遠い夏の日

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遠い夏の日
ジャンル テレビドラマ
脚本 松山善三
演出 松山善三
出演者 田村高廣
小山明子
伴淳三郎
小柳久子
毛利菊枝
志垣太郎
ほか
製作
制作 関西テレビ
松山善三プロダクション
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1971年10月6日 - 1972年2月16日
放送時間水曜 22:00 - 22:45
放送枠関西テレビ制作・水曜夜10時枠の連続ドラマ
放送分45分
回数20
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遠い夏の日』(とおいなつのひ)は、1971年10月6日から1972年2月16日までフジテレビ系列局で放送されていたテレビドラマである。関西テレビ松山善三プロダクションの共同製作。三菱グループの単独提供。全20話。放送時間は毎週水曜 22:00 - 22:45 (日本標準時)。

終戦直後の学校を舞台とした作品。

出演者[編集]

スタッフ[編集]

  • 脚本:松山善三
  • 演出:松山善三
  • 制作:KTV、松山善三プロダクション

口パク事件[編集]

2月2日放送分で、教師が教え子の兄に少年自衛隊への入隊をやめるように諭すシーンで音声が切られ、口パクになる状態が生じた。削られたのは「自衛隊というところは、人殺しを教えるところだ」という教師の台詞[1]。松山プロの抗議に対する関西テレビからの回答は、「放送の当日に試写を見て、公共の放送が社会に与える影響の大きさを考えて、局の判断で、不当な台詞と判断して取り消させた」というものだった。本作のスポンサーは日本最大の兵器産業グループである三菱グループが務めていたが、局側は「外部からの圧力はいっさいなし」と否定した[2]

ドラマの終わり方[編集]

通常のドラマでは最後に「終」「つづく」などのテロップやカットが表示されるが、このドラマでは、例えば、座っていた主役の田村高廣がおもむろに立ち上がり、カメラの前に置いてあるざるをひっくり返すとざるの底に「つづく」と書いてあるといった工夫が毎回なされていた。

放送局[編集]

  • 関西テレビ(制作局):水曜 22:00 - 22:45
  • 札幌テレビ:土曜 13:00 - 13:45(1971年10月23日 - 1972年3月4日)[3]

脚注[編集]

  1. ^ 「放送デスクメモ(72,2/1~3/11)」『マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌』第61号、日本マスコミ市民会議、1972年6月1日、53 - 56頁、NDLJP:3463722/28 
  2. ^ 岩波ブックレット 戦後史にみるテレビ放送中止事件』岩波書店、1994年、30 - 31頁。 
  3. ^ 北海道新聞』(縮刷版) 1971年(昭和46年)10月 - 1972年(昭和47年)3月、テレビ欄。

出典[編集]

外部リンク[編集]

関連項目[編集]

フジテレビ系列 水曜 22:00 - 22:45
前番組 番組名 次番組
女人武蔵
(1971年4月7日 - 9月29日)
遠い夏の日
(1971年10月6日 - 1972年2月16日)
日本列島走りある記
(1972年2月23日 - 3月29日)