歩兵第3連隊
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| 歩兵第3連隊 | |
|---|---|
| 創設 | 1871年 |
| 廃止 | 1945年 |
| 所属政体 |
|
| 所属組織 |
|
| 編制単位 | 連隊 |
| 兵科 | 歩兵 |
| 所在地 |
東京・高崎・新発田→ 東京府東京市麻布区→ 東京都麻布区(現・港区) |
| 編成地 | 東京府東京市麻布区 |
| 通称号/略称 | 豊5620 |
| 愛称 | 麻布三連隊 |
| 補充担任 | 麻布連隊区 - 東京連隊区 |
| 上級単位 | 東京鎮台 - 第1師団 - 第28師団 |
| 最終位置 | 沖縄県宮古郡平良町(現・宮古島市) |
| 戦歴 |
西南戦争 日清戦争 日露戦争 日ソ国境紛争[ノモンハン事件] 日中戦争 大東亜戦争(第二次世界大戦) [沖縄戦/戦争マラリア] |
| 特記事項 | 二・二六事件[反乱兵多数] |
歩兵第3連隊(ほへいだい3れんたい、歩兵第三聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
駐屯地は東京府東京市麻布区麻布龍土町(現・東京都港区六本木)に置かれた。
沿革
[編集]1874年(明治7年)11月13日、陸軍省達号外により、東京鎮台に歩兵第3連隊を置くことが決められた。従来の歩兵第8大隊と歩兵第9大隊を、それぞれ歩兵第3連隊第1大隊と歩兵第3連隊第2大隊に改称し、連隊はこの2個大隊から編成された[1]。
- 1874年(明治7年)12月19日 - 第8大隊と第9大隊を基幹に改編、軍旗拝受
- 1877年(明治10年) - 西南戦争に従軍
- 1894年(明治27年) - 日清戦争に従軍
- 1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍
- 1936年(昭和11年) - 二・二六事件に関与 その後満州チチハルに駐屯
- 1939年(昭和14年)5月 - ノモンハン事件勃発
- 1940年(昭和15年) - 第1師団から第28師団へ所属変更
- 1941年(昭和16年)7月 - チチハルからハルビン近郊の孫家に移駐
- 1944年(昭和19年)8月 - 宮古島に上陸。守備に就くが、マラリアで命を落とす兵士が続出。→詳細は「戦争マラリア § 概要」、および「八重山諸島のマラリア § 戦時下のマラリア」を参照
- 1945年(昭和20年)
歴代連隊長
[編集]| 代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1 | 中村尚武 | 1874.11.20 - | 中佐 |
| 2 | 山地元治 | 1878.1.17 - | 中佐、1878.11.大佐 |
| 3 | 山沢静吾 | 1878.12.19 - | 中佐、1882.2.大佐 |
| 4 | 古川氏潔 | 1883.2.7 - | 中佐 |
| 5 | 大寺安純 | 1885.5.26 - | 中佐、1888.11.大佐 |
| 6 | 真鍋斌 | 1889.9.2 - | 中佐 |
| 7 | 松村務本 | 1891.11.20 - 1894.8.30 | 中佐、1894.6.大佐 |
| 8 | 木村有恒 | 1894.8.31 - 1901.5.22 | 中佐、1897.10.大佐 |
| 9 | 牛島本蕃 | 1901.5.23 - 1907.5.1 | 中佐、1903.11.大佐 |
| 10 | 田中義一 | 1907.5.1 - 1909.1.28 | 中佐、1907.11.大佐 後に第26代内閣総理大臣 |
| 11 | 藤井幸槌 | 1909.1.28 - 1909.11.30 | |
| 12 | 若見虎治 | 1909.11.30 - 1911.9.6 | |
| 13 | 久松定謨 | 1911.9.6 - 1914.5.11 | |
| 14 | 山田良之助 | 1914.5.11 - 1916.4.1 | |
| 15 | 長谷川猪三郎 | 1916.4.1 - | |
| 16 | 林仙之 | 1919.7.25 - | |
| 17 | 武川寿輔 | 1921.4.20 - 1922.8.15[2] | |
| 18 | 馬淵直逸 | 1922.8.15 - 1923.8.6[3] | |
| 19 | 牛島貞雄 | 1923.8.6 - 1924.12.15[4] | |
| 20 | 梅津美治郎 | 1924.12.15 - | 後駐新京帝國特命全権大使 東京裁判で終身禁錮の宣告を受け獄死 |
| 21 | 筒井正雄 | 1926.12.1 - | |
| 22 | 永田鉄山 | 1928.3.8 - | 後陸軍省軍務局長・少将に昇進 相沢事件で非業の死を遂げ、一階級特進で中将 |
| 23 | 山下奉文 | 1930.8.1 - | 後第14方面軍司令官・大将 マニラ軍事裁判で死刑宣告を受け刑死 |
| 24 | 長屋尚作 | 1932.4.11 - | |
| 25 | 井出宣時 | 1933.8.1 - | |
| 26 | 渋谷三郎 | 1935.12.2 - 1936.3.28[5] | |
| 27 | 湯浅政雄 | 1936.3.28 - | |
| 28 | 小林浅三郎 | 1937.11.1 - | |
| 29 | 佐久間盛一 | 1938.11.9 - | |
| 30 | 河添連 | 1939.12.1 - | |
| 31 | 遠藤新一 | 1942.5.8 - | |
| 末 | 怡土軍 | 1943.3.1 - |
遺構
[編集]戦後、本連隊の跡地は米軍に接収され、赤坂プレスセンターなどが設けられた。1958年(昭和33年)までに赤坂プレスセンター・星条旗新聞社周辺を除く大部分が返還され、東京・日比谷にあったNHK東京放送会館の移転先として一度は決定された。しかしNHKは渋谷区神南のワシントンハイツ(旧・代々木練兵場)跡地に移転することになり、代々木公園の面積が減少する見返りとして東京都に貸し出されることで国、東京都、NHKの間で妥協が成立。1970年(昭和45年)、都立青山公園南地区として開園した。
→詳細は「青山公園 § 年表」、および「NHK放送センター § 概要」を参照
→「赤坂プレスセンター § 沿革」も参照
また、1962年(昭和37年)に東京大学生産技術研究所が千葉県千葉市から移転。2001年に目黒区の駒場IIキャンパスへ移転した後、国立新美術館が建設されることになり2006年(平成18年)に竣工した。本連隊兵舎の一部が「国立新美術館 別館」として保存されている。
→詳細は「国立新美術館 § 公募団体主導の構想」、および「東京大学生産技術研究所 § 概要」を参照
国立新美術館の隣接地には、政策研究大学院大学が新宿区若松町の税務大学校跡地から移転することになり、2005年(平成17年)に完成した。
→詳細は「政策研究大学院大学 § キャンパス」、および「税務大学校 § 沿革」を参照
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 太政官『太政類典』。国立公文書館デジタルアーカイブを閲覧。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
関連項目
[編集]- 大日本帝国陸軍連隊一覧
- 沖縄戦 - 本連隊は先島諸島の守りに就いていたため、実戦には投入されず玉砕を免れた。
- 戦争マラリア - 八重山では陸戦がなかったものの、強制疎開によるマラリア感染で死者が相次いだ。
- 八重山諸島のマラリア
- 龍土町
- 本連隊在籍経験者