赤坂プレスセンター

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ヘリポートと研究所建屋。六本木ヒルズ52F大展望台より代替地返還前の2006年撮影。宿泊施設は画面左側にあり写真には写っていない
敷地内の南東隅にある宿泊施設(2012年撮影)

赤坂プレスセンター(あかさかプレスセンター、英語: Akasaka Press Center)とは、東京都港区六本木7丁目にある在日米軍基地である[1]。面積は3万1670平米[1]東京都区部にある唯一のアメリカ軍基地であり[2]、六本木の一等地でもあるため、東京都は全面返還を求めている[1]。付属のヘリポートによるヘリコプターの騒音問題や不安も根強い[2]麻布米軍ヘリ基地と呼ばれることもある[3]。在日米軍はハーディー・バラックス (Hardy Barracks) と呼ぶこともある[4]

概要[編集]

2015年現在、東京都内に残る8か所の在日米軍基地の1つ[5]。元は大日本帝国陸軍第一師団歩兵第3連隊(陸軍麻布三連隊)の敷地であった。太平洋戦争敗戦により、連合国最高司令官総司令部に接収され、ハーディー・バラックスと呼ばれるようになった。

2015年現在、敷地内には、ヘリポート・ガレージ・将校宿泊施設・米軍準機関紙「星条旗新聞」(Stars and Stripes) [6]、米陸軍国際技術センター・太平洋(International Technology Center-Pacific) [6]アメリカ空軍のアジア宇宙産業開発事務所 (AOARD) 、アメリカ海軍のグローバルアジア研究所 (ONRG-Asia) [6]などが設けられている。

ハーディー・バラックスは、1950年(昭和25年)7月1日朝鮮戦争で任務行動中に、航空機事故で戦死した20名の1人である「エルマー・ハーディー伍長」に由来する。単なるヘリポートと宿泊施設があるというだけではなく、アメリカ陸海空軍の最先端技術を探る研究局のアジア出張事務所があり、10数名の研究者が勤務する。基地に勤務する研究者の中には日本人もおり、アジア各国の学会に参加したり、軍用に利用できそうな民間の研究に対して、研究資金を提供したりするなど、情報収集のアジア拠点として利用されている[7]

敷地内の南東隅にある宿泊施設は、鉄筋コンクリート6階建てで、ここが本義の「ハーディー・バラックス」(バラックス=兵舎)。アメリカ軍関係者の紹介があれば、一般の日本人でも宿泊することができる。基地内の建物の建築費や光熱費は、日本の思いやり予算で賄われるため、1泊15-25米ドルという安価で宿泊できる。

ヘリポートを巡る話題[編集]

赤坂プレスセンターに設けられているヘリポートは、駐日アメリカ大使館(港区赤坂1丁目)まで1.7キロメートルという「至便距離」にあり、横田基地福生市)や厚木基地神奈川県綾瀬市)との間に、1日数回の定期ヘリコプター便が運航されるなど、駐日アメリカ大使館への人員・物資の動脈となっている。

港区南麻布にある在日米軍の宿泊施設「ニュー山王ホテル」への要人輸送への経由地としても活用されている[7]。1993年1月には、横田基地から赤坂プレスセンターに向かっていたヘリコプターが、杉並区内の中学校校庭に不時着する事故が起きている[7]

用地の未返却問題[編集]

環状3号線の建設工事による移転[編集]

六本木トンネル(下側)とヘリポート(トンネル上の敷地)
代替地として2011年に返還された基地北側の敷地 (写真左下隅の細長い緑地)。中央の建造物は国立新美術館、左端の道路は都道319号・環状3号線。

1985年昭和60年)まで赤坂プレスセンターのヘリポートは、2015年現在のヘリポートより狭いものであった。1990年平成2年)にヘリポートの地下に環状3号線六本木トンネルを通す工事が実施され、道路工事建設の期間ヘリポートが使用できなくなった。

