日本三大妖怪

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日本三大妖怪(にほんさんだいようかい)とは、日本に数多伝わる妖怪達のなかでも名実共に上位である三体を指す呼称であるが、三体に何を指すかについては諸説ある。

多田克己による説[編集]

多田克己河童天狗が日本三大妖怪であるとしている[1]。また、のちに発行された書籍でもこの三妖怪を挙げているものがある[2]

小松和彦による説[編集]

小松和彦は古典文学が共有する宇治の宝蔵伝説を背景にして、中世の日本で恐れられた三妖怪として酒呑童子玉藻前大嶽丸の3つを挙げている[3][4]

建保7年(1219年)に成立した『続古事談』「第一 王道后宮」で語られる宇治の宝蔵は、かねてより古典文学の世界で共有されることで著名であった。中世の説話や史料から、宝蔵に納められたとされる宝物を収録する試みも行われている[5]。田中貴子は中世の説話から宇治の宝蔵伝説を論じており[6]、小松和彦はその一部を引用し、玉藻前や酒呑童子の物語は幻影城を支えるために新たに作られた王朝神話であったといえるのでは[7]、としている。

酒呑童子を退治した一行は、首を台の上に載せて都に凱旋し、帝をはじめ摂政や関白の叡覧ののち宇治の平等院の宝蔵に納められたとされる[8]。玉藻前の遺骸は多くの伝本では酒呑童子と同様に、宇治の平等院の宝蔵に納められたと記している[9]。大嶽丸は京の王権の強大さを誇る宝とするにふさわしいものとして宇治の宝蔵に納められることになったという[10]。これらの妖怪だけ退治された後、遺骸もしくは遺骸の一部(酒呑童子の首、大嶽丸の首、那須野の妖狐の遺骸)が「宝物倉」(「宇治の宝蔵」)に収められたとされているからである[3]。言い換えれば、中世において退治された数ある妖怪の内でこの三妖怪は宝蔵主の武力・知力・神仏の加護を示すために、宇治の宝蔵に収める価値のあるほどの大妖怪だった[3]という解釈である。なお、現実の世界の宝蔵の収蔵品リストには三妖怪の記念品があったという記録はなく[11]、書物[注釈 1][注釈 2][注釈 3]で宇治の宝蔵に納められたということが語られるのみである[3]

他に山口敏太郎も日本三大妖怪として九尾の狐(玉藻の前)、酒呑童子、大嶽丸の名前を挙げている[12]

俗説[編集]

日本三大妖怪に関しては、これと似た日本三大悪妖怪という俗説が流布したことがある。この呼称は、Wikipedia日本語版の玉藻前において2005年5月に、酒呑童子において2005年6月に加筆されたものに含まれていたが、出典元が不明であったため、現在は削除されている。Wikipedia日本語版内での調査では、この加筆以前に日本三大悪妖怪という呼称を用いた信頼できる情報源はないと見られている。そして同時に、現在流布している書籍等で日本三大悪妖怪について言及したものはWikipedia日本語版で俗説が流布された後となる、2005年以降に出版されたものに限られると見られている[13][14]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 逸翁美術館蔵『大江山酒天童子絵巻』に記述される
  2. ^ 根津美術館蔵『玉藻前草子』に記述される
  3. ^ 刊本『たむらのさうし』に記述される

出典[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]