酒呑童子

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鳥山石燕今昔画図続百鬼』より「酒顚童子」

酒呑童子(しゅてんどうじ)は、丹波国大江山、または京都丹波国の国境の大枝老の坂)に住んでいたとされるの頭領である。他の呼び名として、酒顛童子酒天童子朱点童子と書くこともある。彼が本拠とした大江山では龍宮のような御殿に棲み、数多くの鬼達を部下にしていたという。

様々な出生の伝説

酒呑童子は、一説では越後国の蒲原郡中村で誕生したと伝えられているが、伊吹山の麓で、『日本書紀』などで有名な伝説の大蛇、八岐大蛇が、スサノオとの戦いに敗れ、出雲国から近江へと逃げ、そこで富豪の娘との間で子を作ったといわれ、その子供が酒呑童子という説もある。その証拠に、父子ともども無類の酒好きであることが挙げられる。

越後国の酒呑童子出生伝説

伝教法師弘法大師が活躍した平安初期(8世紀)に越後国で生まれた彼は、国上寺(新潟県燕市)の稚児となった(国上山麓には彼が通ったと伝えられる「稚児道」が残る)。

12, 3歳でありながら、絶世の美少年であったため、多くの女性に恋されたが全て断り、彼に言い寄った女性は恋煩いで皆死んでしまった。そこで女性たちから貰った恋文を焼いてしまったところ、想いを遂げられなかった女性の恨みによって、恋文を燃やしたときに出た煙にまかれ、鬼になったという。そして鬼となった彼は、本州を中心に各地の山々を転々とした後に、大江山に棲みついたという。

一説では越後国の鍛冶屋の息子として産まれ、母の胎内で16ヶ月を過ごしており、産まれながらにして歯と髪が生え揃い、すぐに歩くことができて5~6歳程度の言葉を話し、4歳の頃には16歳程度の知能と体力を身につけ、気性の荒さもさることながら、その異常な才覚により周囲から「鬼っ子」と疎まれていたという。『前太平記』によればその後、6歳にして母親に捨てられ、各地を流浪して鬼への道を歩んでいったという[1][2]。また、鬼っ子と蔑まれたために寺に預けられたが、その寺の住職が外法の使い手であり、童子は外法を習ったために鬼と化し、悪の限りを尽くしたとの伝承もある[2]

和納村(現・新潟県新潟市)では、村付近の小川に棲む「とち」という魚を妊婦が食べると、その子供は男なら大泥棒、女なら淫婦になるといわれ、その魚を食べたある女の胎内に16ヶ月宿った末に生まれた子供が酒呑童子だといい、この地には後に童子屋敷、童子田などの地名が残されている[3]

伊吹山の酒呑童子出生伝説

大蛇の八岐大蛇と人間の娘との間で生まれた彼は、若くして比叡山に稚児として入って修行することとなったが、仏法で禁じられている飲酒をし、しかも大酒呑みであったために皆から嫌われていた。ある日、祭礼の時に被った仮装用の鬼の面を、祭礼の終了後に彼が取り外そうとしたが、顔に吸い付いて取ることができず、やむなく山奥に入って鬼としての生活を始めるようになった。そして茨木童子と出会い、彼と共に京都を目指すようになったといわれている。

大江山の酒呑童子伝説

平安時代から鎌倉時代に掛けて都を荒らした無法者としての“鬼”は、丹波国大江山、または現在の京都市西京区大枝(おおえ)、老ノ坂(おいのさか)(京都市洛西地区)及び隣接する亀岡市篠町王子(大江山という小字がある)に本拠があったとされる。丹波国の大江山の伝説は、大枝の山賊が行人を悩ませたことが誤り伝えられたものとする説がある[4]

大和国の酒呑童子出生伝説

大和国(現・奈良県)の白毫寺の稚児が、近くの山で死体を見つけ、好奇心からその肉を寺へ持って帰り、人肉だと言わずに師の僧侶に食べさせた。その後も稚児は頻繁に肉を持って帰り、やがて死体の肉を奪うだけでなく、生きている人間を襲って殺し、肉を奪うようになった。不審に思った僧が稚児の後を追って真相を知り、稚児を激しく責め、山に捨てた。この稚児が後に酒呑童子となり、捨てられた場所は「ちご坂」の名で後に伝えられた[5]

別説では、白毫寺の住職のもとに生まれた子が、成長に従い牙や角が生え、後には獣のように荒々しい子供となった。住職は世間体を恥じて子供を捨てたが、後にその子が大江山に入り、酒呑童子となったという[5]

酒呑童子の配下

酒呑童子の配下は副首領の茨木童子、そして四天王として熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子の四人の鬼が在り、いくしま童子という名前も伝承上には存在する。

茨木童子との関係

酒呑童子とともに京都を荒らした大鬼、茨木童子だが、実は彼らの関係も様々な諸説がある。その諸説の中に、実は茨木童子は“男の鬼ではなく、女の鬼だった”という説があり、または酒呑童子の息子、はては彼の恋人だったという説も伝わっている。そして、しばらくしてから酒呑童子と茨木童子は互いの存在を知り、共に都を目指すようになったといわれている。

