藤原俊家

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藤原 俊家(ふじわら の としいえ、寛仁3年(1019年) - 永保2年12月2日1082年12月23日))は平安時代中期の公卿歌人右大臣藤原頼宗の子。正二位右大臣大宮右大臣と号す。中御門流の祖であり、子孫からは中御門家(松木家)・持明院家を始めとして、9家の堂上家羽林家)を出した。

経歴[編集]

長元4年(1031年)に叙爵長元7年(1034年右近衛中将に任ぜられる。長元9年(1036年)に蔵人頭に補任され、長暦2年(1038年)に従三位参議に叙任されて公卿に列す。翌年に正三位に叙される。

永承3年(1048年)に権中納言康平8年(1065年)に権大納言に任ぜられる。晩年の承暦4年(1080年)に右大臣に昇る。没時正二位右大臣

伝承および記録[編集]

声がよくとおり、歌を詠いあげるのがうまかったといわれ、その声に誘われて多政方という舞の名人と阿吽の呼吸で舞い踊ったことが『古今著聞集』(橘成季の作)に記録されている。

能楽の「佐保山」の由来は、藤原俊家の一行が春日大社に参詣した際に佐保山の上に白雲のような物を見つける。その白い物は衣で、その衣をさらしていた女性にその謂われを尋ねると、和歌にも詠まれている特別な衣だと答え、奈良の山々や景色、その山神の神徳と君が代の万歳をことほぎ、神祭りを見せようと姿を消す。そして佐保山の姫が現われ神楽を奏したということにある。

官位・官職等[編集]

系譜[編集]