栄花物語
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『栄花物語』(えいがものがたり)は、平安時代の歴史物語。仮名文。女性の手による編年体物語風史書。
概要[編集]
作者不詳の歴史物語。六国史の後継たるべく宇多天皇の治世から起筆し[1]、摂関権力の弱体化した堀河朝の寛治6年2月(1092年)まで、15代約200年間の時代を扱う。藤原道長の死までを記述した30巻と、その続編としての10巻に分かれる。
正編30巻を赤染衛門、続編10巻を出羽弁のほか、周防内侍など複数の女性と見る説があるが未詳である。正編は後一条天皇の万寿(1024年 - 1028年)の頃、続編は11世紀末から12世紀初頭にかけて、宮廷女性の手によって完成されたことに違いはない。「はつはな」(巻八)の敦成親王(後一条天皇)誕生記事は『紫式部日記』の引用となっているが、そのまま引用したわけではなく、改変の手が加えられている。
同時代を語る紀伝体歴史物語の『大鏡』が男性官人の観点を貫くのに対し、編年体の体裁をとる『栄花物語』は女性の手になるため、構造や行文には『源氏物語』などの女流文学の投影が色濃く見える。各巻に雅な名を冠すのも、藤原北家摂関流、中でも特に道長・頼通父子の栄華を謳歌する調べも、みなその現れである。道長についての記述に賞賛が多く見られることが特徴として挙げられるが、彼の晩年を襲った病苦や、摂関政治の裏面を生きる敗者の悲哀をも詳しく描き出している。
評価と影響[編集]
『栄花物語』は『大鏡』とは対照的に批判精神に乏しく、物語性を重要視するあまり、史実との齟齬を多く有する(敦康親王誕生記事など)。また、政事(まつりごと)よりも藤原北家の後宮制覇に重心を置くため、後編の記述は事実の羅列というしかない[2]。歴史書としても、文学作品としても、『大鏡』に引けをとる所以である(山中裕、石川徹、竹鼻績[3]の各氏が述べている)。しかし相模女子大学の待井新一によれば、「評価すべきは、女手(おんなて)といわれる仮名で物語風に歴史を書いている事で、女性にも読んでもらう史書を目指し女性による女性のための歴史物語を完成させた点、はじめて歴史と文学とを結合させ歴史を身近なものにした点では画期的な事」[要出典]として挙げられる。後の「鏡物」といわれる一連の歴史物語を産む下地となった。
写本[編集]
本文の形態によって古本系統・流布本系統・異本系統という3つの系統に分けられる。
主な伝本としては、梅沢本(九州国立博物館蔵[4]、三条西家旧蔵、古本系第一類、国宝)、陽明文庫本(古本系第二類)、西本願寺本(流布本系第一類、重要文化財)、古活字本(元和・寛永年間の版本)・明暦刊本(以上、流布本系第二類)、絵入九巻抄出本(流布本系第三類)、富岡家旧蔵本(甲・乙二種類あり、異本系、甲本は重要文化財、甲乙とも巻三十まで)などがある。
このうち三条西実隆が入手して子孫に伝えた梅沢本(40巻17帖)は、鎌倉時代中期までに書写された現存最古の完本として昭和10年(1935年)に当時の国宝保存法に基づく国宝(旧国宝、現行法の重要文化財に相当)に指定され、昭和30年(1955年)には文化財保護法に基づく国宝に指定された。大型本(10帖、巻二十まで、鎌倉時代中期の書写)と枡形本(7帖、巻四十まで、鎌倉時代初期の書写)の取り合わせ本(取り合わせとなった経緯は不明)で、大型本の書名は『榮花物語』、枡形本では『世継物語』となっている。なお三条西実隆入手の経緯は、『実隆公記』永正6年11月4日、8日の条に詳しい。「岩波文庫」「日本古典文学大系」「新編日本古典文学全集」は、この梅沢本を底本としている。
各巻の巻名と内容[編集]
全40巻を正編30巻と続編10巻と分ける二部構成となっている。正編が道長の没するまでを記し、続編でその子孫のその後を記している。
