江ノ島鎌倉観光600形電車

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東急デハ80形電車 > 江ノ島鎌倉観光600形電車
江ノ電600形601編成、江ノ島駅、1989年
江ノ電600形603編成、1982年
600形の運転台、静態保存されている601号車、一部機器が保存に際して撤去もしくは交換されている、2007年
600形の客室内、静態保存されている601号車、2005年

江ノ島鎌倉観光600形電車(えのしまかまくらかんこう600がたでんしゃ)は、江ノ島鎌倉観光(現・江ノ島電鉄)が保有した電車である。1970年に東京急行電鉄から購入され、1990年まで運行されていた。

概要[編集]

江ノ島鎌倉観光[注釈 1](現江ノ島電鉄)は、開業から1945年までは軌道法に基づく軌道線であったが、同年に地方鉄道法に基づく鉄道線に変更されているという経緯があったため、1953年に制定された「改善3か年計画」[1]を契機として1960年にかけて連結車200形2両1編成と連接車の300形2両5編成および500形2両2編成を導入して近代化を推進していた[2]。しかしながら、通常の列車は全列車2両編成化がなされ[2]ていたが、一方で多客時には1951年10月22日付の地方鉄道運転規則例外取扱許可[3]に基づく特殊続行運転が、後続車に100形を使用する形で実施されており、これが定時運行を妨げていた[1][注釈 2]

その後1960年代にはモータリゼーションの進展に伴い1964年以降輸送人員は減少に転じ[4]たために鉄道の廃止が検討されたが、不動産事業と密接な関係にある鉄道事業からの撤退は得策ではないと判断され[5]、また、他事業により鉄道事業を支えることもできる状況であった[5]ことから存続することとなった。これを受けて1960年代後半から1970年代はじめにかけて再度近代化、合理化、輸送力の増強などがなされることとなり、江ノ島・極楽寺両変電所シリコン整流器化、特殊続行運転の廃止と4両運転の開始、単線自動閉塞信号装置の運用開始、車両の集電装置の変更などが実施されている。

これらの施策のうち、輸送力増強と運行の合理化・保安度向上のため特殊続行運転の廃止と連接車の4両運転の開始にあたっては各駅のホームの延長などがなされたほか、これにより不足することとなる機材の補充が必要となり[5]1970年に東京急行電鉄から4両、1971年上田交通から2両を譲受し、それぞれ600形、800形としている。

本項で記述する600形は、1970年に東京急行電鉄からデハ80形デハ87(2代) - 90(2代)号車を譲り受けて江ノ島鎌倉観光における規格に適合するよう改造したものである。この4両は、もともとは1925年に蒲田車両で製造された玉川電気鉄道のの36号形であり、その後大東京発足時にデハ20形となっていたものを1953年川崎車輛で鋼体化改造してデハ80形デハ104 - 107号車となり、東急玉川線で運行されていたものである。その後玉川線廃止時にデハ87(2代) - 90(2代)号車に改番して世田谷線用として存置されていたが、デハ81 - 86号車と異なり連結2人のり改造が実施されず、運用本数的にも余剰であったことから譲渡対象となったものであり、事実、これら4両が世田谷線分離後に稼動する機会はごく稀であったといわれている[要出典]。なお、車号の変遷は以下の通り[6]

  • 玉川電気鉄道(→東京横浜電鉄)45 → 東京急行電鉄デハ29 → デハ104 → デハ87(1970年4月30日廃車) → 江ノ島鎌倉観光(→江ノ島電鉄)601(1970年9月1日
  • 玉川電気鉄道(→東京横浜電鉄)38 → 東京急行電鉄デハ23 → デハ105 → デハ88(1970年4月30日廃車) → 江ノ島鎌倉観光(→江ノ島電鉄)602(1970年9月1日) → 651
  • 玉川電気鉄道(→東京横浜電鉄)37 → 東京急行電鉄デハ22 → デハ106 → デハ89(1970年10月31日廃車) → 江ノ島鎌倉観光(→江ノ島電鉄)603(1970年12月5日
  • 玉川電気鉄道(→東京横浜電鉄)39 → 東京急行電鉄デハ23 → デハ107 → デハ90(1970年10月31日廃車) → 江ノ島鎌倉観光(→江ノ島電鉄)604(1970年12月5日)

