虚舟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

虚舟(うつろぶね)は、日本各地の民俗伝承に登場する架空の舟である。他に「空穂舟(うつぼぶね)」「うつぼ舟」とも呼ばれる。

長橋亦次郎の描いた虚舟

概要[編集]

日本各地には、ある時、浜辺に不思議な舟が漂着し、舟の中から美女と生首と菓子が見つかったが、この美女は許されない恋をした結果、恋人の生首とともに海に流されたものと思われるので、人々は再び舟を沖に戻したという伝承が伝わっている。最も著名な事例が後述する享和3年常陸国のものであるが、それ以外にも寛政8年加賀国見屋のこし、元禄12年尾張国熱田沖、越後国今町、正徳年間伊予国日振島明治16年神戸沖などの記録がある[1]

『折口信夫全集』第三巻に収録されている「霊魂の話」(初出は『民俗学』第一巻第三号・郷土研究会講演 1929年9月)には、折口信夫柳田國男のうつぼ舟、かがみの舟に対する考察が記載されている。それによると、うつぼ舟、かがみの舟は、「たまのいれもの」、つまり「神の乗り物」である。かがみの舟は、荒ぶる常世浪を掻き分けて本土に到着したと伝わっていることから潜水艇のようなものであったのではないか、と柳田國男は語っている。

また、折口信夫は、うつぼ舟は、他界から来た神がこの世の姿になるまでの間入っている必要があるため「いれもの」のような形になっていると説いている[2]

虚舟の形状については常陸国の事例の図版が有名であるが、それ以外には虚舟の形状について記述された史料は殆ど存在しない。箱舟と書かれた史料が若干存在するのみである。[3]

常陸国のうつろ舟[編集]

虚舟の伝説の中でも最も広く知られているのは、1803年に常陸国に漂着したとされる事例である。江戸の文人や好事家の集まり「兎園会」で語られた奇談・怪談を、会員の一人曲亭馬琴が『兎園小説』(1825年刊行)に『虚舟の蛮女』との題で図版とともに収録され今に知られているほか、兎園会会員だった国学者・屋代弘賢の『弘賢随筆』にも図版がある。この事例に言及した史料は現在までに7つが確認されており、内容には若干の異同がある[4]

その内容は概ね以下のようなものである。

  • 享和3年、常陸国鹿島郡にある旗本(小笠原越中守、小笠原和泉守などとされる)の知行地の浜に、虚舟が現れた。
  • 虚舟はでできており、窓があり(ガラスが張られている?)丸っこい形をしている。
  • 虚舟には文字のようなものがかかれている。
  • 中には異国の女性が乗っており、箱をもっている。

2014年5月26日付けの『茨城新聞』は川上仁一の忍術を伝える伴家の古文書から「うつろ舟奇談」に関わる史料があり、漂着地の実在地名が「常陸原舎り濱」(現在の神栖市波崎舎利浜)と記され、具体性があると岐阜大学の田中嘉津夫名誉教授が発見したと報じた[5][6]

関連書籍[編集]

資料[編集]

  • 『鶯宿雑記』14巻「常陸国うつろ船流れし事」駒井乗邨,1815年頃?
  • 『兎園小説』「うつろ舟の蛮女」曲亭馬琴,1825年
  • 『弘賢随筆』屋代弘賢,1825年
  • 『梅の塵』「空船の事」長橋亦次郎,1844年
  • 『漂流紀集』「小笠原越中守知行所着舟」1835年以降?
  • 『稲生家文書』「日記(安政 2.正 - 12月)」1855年[7]

研究書[編集]

虚舟を題材としたフィクション[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『江戸「うつろ舟」ミステリー』加門正一,2009年,楽工社54-65ページ
  2. ^ 『折口信夫全集』第三巻261頁―266頁(中央公論社 1955年9月5日発行)
  3. ^ 加門前掲書、165-166ページ
  4. ^ 加門前掲書153-154ページ
  5. ^ UFO「うつろ舟」漂着地名浮上 「伝説」から「歴史」へ一歩茨城新聞2014年5月26日版
  6. ^ UFO「うつろ舟」漂着は波崎? 実在地名記載の新史料「伝説の元の文書か」茨城新聞2014年5月13日版
  7. ^ 「安政二年五月十二日 日記挿入図絵 問題編.pdf 解答編.pdf」埼玉県立文書館 ネット講座 (インターネット古文書講座)

外部リンク[編集]

関連項目[編集]