鈴木健 (プロレス記者)

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鈴木 健.txt(すずき けん、1966年9月3日 - )は、日本編集者ライター、表現ジャンルライター、プロレス解説者・実況者。本名は鈴木 健(すずき けん)。東京都葛飾区亀有出身(福島県会津若松市生まれ[1])。元ベースボール・マガジン社(BBM)所属。「鈴木健という名前があまりに多く、ネットで検索しやすいように」「テキスト(文章)で勝負したい」との理由で本名のあとに“.txt”とつけて表記することもある。その場合も.txtは読まずに「すずきけん」のままでいい。

略歴[編集]

  • 國學院高等学校卒業。
  • 1988年9月、日本ジャーナリスト専門学校在学中にBBMの週刊プロレス(週プロ)編集部へアルバイトとして採用。
  • 1991年、BBMの正社員になる。
  • 2007年4月、週刊プロレスmobile編集長に就任、週プロ編集次長と兼任となった。
  • 2008年3月に開催された「プロレス知識力認定試験 プロレス王」の実行委員に名を連ねた。
  • 2009年9月30日付けでベースボール・マガジン社を退社。週プロ、週刊プロレスmobileの業務から離れる。
  • 2009年11月12日新宿ロフトプラスワンにて村田晴郎とのイベント「神実況ドラマティック・ドリーム・トークライヴ」を開催。以後、定期的に同所や名古屋、札幌、大阪等でも開催。
  • 2010年1月村田晴郎とのウェブラジオ「DX-R」を開始。2012年3月2日放送分で放送100回を迎え、その公開収録イベントを新宿ロフトプラスワンでおこなった。現在は放送終了。
  • 2010年4月読売日本テレビ文化センター恵比寿にて「鈴木健.txtの体感文法講座」を開講。「読み手の目線にならったリズム感のある伝わる文章、ブログ等では意識しないテクニックを身につける」講義をおこなっている。
  • 2011年4月古巣の週刊プロレスmobileにて連載コラム「週モバ野郎NOW」を開始。
  • 2012年4月名古屋・栄中日文化センターにて「鈴木健.txtの文化系プロレス講座」を開講。

人物・概要[編集]

一プロレスファンとして参加していたイベントでターザン山本に顔を知られていた。UWFのファンとして第2次UWF第2戦を見るために鈍行列車札幌市まで観戦にいった。その会場でターザン山本が、東京在住の青年が札幌まで足を運んでいることに気づき、週プロの記事で言及された(当時、そういうファンを「密航者」と呼んだ。)。そのことがきっかけとなり週プロのアルバイトとして採用される。

主にUWFFMWW★INGみちのくプロレスバトラーツ大日本プロレス等の団体の取材を担当。編集次長になってからはDDTプロレスリングKAIENTAI-DOJO全日本プロレスWWEを担当。

週刊プロレス誌で試合リポートやインタビュー記事のほか『週プロ野郎』というコラムを8年間連載。また、編集長を務めた週プロmobileでは『日刊週モバ野郎』というコラムを2007年8月のスタート以来、一日も欠かさず更新し続け、その数は1010回に到達した。現在は『週モバ野郎NOW』として同携帯サイトで復活連載中。

趣味の音楽ではYMO平沢進(平沢も亀有出身)の影響を強く受け、前述した週プロ野郎では毎回のBGMをつけていたが「本当にその時聞いているのではなく単なる思いつき」とのこと。週プロ野郎のタイトルそのものが、坂本龍一のアルバム「未来派野郎」が元ネタ。かつてフジテレビの番組「カルトQ」のYMOの予選を受けたが本選には出られなかった。また、POLYSICSのメンバーと交流がある記述が編集後記などにうかがえる。POLYSICSのリーダーであるハヤシもテクノニュー・ウェイヴのマニアのため、そのつながりがあるらしい。POLYSICSのDVD作品「DVDVPVDVLIVE」の裏ジャケットにピンで登場している。平沢率いるバンドP-MODELのコピーバンド「似非MODEL」を自ら結成し、ライブ活動を行っていたこともある。長州力が一度引退した際には、入場テーマ曲「パワーホール」の作曲者である平沢からメールでコメントをもらい、引退記念増刊号のコラム内に掲載した。

プロレス実況番組での解説ではFIGHTING TV サムライにてDDTプロレスリングやみちのくプロレス、GAORAにてWRESTLE-1を担当しているほか、特にDDT中継とマッスル中継における、実況の村田晴郎との息の合ったやりとりはマッスル出演者である鶴見亜門が「村田さんと鈴木さんに任せておけば、どんな凡庸な試合でも面白くなる」とマッスルの中で言ったほどである。みちのくプロレスの「宇宙大戦争」や人形レスラーであるヨシヒコの試合は、2人の実況解説なくして成り立たないとされるなど、ネタものに対しても決して自分たちが受けることなく、あくまでも冷静・真面目に実況することで逆にその面白さを膨らませて伝える手法は、昭和のプロレス中継がモチーフとなっている模様。