譲受にあたっての改造内容は、台車の改造による軌間変更(1372mm → 1067mm)、客用扉ステップの撤去、片運転台化、乗務員室脇の客用扉の移設、方向識別灯の撤去などとなっている一方、パンタグラフの位置、制御方式(電磁単位接触器式直並列間接非自動制御のES-610)は東急時代のままであった。

車体・走行装置[編集]

車体は張上げ屋根で前面が半流線形の全体に丸みを帯びたデザインと高さ1000mmの大型の窓を特徴としている。車体前面は正面が2枚窓で隅部に狭窓を配置した4枚窓構成で、運転台窓以外は木枠の下降窓となっている。前照灯は正面上部に丸型のもの1基が設置され、尾灯は正面下部左右の車体端ぎりぎりの位置に丸型のものが設置されている。また、譲受にあたっては正面窓上部左右に配置されていた方向識別灯や編成端側の車体裾部の電気連結器や空気ホースが撤去されているほか、横長の行先表示板差しが設置されている。側面は窓扉配置D4D4Dで乗降扉は車体両端のものは幅780mm、中央のものは850mmの片開戸となっており、また、側面窓は戸袋窓が固定式でその他は上段固定・下段上昇式となっている。譲受にあたっては車両両端の乗降扉に設置されていたステップを撤去し、2両半固定編成化に伴い片側の運転室を撤去したほか、運転室の長さを確保(東急時代は立位、江ノ電では座位)するため、各車の編成端側の乗降扉を後方に370mm移設して戸袋窓の幅を縮小しており、この箇所の戸袋窓のみは幅620mm、その他の窓は幅1000mmとなっている。

室内は乗降扉間に編成端側は長さ3830mm、連結面側が4210mmのロングシートを配置しており、座席定員はいずれも編成で64名、立席定員136名となっている。また、運転室は客室との間に簡単な仕切が設置されたもので、中央やや左側部に運転台が設置され、乗務員室扉がないため車掌は車体隅部の下降窓から前方監視を行っていた。

台車はボールドウィン製L系台車をベースとした東京市電気局D-10台車に類似のもので、台枠は板台枠、枕バネは重ね板バネ、軸バネはコイルバネ、軸受メタル軸受となっており、固定軸距は1422mm、車輪径は860mmで主電動機は動輪の外側に吊り掛け駆動方式で装荷されている。この台車は東急デハ20形から80形に鋼体化改造された際に元の台車を1928-30年日本車輌製造製のデハ40形と交換して装備されたもので、江ノ島鎌倉観光への譲受の際に軌間を1372mmから1067mmに変更する改造を実施している。

主電動機は台車の改造に伴い、旧来のものが装荷できなくなったため、601-602編成には100形110号車[注釈 3]のTDK-583(定格出力37.3→45.0kW)を2基と、電動貨車2形2号車[注釈 4]のTDK-13[7](定格出力48.0kW→45.0kW)を2基、603-604編成には東急車輛製造(現総合車両製作所)の手持部品から購入した日立製作所製のHS253-A(定格出力50.0kW)を4基を搭載している[6]。601-602編成用の4基については定格出力を45.0kWとするように改造されており、また、各主電動機は各車2基ずつ、台車の車両内側の車軸に装荷されている。

ブレーキ装置は従来のSME式(非常管付三管式直通空気制動)に電磁制御弁が追加され、電磁SME式となって応答性向上が図られている。また、電動空気圧縮機はDH-16を各編成2基ずつ搭載している。

運行開始後[編集]

1970年9月15日より601-602編成、同年12月15日より603-604編成が、翌1971年12月10日には800形801-802編成が運行を開始しており、これにあわせて1971年6月20日に特殊続行運転が廃止・翌6月21日に連接車2編成の重連による4両運転が開始され、さらに同年12月27日には単線自動閉塞式が使用開始されており、1969年12月1日の江ノ島・極楽寺両変電所のシリコン整流器化とあわせて大幅な近代化がなされている。[注釈 5]

