格闘探偵団バトラーツ

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格闘探偵団バトラーツ(かくとうたんていだんバトラーツ)は、かつて存在した日本プロレス団体

概要[編集]

団体名はプロレスプロモーターの荒井英夫の命名。1995年プロフェッショナルレスリング藤原組でスポンサーから所属選手の大幅なリストラを提示されて反発した藤原喜明を除く所属選手が退団して設立。元所属選手はあくまでスポンサーに対して反発したのみで藤原との確執は無くプレ旗揚げ戦の際に藤原が来場して「わが息子達を宜しくお願いします」とリングで挨拶。

歴史[編集]

旗揚げ[編集]

1996年4月13日神奈川県小田原市小田原市川東タウンセンターマロニエホールで旗揚げ戦を開催。

成長[編集]

スター不在と言われながらも選手の個性が最大限に発揮される姿勢が支持を得ていく。アレクサンダー大塚PRIDEでの活躍もあって知名度も高まり両国国技館で興行を開催するまでに成長。

混迷[編集]

2001年プロレスリングZERO-ONEと業務提携を結んで「火祭り」に選手を送りリーグ戦の一部をバトラーツの興行内で実施することを発表。しかし石川雄規が尊敬するアントニオ猪木の助言でそれを解除。PRIDEと関係していた猪木とPRIDE参戦選手と無断で交渉を行ったZERO-ONEの代表の橋本真也の対立が背景にあるとされている。

公式サイトで発表時は「ビッグマッチに向けて猪木軍入りして異種格闘技戦の開催を計画している。猪木と橋本間のトラブルであり両者間の和解が無い場合どちらかを選択する必要があり今回は猪木軍を選んだ」と理由を述べた。しかし猪木からの利益を最優先するために発表済みカードを消滅させた点などからファンの批判や選手の離反を招くことになる。また「バトラーツのリングは火祭りのリーグ戦開催以前から火祭りだったと自負している」と無意味な開き直りも公式サイトに記載したため批判はより強まった。猪木は「迷惑な話だ」と自身は関わっていない姿勢を見せた。三沢光晴は「筋が通ってない」、「自分の尻も拭けないのか」などとバトラーツの姿勢を批判。

2003年、身分不相応といえる会場でのギャンブル的興行と相まって経営は悪化して活動休止。

解散[編集]

2005年、約2年ぶりに興行を再開して一部の元所属選手が集結。桂スタジオを中心に興行を開催。

2008年、バトラーツ女子部「女王バチ」を設立。しかし唯一の女子選手だった及川千尋の引退もあったため以降は目立った活動を行っておらず自然消滅。

2010年12月26日、桂スタジオの閉鎖などもあり2011年春の解散を表明。12月28日、公式サイトで解散を正式発表。

2011年3月22日、解散に先立ち矢野啓太が退団。理由が契約満了とされたが矢野の精神状態や薬物使用など様々な憶測が飛び交う突然の退団劇だった。11月5日新宿FACEで開催した興行を最後に解散。

ルール[編集]

バトラーツルール
  • フリーダウン制、場外戦なし、3カウントフォールなし。
  • 決着はKO、ギブアップ、タップアウト、レフェリーストップ。

所属選手[編集]

スタッフ[編集]

レフェリー[編集]

リングガール[編集]

過去の所属選手[編集]

エピソード[編集]

旗揚げ初期の頃に事務所に迷いネコが住み着いた。この迷いネコを「ガッチリ」と命名してバトラーツが飼いマスコットキャラクターにしてグッズを販売していた。当時まだ知名度が低かった所属選手のグッズよりもネコのプリントしたTシャツが売れていたという。ネコは1999年の事務所移転の時に失踪[1]

脚注[編集]

  1. ^ 週刊プロレス 2011年11月16日号「解散直前バトラーツ プレイバック特集」より