日本三大悪妖怪としての酒呑童子

『大江山絵巻』

酒呑童子は日本最強のと言ってよく、玉藻前で有名な白面金毛九尾の狐と、恨みによって大天狗と化した崇徳天皇と並んで、日本三大悪妖怪と謳われるようになった。

京都に上った酒呑童子は、茨木童子をはじめとする多くの鬼を従え、大江山を拠点として、しばしば京都に出現し、若い貴族の姫君を誘拐して側に仕えさせたり、で切って生のまま喰ったりしたという。あまりにも悪行を働くので帝の命により摂津源氏源頼光嵯峨源氏渡辺綱を筆頭とする頼光四天王により討伐隊が結成され、姫君の血の酒や人肉をともに食べ安心させた上、酒盛りの最中に頼光が神より兜とともにもらった「神便鬼毒酒」という酒を酒呑童子に飲ませて体が動かなくしたうえで寝首を掻き成敗した。しかし首を切られた後でも頼光の兜に噛み付いていたといわれている。

頼光たちは討ち取った首を京へ持ち帰ったが、老ノ坂で道端の地蔵尊に「不浄なものを京に持ち込むな」と忠告され、それきり首はその場から動かなくなってしまったため、一同はその地に首を埋葬した。また一説では童子は死に際に今までの罪を悔い、死後は首から上に病気を持つ人々を助けることを望んだため、大明神として祀られたともいう。これが現在でも老ノ坂峠にある首塚大明神で、伝承の通り首から上の病気に霊験あらたかとされている[6][7]大江山(京都府加佐郡大江町)の山中に埋めたとも伝えられ、大江山にある鬼岳稲荷山神社の由来となっている。

また京都府成相寺には、この神便鬼毒酒に用いたとされる酒徳利と杯が所蔵されている[8]

酒呑童子という名が出る最古のものは重要文化財となっている「大江山酒天童子絵巻」(逸翁美術館蔵)であるが、この内容は上記の酒呑童子のイメージとはかなり異なっている。まず綴りが酒「天」童子であり、童子は一種の土着の有力者・鬼神のように描かれていることがうかがえる。また童子は「比叡山を先祖代々の所領としていたが、伝教大師に追い出され大江山にやってきた」とも述べている。酒で動きを封じられ、ある意味だまし討ちをしてきた頼光らに対して童子は「鬼に横道はない」と頼光を激しくののしった。

酒呑童子を題材にした作品

大江山の酒呑童子と源頼光主従 (歌川芳艶 江戸時代)

歌舞伎

萩原雪夫十七代目中村勘三郎に充てて書き下ろした長唄舞踊劇。昭和38年 (1963) 6月歌舞伎座初演。

映画

酒呑童子や大江山の鬼退治を題材にした映画は、戦前から戦後にかけて数本製作されている。

昭和35年 (1960) 大映京都田中徳三監督。当時の大映オールスターキャストで製作された豪華大作。出演:長谷川一夫(酒天童子)、市川雷蔵(源頼光)、勝新太郎(渡辺綱)、本郷功次郎(坂田金時)他。

郷土祭り

東京都千代田区にある神田明神で毎年5月に行われる「神田祭」では、2年に一度の本祭でのみ実施される神幸祭の附祭(つけまつり)として、源頼光・頼光四天王・従者達に扮した人々が酒呑童子の首をかたどった山車と共に練り歩く「大江山凱陣」が行われる。この行事はかつて同祭が「天下祭」と呼ばれていた頃に人気を誇った曳物の一つで[9]、『江戸名所図会』の「神田明神祭禮」図にもこれを見て取ることができる。その後曳山が失われたことにより長らく途絶えていたが、平成19年 (2007) の神幸祭で文化資源学会の協力により高さ4メートルのバルーンとして復元され、約170年ぶりに復活した[10]
11番曳山。米屋町の酒呑童子と源頼光の兜
佐賀県唐津市で毎年11月に行われる唐津神社の秋季例大祭「唐津くんち」では、米屋町の「酒呑童子と源頼光の兜」が市内を巡幸する。
  • 酒呑童子行列
酒呑童子の出生伝説がある越後国は新潟県燕市では、同市の秋期イベント「酒呑童子行列」などでよさこい風演舞チーム「酒呑童子」がその伝説をコンセプトにした演舞を披露している。

補注・出典

  1. ^ 多田克己『幻想世界の住人たち』 IV、新紀元社〈Truth in fantasy〉、1990年、60頁頁。ISBN 978-4-915146-44-2 
  2. ^ a b 松谷みよ子『日本の伝説』 上、講談社講談社文庫〉、1979年、332-333頁頁。ISBN 978-4-06-134053-4 
  3. ^ 小山直嗣『越後佐渡の伝説』第一法規出版、1975年、69頁頁。 
  4. ^ 『日本大百科全書』 大江山の解説
  5. ^ a b 宮前庄次郎・中尾新緑他 著、高田十郎編 編『大和の伝説』大和史蹟研究会、1959年、38-39頁頁。 
  6. ^ 山口敏太郎監修 『本当にいる日本の「未知生物」案内』 笠倉出版社 2005年、173頁。ISBN 978-4-7730-0306-2
  7. ^ 酒呑童子にちなみ、酒をまき祈る ~老の坂峠 首塚大明神で例祭~”. 亀岡市 (2005年4月15日). 2011年3月21日閲覧。
  8. ^ 宮本幸枝・熊谷あづさ 『日本の妖怪の謎と不思議』 学習研究社、2007年、34頁。ISBN 978-4-056-04760-8
  9. ^ 木下直之 / 福原敏男・編『鬼がゆく 江戸の華 神田祭』平凡社 2009年 ISBN 978-4582834314
  10. ^ 大江山凱陣”. 神田祭ch.公式ブログ (2007年5月12日). 2011年3月21日閲覧。

関連項目