パンタグラフは導入当初は2両とも藤沢寄りに設置されていたが、その後パンタグラフの引紐を運転台から操作するために601・603号車については鎌倉寄りに移設され、各車とも運転台寄りとなっている。

当初、主電動機は各車2基、編成で計4基であったが、藤沢駅の移転・高架化により、それまで24.9パーミルであった[注釈 6]最急勾配が35パーミルとなる[注釈 7]ことに伴い登坂力確保のため2基追加され、編成あたり6基となっている。主電動機は静岡鉄道21形が1973年に廃車となった際に装備していたものを譲受したTDK31-SM(定格出力63.8kW)2基と自社の100形105号車[注釈 8]から確保した2基(定格出力37.3→45.0kW)が用意されており、具体的な改造内容は以下の通り[6][8]となっている。なお、601-602編成の主電動機はDK-31Aの名称ともされている[9]

  • 601:変更なし、45.0kW×2基(歯車比3.0、定格速度30.0km/h・牽引力10.0kN)、各台車の車両内側車軸に1基ずつ装荷
  • 602:105号車の主電動機2基を定格出力37.3kWから45.0kWに改造の上で追加搭載、45.0kW×4基(歯車比3.0、定格速度30.0km/h・牽引力20.0kN)、各台車に2基ずつ装荷
  • 603:搭載していたHS253-Aを静岡鉄道から譲受したTDK31S-Nに換装、63.8kW×2基(歯車比3.2、定格速度42.0km/h・牽引力17.6kN)、各台車の車両内側車軸に1基ずつ装荷
  • 604:603号車が搭載していたHS253-A2基を追加搭載、50.0kW×4基(歯車比3.37、定格速度41.0km/h・牽引力10kN)、各台車に2基ずつ装荷

また、これにあわせて主制御器や主幹制御器も東洋電機製造製のES-801Bに換装され、制御方式は油圧カム式間接自動進段式となっている。なお、藤沢駅は1971年4月1日に仮駅化され、1974年5月25日に江ノ電ビル内の江ノ電百貨店が開店しているが、高架化された江ノ電ビル内の新しい藤沢駅の使用開始は混雑回避のため6月5日までの開店セールが終了した後の6月7日となっている。

前面形態は当初、東急時代の面影を色濃く残していたが、1970年代末から腰板部に前照灯尾灯を移設し、前面、側面戸袋窓のHゴム支持化、601・602号車のみ側扉の交換[注釈 9]などが行われ、さらに601・602号車のみ前面車掌側の窓がアルミサッシ2段化されるなどの改造が繰り返された。

800形と共に全長が連接車より長く、重連対応化改造は実施されなかった。また実現はしなかったものの、主電動機供出で休車となっていた100形105・110号車を付随車化して中間に連結し、3両編成化する計画が存在した[要出典]

塗装は当初、新車であることをアピールするため[5]、標準塗装とは異なるクリーム+朱の通称「赤電」塗装であったが、その後、緑+クリームの江ノ電標準塗装となっている。理由は相模湾に近い所を走行し、また鋳鉄制輪子の鉄粉を浴びてや汚れが目立ちやすかったからといわれている[要出典]

廃車とその後[編集]

1000形の増備に伴い、本形式は早期の廃車が計画されていた。603-604編成は1981年12月20日の1000形1101編成の運転開始に伴って休車となり、603号車は極楽寺に、604号車は江ノ島に留置されていたが1983年に廃車され、残る601-602編成は1985年に運用終了記念として「赤電」塗装となったが、前面の塗り分けが導入時とは異なっていた。その後、実際に同編成が廃車されたのは1990年であり、その間に再度標準色に戻されている。これは、老朽化が著しかった800形を先に廃車させたため[要出典]である。

1990年の廃車後、601号車は同年7月6日[注釈 10]より東京都世田谷区東急世田谷線宮の坂駅脇の宮坂区民センターに静態保存された。車体は東急時代のライトグリーン1色とされた一方で、江ノ電の車両番号表記と社名表記(EER)が残されている。傍には簡単な説明書きが置かれており、昼間時は車内に入ることもできる。主要機器は取り外されている[注釈 11][注釈 12]

