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[[2010年]][[1月7日]]過去に7年間在籍した古巣の千葉に5年ぶりに復帰したが、2011シーズン終了後に戦力外通告を受けた。2011年12月13日に[[Jリーグ合同トライアウト]]に参加。[[2012年]]より、[[大分トリニータ]]に完全移籍した。移籍後は3トップの一角としても起用されている。[[2013年]][[11月28日]]、契約満了による退団が発表された<ref>{{Cite web |date=2013-11-28 |url=http://www.oita-trinita.co.jp/news/detail/index_1_2026.php |title=契約満了選手のお知らせ |publisher=大分トリニータ |accessdate=2013-12-22}}</ref>


==エピソード==
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*2005年 - 2009年 [[ジュビロ磐田]]
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*2010年 - 2011年 ジェフユナイテッド市原・千葉
*2010年 - 2011年 ジェフユナイテッド市原・千葉
*2012年 - [[大分トリニータ]]
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== 個人成績 ==
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その他の公式戦
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== 外部リンク ==
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* [http://www.murai-shinji.net/ 村井慎二公式サイト]
* [http://www.murai-shinji.net/ 村井慎二公式サイト]

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2013年12月22日 (日) 09:17時点における版

村井 慎二
名前
愛称 しんちゃん
カタカナ ムライ シンジ
ラテン文字 MURAI Shinji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-12-01) 1979年12月1日(44歳)
出身地 千葉県千葉市
身長 175cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF/DF/FW
利き足 左足
ユース
1995-1997 ジェフユナイテッド市原ユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2004 ジェフユナイテッド市原 116 (7)
2005-2009 ジュビロ磐田 112 (4)
2010-2011 ジェフユナイテッド市原・千葉 22 (3)
2012-2013 大分トリニータ 43 (5)
代表歴
2005-2006 日本の旗 日本 5 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年12月22日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

村井 慎二(むらい しんじ、1979年12月1日 - )は、千葉県出身のサッカー選手。ポジションは主にミッドフィールダー

来歴

ジェフユナイテッド市原のジュニアユース、ユースチームを経て1998年にトップチームに昇格した。なかなか芽が出なかったが2000年に就任したズデンコ・ベルデニックに見出され、翌2001年からは左サイドに定着した。2001年から2003年までの崔龍洙とのホットラインがジェフユナイテッド市原の得点源のひとつであった。

高い実力と共に、2005年からホームゲームを行う千葉市出身の選手という事でジェフユナイテッド市原では非常に人気の高い選手であったが、ジェフユナイテッド市原がジェフユナイテッド市原・千葉に名称を変更し、出身地の「千葉」の名称が入る直前に、当時ジュビロ磐田の監督に就任した山本昌邦のオファーを受け、磐田に移籍した。

磐田ではジェフ時代よりも守備が要求され、また連携がなかなかうまくいかない中、前田遼一とのコンビを比較的早く成立させ、彼の得点を何度もアシストしている。そして2005年の東アジア選手権では、日本代表に初招集された。

ドイツワールドカップに向けた日本代表における左サイド三都主アレサンドロの控えの座を巡り、中田浩二三浦淳宏駒野友一と激しいポジション争いを繰り広げる。だが、三都主の疲労を考慮され[1]先発出場した2006年5月9日ブルガリア戦において試合中に負傷退場する。翌日の診断結果は左ひざ前十字じん帯断裂で全治半年から1年と診断された。これにより5月15日のワールドカップメンバー決定を目前にしての離脱・落選を余儀なくされたほか、同年は残りをリハビリに費やすことになってしまった。幸いにして順調に回復、2007年シーズンの開幕に間に合った。

2009年11月25日チームの若返りや経営不振が影響となり、ジェフ時代からの同僚で磐田でも05年から共に5年間在籍した茶野隆行とともに磐田から戦力外を受ける。

2010年1月7日過去に7年間在籍した古巣の千葉に5年ぶりに復帰したが、2011シーズン終了後に戦力外通告を受けた。2011年12月13日にJリーグ合同トライアウトに参加。2012年より、大分トリニータに完全移籍した。移籍後は3トップの一角としても起用されている。2013年11月28日、契約満了による退団が発表された[2]

エピソード

  • 代表戦での負傷後、千羽鶴を送ってきたファンに自ら対応したり、インタビューなどでのストイックな発言など真面目で誠実な性格を見せる反面、時には予想も出来ないようなとぼけた返答をする天然ボケの一面を持つ。
  • 2005年、ジュビロ磐田移籍後初めてのジェフホームゲーム[3](第30節 2005年11月12日 フクダ電子アリーナ)では、ボールを持つ度にジェフサポーターから激しいブーイングを浴びたが、自らの2アシストで引き分ける。ジェフ側へ深深と一礼してグラウンドを去っていった。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
1998 市原 28 J 4 1 0 0 0 0 4 1
1999 J1 1 0 2 0 0 0 3 0
2000 19 2 0 2 0 0 0 4 0
2001 25 1 5 0 3 0 33 1
2002 26 2 5 2 0 0 31 4
2003 29 2 3 0 3 3 35 5
2004 11 29 1 5 0 1 0 35 1
2005 磐田 14 30 0 1 0 3 0 34 0
2006 11 1 2 1 0 0 13 2
2007 23 2 5 0 0 0 28 2
2008 24 0 2 0 0 0 26 0
2009 24 1 4 0 1 0 29 1
2010 千葉 19 J2 4 1 - 2 0 6 1
2011 18 2 - 2 0 20 2
2012 大分 11 37 5 - 0 0 37 5
2013 J1 6 0 3 0 0 0 9 0
通算 日本 J1 234 11 39 3 11 3 284 17
日本 J2 59 8 - 4 0 63 8
総通算 293 19 39 3 15 3 347 25

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2005 磐田 14 4 0
通算 AFC 4 0

経歴

代表歴

出場大会など

試合数

  • 国際Aマッチ 5試合 0得点(2005-2006)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2005 3 0
2006 2 0
通算 5 0

関連項目

  1. ^ 鹿島浦和の選手は2日前にJリーグの試合があった為。
  2. ^ 契約満了選手のお知らせ”. 大分トリニータ (2013年11月28日). 2013年12月22日閲覧。
  3. ^ ナビスコカップでのジェフホームゲームはホームスタジアムではない国立競技場であった上に、村井は東アジア選手権に参加した日本代表の一員だったため欠場した。

外部リンク