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藤原能季

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原能季
時代 平安時代中期 - 後期
生誕 長暦3年(1039年
死没 承保4年8月1日1077年8月21日
別名 伊勢中納言
官位 正二位権中納言
主君 後冷泉天皇後三条天皇白河天皇
氏族 藤原北家中御門流
父母 父:藤原頼宗、母:藤原親時の娘
兄弟 院の上、兼頼延子俊家基貞能長能季、頼観、昭子源師房
藤原信房の娘
有家、実覚、季覚、宗覚、陽伊
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藤原 能季(ふじわら の よしすえ)は、平安時代中期から後期にかけての貴族藤原北家中御門流右大臣藤原頼宗の五男。官位正二位権中納言伊勢中納言と号す。

経歴

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後冷泉朝永承3年(1048年従五位下叙爵し、永承7年(1052年侍従に任官。天喜2年(1054年)従五位上・少納言に叙任されると、侍従と少納言を務めながら、天喜3年(1055年正五位下、天喜4年(1056年従四位下康平2年(1059年)従四位上次いで正四位下と昇進を重ねる。康平4年(1061年蔵人頭に補せられたのち、康平6年(1063年)になって左近衛中将に任ぜられた。

康平7年(1064年)父・頼宗右近衛大将辞任に伴い、能長は参議に任ぜられて公卿に列すと、翌康平8年(1065年)頼宗の譲りを受けて従三位に叙せられるが、前後して頼宗が没している。参議任官後も引き続き近衛中将を務める傍ら、治暦4年(1068年正三位延久元年(1069年従二位と昇叙を重ね、後三条朝末の延久4年(1072年権中納言に昇進した。

白河朝承保4年(1077年)正月に正二位に至るが、疱瘡に冒され同年8月1日に薨去享年39。最終官位は権中納言正二位。9月5日にその死が奏上された。

官歴

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公卿補任』による。

系譜

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  • 父:藤原頼宗
  • 母:藤原親時の娘
  • 妻:藤原信房の娘
  • 生母不明の子女
    • 男子:実覚
    • 男子:季覚
    • 男子:宗覚
    • 男子:陽伊

脚注

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参考文献

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  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年