また、601号車と編成を組んでいた651(1988年に602号車から改番)号車は、江ノ電の車両を模した「江ノ電もなか」を販売する神奈川県藤沢市和菓子店「扇屋」に前面のみ保存されている。内部は和菓子製造の作業場となっており、運転台機器などは一切撤去、電車正面のサボ受けには「江ノ電もなか」と表記されたサボが入れられている。「扇屋」は江ノ島駅 - 腰越駅間にあり、走行中の車内からでも見ることができる[注釈 13]

車両諸元[編集]

車歴[編集]

  • 時期不明- 鎌倉駅側のパンタグラフの取り付け位置変更。
  • 1974年 - 藤沢駅の高架化に伴い、モーター出力増強。
  • 1980年 - 前面窓支持方式をHゴム化および前照灯をシールドビーム2灯化。
  • 1982年 - 601-602のみ右前面窓をアルミサッシ化。
  • 1983年 - 603-604が廃車。
  • 1988年 - 602号を651号に改番。
  • 1990年 - 601-651が廃車、形式消滅。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 1949年8月1日に江ノ島電気鉄道から社名変更、1981年9月1日に江ノ島電鉄へ社名変更
  2. ^ 1952年4月15日のダイヤ改正よりそれまでの13分間隔から現在と同じ12分間隔の運行となっている
  3. ^ 1931年新潟鐵工所製、110号車はこれにより休車となり、1979年9月19日に廃車となっている、なお106形110号車とする場合もある
  4. ^ 1922年汽車会社製の目黒蒲田電鉄デト1形デト1号車がその後東京急行電鉄デト3011号車となっていたものを1947年に譲受して一部改造の上で電動貨車2形2号車としたもの、1970年3月30日付で廃車
  5. ^ これにより、100形は極楽寺駅で列車が2両編成から4両編成へ車両交換する際のツナギの運用で使用されるのみとなったが、その後1981年12月に極楽寺駅でのホーム長が6両対応となって4両編成と2両編成が同一ホームで車両交換できるようになったことから100形の運行は終了している
  6. ^ 極楽寺 - 長谷間
  7. ^ 高架区間384m、盛土区間60mのうちで35パーミルが220m連続するため、この勾配区間における使用電力増に対応するために藤沢変電所を新設している
  8. ^ 1931年川崎車輛製、105号車はこれにより休車となり、1979年9月19日に廃車となっている、なお105形105号車とする場合もある
  9. ^ 入線当初は601号車のみ東急時代の物を改造したと推察される非Hゴム支持のプレスドアを装備していた
  10. ^ テレビ東京「風は世田谷」(1990年12月13日放送分「たまでん物語」)より。本編では江ノ島から宮の坂への陸送シーンも放送された。
  11. ^ 保存状態は今のところ良好であるが、錆なども目立っている
  12. ^ 世田谷線に在籍した玉川線時代からの在来車は全て廃車解体されているため、保存車は本車と川崎市宮前区にある電車とバスの博物館で展示されているデハ200形204号車のみである
  13. ^ 「江ノ電もなか」の箱は標準塗装の他に「赤電」がある

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 江ノ島電鉄株式会社開業80周年記念事業委員会「江ノ電の80年表」1982年
  • 江ノ島電鉄株式会社開業100周年記念誌編纂室「江ノ電の100年」2002年
  • 山岸庸次郎「江ノ電近況」、『鉄道ピクトリアル』第23巻11号臨時増刊、鉄道図書刊行会、1973年11月、 109-111頁。
  • 私鉄倶楽部「関東地方のローカル私鉄 現況12 江ノ島電鉄」、『鉄道ピクトリアル』第33巻6号臨時増刊、鉄道図書刊行会、1983年6月、 145-149頁。
  • 「箱根登山鉄道と江ノ電の本」、枻出版社、2000年ISBN 4-87099-316-3
  • 湘南倶楽部「江ノ電百年物語」、JTB、2002年ISBN 4-533-04226-X
  • 吉川文夫「江ノ電写真集」、生活情報センター、2006年ISBN 4-86126-306-9
  • 江ノ島電鉄株式会社「江ノ島電鉄会社要覧2017」2017年

外部リンク[編集]