甘露寺経遠

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甘露寺経遠
時代 安土桃山時代
生誕 天正4年(1576年
死没 慶長7年7月14日1602年8月20日
改名 勧修寺経遠→甘露寺経遠
戒名 禅空
官位 正四位上蔵人頭右中弁
主君 正親町天皇後陽成天皇
氏族 勧修寺家甘露寺家
父母 父:勧修寺晴豊、母:土御門有脩の娘
養父:甘露寺経元
兄弟 勧修寺光豊経遠伊達行源坊城俊昌阿部致康鳳林承章佐久間安政
養子:豊長
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甘露寺 経遠(かんろじ つねとう)は、安土桃山時代公家官位正四位上蔵人頭右中弁甘露寺家28代当主。

経歴[編集]

天正4年(1576年)、准大臣勧修寺晴豊の次男として誕生。母は陰陽頭刑部卿土御門有脩の娘。

権大納言甘露寺経元の養子となる。慶長7年(1602年)、卒去。法名は禅空。

家督は権中納言正親町三条公仲の三男で養子・豊長が継いだ。

慶安手鑑などに筆蹟が有り、名筆の誉れ高い。