甘露寺規長
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 正徳3年6月23日(1713年8月13日) |
死没 | 天明3年12月22日(1784年1月14日) |
戒名 | 幽玄院 |
官位 | 従一位、権大納言 |
主君 | 中御門天皇→桜町天皇→桃園天皇→後桜町天皇→後桃園天皇 |
氏族 | 万里小路家→甘露寺家 |
父母 |
父:万里小路尚房、母:吉田兼敬の娘 養父:甘露寺尚長 |
兄弟 | 万里小路稙房、規長 |
妻 |
正室:黒田長貞の娘 継室:脇坂安清の娘 |
子 | 篤長、綾姫、千百、常子ら |
甘露寺 規長(かんろじ のりなが)は、江戸時代中期の公卿。官位は従一位・権大納言。甘露寺家29代当主。
経歴
[編集]正徳3年(1713年)、万里小路家19代当主・万里小路尚房の子として誕生。母は吉田兼敬の娘。
甘露寺尚長の養子となる。正室は秋月藩主黒田長貞の娘、継室は龍野藩主脇坂安清の娘。薩摩藩5代藩主・島津継豊の正室・浄岸院(竹姫)は従姉にあたる。子に篤長、綾姫(多千姫とも。薩摩藩第8代藩主・島津重豪継室。玉貌院)、千百(佐賀藩主鍋島宗教養女、蓮池藩主鍋島直寛正室)、常子(萩原従言正室)らがいる。