そのため東京都が工事期間中の代替用地として青山公園の一部を提供し、そこにヘリポートを移設した[1]。この移設工事に際して、在日米軍・東京防衛施設局・東京都の3社は道路工事終了後には提供地を返還し、原状回復する協定を結んだ[1]

大幅に拡大されたヘリポート[編集]

ところが六本木トンネルの建設工事が1993年(平成5年)に竣工したのちも、在日米軍は移設地のヘリポートの方が周囲に高層建築物が少なく、安全運航に適しているなどとして占有を続け、代替用地返却に応じなかった[1]

また工事終了後に再び使用できるようになったヘリポート部分も、代替用地と合わせて運用を開始したため、結果的にヘリポートは大幅に拡張され(道路工事前比1,000m2)広くなった[7]

東京都は原状回復と返却を13年間近くアメリカ側に求めたが、アメリカ側は東京都の要求に応じなかった。

東京都の譲歩[編集]

2007年(平成19年)、東京都はヘリポート占有地の代替として、施設北側の隅地などの不使用地を東京都に返還する案をアメリカ側に提案した[1]。アメリカ側もこれを了承し、2008年(平成20年)年末に合意に至った。

東京都はあくまで「敷地の全面返還」を求めており、この代替地の返却も「全面返還への暫定措置」としている[1]。代替地は施設北側の4,700平米で2010年(平成22年)中の引き渡しを求めていたが[8]、敷地内の給油所や街灯を移設する工事が遅れ、早くても2011年(平成23年)にずれ込んだ[8]

日米地位協定によりアメリカ側に返還する土地の原状回復義務はなく、返還に伴う諸費用は全て日本国政府の負担となった。用地返還までに1億円が必要となり、さらに敷地に残された旧給油所の撤去作業等にも追加費用が必要となった[8]

代替地として返還されたプレスセンター北側の敷地は、国立新美術館 (六本木7丁目22, 2007年開業)と環状3号線に挟まれた細長い「死に地」のため、用途に乏しく返還後は緑地帯となった。

防災計画上のヘリポート[編集]

2007年1月12日、当時の石原慎太郎都知事は災害時の救援物資搬送などで、東京都も米軍ヘリポートを共同使用する事を確認した[1]。それ以降、東京都の総合防災訓練では同基地のヘリポートが使用されている[2]

反対運動[編集]

  • 在日米軍ヘリコプターが超低空飛行を繰り返していると問題になっている[9](アメリカ軍機は日米地位協定により、航空法が定める最低高度規制に従う義務がない)。運用されるヘリコプターは軍用の大型機で、騒音も大きいとされる[3]。隣の六本木公園では、「麻布米軍ヘリ基地撤去実行委員会」による抗議集会が、毎年4月18日に開催され、2015年(平成27年)までに、開催回数は累計48回となった[3][9]
  • 1996年平成7年)、地域住民は、当時の青島幸男東京都知事が、在日米軍及び日本国政府に対し、当施設の返還請求措置をしない事に対して「違法性確認」を求める住民訴訟を起こしたが[4]1998年(平成10年)7月、東京地方裁判所はこの訴えを却下した。
  • 2015年(平成27年)9月1日、東京都と立川市による合同総合防災訓練では、初めて航空自衛隊のヘリコプターによる搬送訓練も加わった。これに対して港区区長は、基地の恒久利用につながりかねないとして、基地撤去への協力を要請する要望書を、当時の舛添要一東京都知事に渡した[2][10]

沿革[編集]

  • 1889年明治22年)1月 陸軍歩兵第3連隊が麻布台に駐屯を開始
  • 1936年昭和11年)2月26日 二・二六事件発生、歩兵第3連隊から叛乱部隊の過半数に当たる900名以上の下士官兵が参加
  • 1936年(昭和11年)5月 歩兵第3連隊の主力が中国東北部に派遣される
  • 1939年(昭和14年)8月 近衛歩兵第5連隊編成
  • 1943年(昭和18年)5月 近衛歩兵第7連隊編成
  • 1945年(昭和20年)8月 敗戦。連合国軍最高司令官総司令部により接収される
  • 1958年(昭和33年)12月 赤坂パレスセンター以外の敷地の接収解除
  • 1984年 トンネル工事に伴い、青山公園の南側にヘリポート移設
  • 1993年 ヘリポートの不当占拠開始
  • 2008年 ヘリポート用地返却断念。代替地の返却で合意
  • 2011年 7月 代替地返却