村田とのマッスルにおける現場実況(会場で実況解説のやり取りの音声を流し観客にも聞かせる)を聞いた映画監督の松江哲明が自身の手がけるデトロイトメタルシティのドキュメントDVDに起用。マッスルのテイストでメイキングを実況解説しドキュメントに仕上げるという試みを成功させた。また、村田とのイベントでは透明人間同士の対決に実況をつけることでプロレスとして成立させるなどの試みも行っている。

2012年2月16日放送TBSラジオ番組ザ・トップ5において、当日のゲストであるプロレスラー、男色ディーノの「必殺技トップ5」のランキング発表の模擬試合が放送中のスタジオ内で行われた際、村田とスタジオで実況解説をおこない、映像なしの音だけによるプロレスを伝える。パーソナリティーの小林悠が男色ディーノの得意技「男色ナイトメア」を受け、顔面に睾丸を押し付けられたことで騒然となったが、その面白さが伝わったのは2人の実況によるところが大きい。

2013年1月開局のニコニコ生放送「ニコニコプロレスチャンネル」では自身で試合中継の実況を行なっており、他にもプロレスラーの生インタビューのMC、ニュース番組「ニコプロ一週間」のキャスターなどを務め、週3~4回出演している。また2014年10月から千葉テレビで放送されているKAIENTAI-DOJOの番組でも試合実況を担当している。

フリーに転身した以後は執筆活動だけでなく解説、イベント、ウェブラジオ、司会進行などさまざまなアプローチでプロレスと携わる一方、演劇や音楽のレビューも精力的に執筆。POLYSICSのムックにも寄稿した。

評価[編集]

当初より団体の隔てなく広範囲に渡り取材してきたことから、コラム等でも担当団体以外に関してもとりあげてきた。プロレスマスコミがメジャー中心となる中で、若い頃から取材してきたインディーに対する思い入れを持ち、多くの人材を発掘、紹介してきた。

文章を書く上で「ひとつの段落は10行以内で切る」「ひとつの段落の中に人の名前や“こと”“それ”というようなよく使われる語句が複数回出てこないようにする」といった基本を守る意識が高い。これは「文章にリズムをつけるため」であり、句読点の位置も「そこで息継ぎをすることでリズムができる」ため気を使っているとのこと。本人はこれを「体感文法」と名づけている。

ネットの有効性に関してはプロレス業界の中でも早期から着目しており、パソコン通信の時代からフォーラムを開設し自発的に試合結果速報などをやっていた。周囲からは趣味に興じているようにしか思われず理解は得られなかったそうだが、それが後の週プロmobileへとつながる。その分、ネットへの関心は高く連載コラム「編集部発25時」でネットユーザーに対し「モラルを守って有効に活用していくべき」と投げかけたところ、プロレスマスコミそのものに対する反発もありネット上で叩かれた。それでもその反応を流すことなく、IBJカフェのチャットに出向き、ファンと直接討論をおこなった。

ザ・グレート・サスケに関するインタビューや記事は鉄板で、その胡散臭さや怪しさ、バカバカしさをもっとも引き出すマスコミとされており、サスケ自身も「サスケソムリエの健ちゃん」と公認。毎年12月になると新宿のロフトプラスワンにて「サスケの大予言」というイベントを開催し、翌年のプロレス界や世界情勢、世相までを予言させ、ことごとく外れるのだが、サスケ自身は強引なこじつけで「当たった」と主張する。これらの一方で、サスケに対してはリスペクトの念も持っており、2006年10月におこなわれたサスケ対スペル・デルフィン戦を「近年稀に見るプロレス界最高の大河ドラマ」と評した。

2009年11月に発売されたDDTの公式プログラムにて、人形レスラーであるヨシヒコに業界初の単独インタビュー(それまでヨシヒコのコメントはタッグパートナーなどのレスラーが出していた)に成功。「好きな女優はペ・ドゥナ」「いつか闘ってみたい相手は武藤敬司」などの言葉を引き出す。

脚本家の内館牧子週刊朝日の連載コラムにて、週刊プロレス誌上に書いた記事を引用。朝青龍の素行不良に対し、識者とされる者たちが「プロレスにでもいけばいい」と発言したことに対し反発した内容で「プロレスがそのような対象に見られていることに憤りを覚える」という論調に、自身もプロレスファンである内館が共感したもの。

武藤敬司体制の全日本プロレスのスタイルを「パッケージプロレス」と名づけた。

DDTプロレスリングがやっているエンターテインメント性の高いスタイルを「文化系プロレス」と名づけ、それが高木三四郎の自伝「俺たち文化系プロレスDDT」でも使用される。

UWFインターナショナル時代の田村潔司安生洋二の攻防を見て「回転体」と表現したところ、それが田村の代名詞となった。

脚注[編集]

  1. ^ 里帰り出産」としている。

外部リンク[編集]