藤原光房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
藤原光房
時代 平安時代後期
生誕 天仁2年(1109年
死没 久寿元年11月10日1154年12月16日
別名 伊豆弁
官位 正四位下権右中弁
主君 鳥羽天皇崇徳天皇近衛天皇
氏族 藤原北家勧修寺流
父母 父:藤原為隆、母:藤原有佐の娘
兄弟 憲方光房憲隆憲光為国覚隆源顕雅室、平実親室、藤原宗能室、藤原俊経室、藤原親隆室、源俊隆
源有賢の娘、藤原俊忠の娘
藤原為忠の娘、平親宗の娘
信方経房光長隆範定長、行舜、為頼光綱、光慶、光玄、隆遍中山忠親
テンプレートを表示

藤原 光房(ふじわら の みつふさ)は平安時代後期の貴族藤原北家勧修寺流参議藤原為隆の三男。官位正四位下権右中弁伊豆弁を号す。

経歴[編集]

元永3年(1120年)に正六位上大膳亮に任ぜられた後、摂津守伊豆守勘解由次官春宮大進を歴任。久安3年(1147年)に右少弁に任ぜられる。久安6年(1150年)権右中弁に進み、仁平2年(1152年中宮亮を兼ねて中宮藤原呈子に仕えるが、久寿元年(1154年)11月10日に頓死した。享年46。

系譜[編集]

参考文献[編集]

  • 『弁官補任』群書類従収
  • 『尊卑分脉 第二篇』吉川弘文館、2007年