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石川錬治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石川 錬治郎
いしかわ れんじろう
生年月日 (1939-06-22) 1939年6月22日
出生地 日本の旗 秋田県南秋田郡五城目町
没年月日 (2021-10-29) 2021年10月29日(82歳没)
死没地 日本の旗 東京都
出身校 早稲田大学文学部
東京大学大学院農学系研究科
前職 千葉大学園芸学部助手
所属政党日本社会党→)
無所属→)
国民新党→)
日本未来の党→)
無所属
称号 従五位
旭日小綬章

第16代 秋田市長
当選回数 3回
在任期間 1990年5月27日[1] - 2001年6月6日[1]

選挙区 秋田市選挙区
当選回数 1回
在任期間 2007年 - 2011年
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石川 錬治郎(いしかわ れんじろう、1939年6月22日[2] - 2021年10月29日)は、日本政治家秋田市長(3期)、秋田県議会議員(1期)を務めた。

略歴

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秋田県南秋田郡五城目町字杉沢生まれ[2]秋田県立秋田高等学校早稲田大学文学部を卒業。東京大学大学院農学系研究科農業経済専攻修士課程修了[2]

千葉大学園芸学部助手などを経て、1983年第13回参議院議員通常選挙日本社会党公認で秋田県選挙区より立候補し、落選。1986年第14回参議院議員通常選挙にも立候補したが、落選。

1989年秋田市長選挙に立候補したが、現職の高田景次に敗れ落選。1990年、高田の辞任に伴う秋田市長選挙に立候補し初当選。以後3期連続当選する。初当選時は自民党民社党が推す候補を破って当選しているため、非共産革新候補の扱いであったが、2期目以降は自民党などの支援も受けた[3]。市政では秋田市交通局および秋田市ガス局の民間への移管や秋田市消防本部における救急救命の整備、秋田県では初となる中高一貫校の開設、現在も継承されている各地域への市民サービスセンターの整備などに尽力。ユニークなものとして、月に1回、市民と直接電話で意見や提言などを聞く市長ホットラインを開設していた。3期目途中の2001年、女性への現金授受問題が取り沙汰される中、妻の介護を理由に辞任。

2003年第43回衆議院議員総選挙では秋田1区にて無所属で立候補したが、落選。2005年8月、国民新党の結党に参加し、第44回衆議院議員総選挙に立候補したが落選[4]2007年4月、秋田県議会議員選挙に立候補し初当選。2011年4月、秋田県議会選挙に立候補し2期目を目指すも落選[5]。なお2011年に落選するまで石川は唯一の国民新党所属の都道府県議会議員であった。

2012年11月、国民新党秋田県支部の政党組織を解消して日本未来の党に合流した。2013年5月、日本未来の党秋田県連の解散に伴い、同党を離党[6]2015年の県議選にも立候補したが、落選。

2021年10月29日、東京都内の病院で死去[7]。82歳没。死没日をもって従五位に叙され、旭日小綬章を追贈された[8]

関連項目

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関連人物

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脚注

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  1. ^ a b 歴代市長および副市長(助役)の紹介”. 秋田市. 2024年4月30日閲覧。
  2. ^ a b c 日外アソシエーツ 1999, 34頁.
  3. ^ 秋田市・市長選 (秋田県)”. 政治データのブログ. 2022年9月13日閲覧。
  4. ^ 秋田1区-2005総選挙
  5. ^ ザ・選挙 2011年秋田県議会選挙2011年7月23日閲覧。
  6. ^ 元秋田市長/元秋田県議会議員/現役政治活動者 石川れんじろう公式サイト
  7. ^ 石川錬治郎氏が死去、元秋田市長 82歳 - 秋田魁新報電子版 2021年11月2日
  8. ^ 『官報』第631号9頁 令和3年12月7日号

参考文献

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  • 日外アソシエーツ 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X 

外部リンク

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