所在地[編集]

〒106-0032 東京都港区六本木7-23-17

交通[編集]

特記事項[編集]

  • 基地職員の定期健康診断は、防衛省北関東防衛局横田防衛事務所が管理しており、一般入札により民間医療機関が実施している[12]
  • 基地内の施設の建築についても、防衛省北関東防衛局が発注し、日本国内の建設業者に委託している[13][14]
  • 同基地の研究室に勤務していた亀田純博士(アメリカ海軍研究局勤務)の仲介で[7]金沢工業大学の宮野靖教授の研究室のカーボン繊維複合材の耐久性を調べる研究に、アメリカ海軍が45万ドルを拠出している[7]

近隣施設[編集]

全て東京都港区。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 米軍「赤坂プレスセンター」ヘリポート 代替地返還で合意 産経新聞 2007年01月13日 東京朝刊 30頁 第2社会 (全565字)
  2. ^ a b c d 港区長:「米基地撤去協力を」 知事に申し入れ /東京 2015.08.27 毎日新聞 地方版/東京 25頁 (全347字)
  3. ^ a b c ひと/麻布米軍ヘリ基地撤去実行委員会実行委員長川崎悟さん (48) 2011年05月07日 しんぶん赤旗 日刊紙 3頁 総合 (全565字)
  4. ^ a b 星条旗新聞 1996年9月13日
  5. ^ 地上にも空にも… 東京に残る“アメリカ支配”2012年10月21日 テレビ朝日 報道ステーション SUNDAY 報道/ニュース/報道特集 (全294字) 2015年12月検索して内容閲覧
  6. ^ a b c 米陸軍国際技術センター太平洋地区司令官、リチャード R.ライルス米陸軍大佐 「戦争の質的変化に対する米陸軍装備司令部の対応」 『月刊 JADI』 687号, 日本防衛装備工業会, 2004年8月, p.4.
  7. ^ a b c d e f (東京ウオッチ)ヒルズそばに米軍施設 協定無視、居座り13年 港区 /東京都 2006年05月17日 朝日新聞朝刊
  8. ^ a b c 米軍施設 赤坂プレスセンター 来年3月の返還不可能 手続き進まず 2010年02月28日 中日新聞 朝刊 1頁1面 (全550字)
  9. ^ a b 六本木も米基地いらない/撤去求めデモ行進/東京 2015年04月19日 しんぶん赤旗 日刊紙 13頁 社会 (全412字)
  10. ^ 1日の総合防災訓練 米軍ヘリポート使用に懸念 「恒久化につながる」 港区が都に申し入れ書 2015年08月27日 中日新聞 朝刊 24頁 山手版 (全280字)
  11. ^ 歩いて平和を考えて 早乙女勝元さんが新著 横川国民学校など35カ所紹介 /東京都 2013.07.04 朝日新聞 東京地方版/東京 33頁 東京西部 写図有 (全893字)
  12. ^ 【落札情報】平成25年度定期健康診断等(赤坂プレスセンター)の業務委託/防衛省北関東防衛局横田防衛事務所 【落札日】 2013.04.22 落札情報ナビ。株式会社データウエア
  13. ^ 赤坂PC保安施設 設計はISS創研らで 2013.03.27 建通新聞社 東京版 1頁 官庁 (全329字)
  14. ^ 北関東防衛=赤坂PCの保安施設新設へ設計 2012.12.19 建通新聞社 東京版 1頁 官庁 (全423字)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度39分47.7秒 東経139度43分31.9秒 / 北緯35.663250度 東経139.725528度 / 35.663250; 139.725528