関連がない)の会報という位置づけであった[8]

1974年より[6]自主編集体制に移行し、内容を落語中心から狂言歌舞伎文楽日本舞踊上方舞邦楽現代演劇歌劇などの京阪神地域の芸能全般を幅広く扱う路線に切り替える[8]

2016年5月、読者の高齢化などで200号をもって終刊した。[9]

教職歴[編集]

大学教員としては、京都大阪神戸の『都市格』や九鬼周造などについて、ユーモアを交えて講義した。ときには上方落語を披露して、学生の拍手で講義が終了することがあったという[要出典]

審査歴[編集]

受賞歴[編集]

その他の役職歴[編集]

人物・理論[編集]

  • ジャーナリストの萩原遼は実弟。
  • 木津川は、大阪人のユーモア感覚に対する感慨とあこがれを折りに触れ述べている。
学生結婚を行った際、挙式を8月6日に開いた。友人の「8月6日を再び繰り返すな!」という二重の意味(広島市への原子爆弾投下と、離婚・再婚の戒め)を込めた祝辞に「魔術師のよう」と感心したという[13]
自身のペンネームの由来について、会う人に「人に出会う、そのキッカケが大切」「気ィつかうばっかりでっしゃろ」、あるいは怪我をした際に、「何が木津川計や、キヅダラケやないか」などと詮索されるにつけ、言語遊戯のセンスに感じ入ったという[4]

著書[編集]

単著のみ記す。

メディア出演[編集]

  • こんにちは近畿(NHKラジオ、1980年)[6]
  • 木津川計のラジオエッセイ(NHKラジオ、1980年)[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 木津川計プロフィール 雑誌『上方芸能』
  2. ^ 財団法人岸和田市文化財団寄附行為 2006年2月27日改正
  3. ^ http://blog.livedoor.jp/kusanoie/archives/50753990.html
  4. ^ a b c 『上方の笑い』、p.10
  5. ^ a b c d e f g h i 文化・社会部門 木津川計 全国日本学士会
  6. ^ a b c d 雑誌『上方芸能』創刊からのあゆみ 雑誌『上方芸能』
  7. ^ 『上方の笑い』、初版カバー裏表紙
  8. ^ a b 雑誌『上方芸能』について 雑誌『上方芸能』
  9. ^ “季刊誌「上方芸能」終刊へ 1968年創刊、読者が高齢化”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2015年11月2日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/02/kiji/K20151102011435130.html 2015年11月2日閲覧。 
  10. ^ 第1回泉大津市オリアム随筆(エッセイ)賞決定 泉大津市
  11. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  12. ^ 大阪創造都市市民会議 NPO法人都市文化創造機構
  13. ^ 『上方の笑い』、pp.28-29

外部リンク[編集]