湊鶴吉

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湊 鶴吉(みなと つるきち、1872年10月明治5年9月[1][2][3]〉 - 1945年昭和20年〉11月20日[4])は、日本政治家秋田市会議長や秋田市長(第7代)[5]を務めた。

経歴[編集]

秋田県出身[6][7]。湊弥七の二男として生まれる[1][7][2]。1895年(明治28年)3月、慶應義塾を卒業し、秋田市会議長、秋田銀行監査を経て、1932年(昭和7年)10月、秋田市長に就任した[2]

市長在任中は、雄物川の改修工事の推進、保育園小学校の建設、秋田婦人ホーム楢山母子寮開設への助成などに尽力した[2]

墓所は秋田市満福寺にある。

親族[編集]

  • 父 湊弥七(秋田銀行監査役)[8]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703995 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078694 
  • 市制六十周年記念誌』秋田市総務課、1949年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3013027 
  • 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。 
  • 日外アソシエーツ 編集『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。ISBN 4816929304