船霊

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船霊を祀る神社の例。大阪府住吉大社・船玉神社。

船霊(ふなだま)とは、海の民が航海の安全を願う神。船玉とも表記する。また、地方により、フナダマサンフナダンサンオフナサマなど、様々な異名がある。

概要[編集]

天平宝字6年(762年)に嵐にあった遣渤海使船能登で、無事の帰国を船霊に祈ったことがあり、起源は相当古いようである[1]

御神体がある場合とない場合がある。

ある場合は、人形銅銭、人間の毛髪五穀などを船の柱の下部、モリとかツツと呼ばれる場所に安置し、一種の魔除け・お守り的な役目を果たす。また、陸上に船霊を祀る神社をおく場合もある。近年では地上の寺社のお札を機関室などに納めることが多いようである。

ない場合でも、正月11日に「船霊祭」等と称して儀礼を行ったり、「船迎え」という行事を行うところもある。

全国的に、船霊は女神であるとされる。海上に女性を連れて行ったり、女性が1人で船にのったりすると、憑かれたり、天候が荒れたりするとして忌む傾向がある。元来は巫女が入ったものと考えられ、その女性を指して「オフナサマ」といったためにこのようなタブーができたと考えられる

船霊を主に祀るのは漁民の他、船大工である。船が完成すると棟梁は船霊をまつる儀式を執り行う。海上では「カシキ」と呼ばれる、炊事を担当する少年が稲穂などを捧げて世話をした。

神体としてのサイコロは2つで、「天1地6、表3あわせ艫4あわせ、中にどっさり (5)」になるように据えたという

モリやツツからでる「ぢっちんぢっちん」という音は、神の垂れる(ソシル、イサム、シゲルという)、神託と捉られた。

なお、船霊祭を行い、船霊を奉安する事が古くよりある。『続日本紀』では淳仁天皇2年(758年)8月に船霊祭を行ったとある。船霊祭は各に多様な神事が伝承されているが、下記は出雲大社での儀式の概要である。

その他[編集]

  • 海外で船霊にあたるものとしては、西洋で船首や船尾に女神を模した船首像を取り付けることがある(また、ドイツやオランダなどでは船首像に船を守る妖精が宿るという伝説がある)。中国媽祖などの文化もある。
  • 近世期における妖怪としての安宅船の話として、志の低い者や罪人が乗り込もうとすると、唸り声をあげ、乗船を拒否し、徳川家康の安宅船は、嵐の夜、「伊豆へ行こう」と声を出し、自ら江戸を出航して三浦三崎で捕らえられ、廃船処理された。『新著聞集』の記述では、この船材を購入した者の女房に安宅船の霊が憑りつき、精神に異常をきたしたため、その魂を鎮めるため、本所深川の安宅町に塚を築き、供養したという[3]。また『日本書紀』や『続日本紀』には、功績のあった船に対して、五位(下級貴族の位)を授ける例が見られる[注 1]ことからも、古代から船そのものに対して、魂や人格を認める考え方があった。

脚注[編集]

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注釈

  1. ^ 詳細は「叙位#人外に対する叙位」を参照

出典

  1. ^ 続日本紀』巻24、天平宝字7年8月壬午(12日)条。
  2. ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』 出雲大社教教務本庁発行、1989年(平成元年)9月、全427頁中280頁。
  3. ^ 村上健司 著、水木しげる 画 『改訂・携帯版 日本妖怪大事典』 角川文庫、再版2019年、26–27頁。

参考文献[編集]

関連項目[編集]