- 「月の宴」
- 「花山たづぬる中納言」
- 「さまざまのよろこび」
- 「みはてぬ夢」
- 道長が実権を握る。
- 「浦々の別れ」
- 「かかやく藤壺」
- 道長の長女彰子が一条天皇の中宮となる。
- 「鳥辺野」
- 定子・詮子が相次いで崩御。
- 「はつ花」
- 「いわかげ」
- 一条天皇の崩御。
- 「日蔭のかつら」
- 三条天皇の即位。
- 「つぼみ花」
- 禎子内親王の誕生。
- 「玉のむら菊」
- 後一条天皇の即位。
- 「ゆふしで」
- 敦明親王の皇太子辞退と道長の介入。
- 「浅緑」
- 道長の娘威子が後一条天皇の中宮となり一家から3人の后が並びたつ。
- 「うたがひ」
- 道長が54歳で出家、法成寺造営。
- 「もとの雫」
- 法成寺落慶供養。道長栄華を極める。
- 「音楽」
- 法成寺金堂供養の様子。
- 「玉の台」
- 法成寺に諸堂が建立され、参詣の尼たちが極楽浄土と称えた。
- 「御裳着」
- 三条天皇皇女禎子内親王の裳着の式(女子の成人式にあたる)。
- 「御賀」
- 道長の妻倫子の六十の賀(長寿の祝い)。
- 「後くゐの大将」
- 道長の子、内大臣教通が妻を亡くして悲嘆する。
- 「とりのまひ」
- 薬師堂の仏像開眼の様子。
- 「こまくらべの行幸」
- 関白頼通の屋敷で競馬が行われ。天皇も行幸した。
- 「わかばえ」
- 頼通は初めての男子(通房)の誕生を喜ぶ。
- 「みねの月」
- 道長の娘寛子が亡くなる。
- 「楚王の夢」
- 「ころもの玉」
- 彰子の出家。
- 「わかみづ」
- 中宮威子の出産。
- 「玉のかざり」
- 皇太后妍子の崩御。
- 「鶴の林」
- 道長が62歳で大往生。
- 「殿上の花見」
- 関白頼通の代。彰子の花見。
- 「歌あはせ」
- 倫子七十の賀。
- 「きるはわびしと嘆く女房」
- 後一条天皇の崩御と後朱雀天皇の即位。
- 「暮まつ星」
- 章子内親王が皇太子(後冷泉天皇)の妃に。
- 「蜘蛛のふるまひ」
- 頼通は、嫡子通房を流行病で亡くす。
- 「根あはせ」
- 後冷泉天皇の即位。
- 「けぶりの後」
- 法成寺焼失。後冷泉天皇崩御、後三条天皇即位。
- 「松のしづ枝」
- 白河天皇即位。
- 「布引の滝」
- 頼通、彰子姉弟が相次いで死去。師実が関白に。
- 「紫野」
脚注[編集]
- ^ 第一巻「月の宴」の書き出しは「世はじまりてのち、この国のみかど六十余代にならせ給ひにけれど、この次第書きつくすべきにあらず。こちよりてのことをぞ記すべき。世の中に宇多のみかどと申すおはしましけり。」
- ^ 「文章はたおやかで、あはれを旨とし、『六国史』につぐ歴史的実録を標榜しながらも、その実、冠婚葬祭を主写し、単調平板に流れ、藤氏執政をただ限りなくめでたく描出しているにすぎないのである。」(増淵勝一『大鏡著作の文学史的意義』)
- ^ 「『栄花物語』では、文学的な興趣によって感覚的に歴史を把握しており、個々の歴史事象の背後に潜む歴史の真実を描くよりも、事件をめぐって生起する人々の心情や人の世の哀感を、事実を主観的に潤色したり、虚構を用いたり、さらには、『源氏物語』の文章を模倣するなどして描いていて、作り物語的性格が濃厚であり、冷徹な目で人間を直視し、その内面へ踏み込んで描く態度が希薄である。しかし、歴史物語の嚆矢として、新しい領域を開拓した意義は大きい。」(『日本大百科全書』「栄花物語」の項)
- ^ 文化庁サイトの「国指定文化財等データベース」及び「文化遺産オンライン」では保管先が「東京国立博物館」となっているが、九州国立博物館の開館後は同館に移管されている。参照:「収蔵品ギャラリー」(九州国立博物館サイト)
- ^ 最終巻「紫野」は「祭の儀式、有様、世の常ならずめでたくてまゐらせたまふ。積れる人、大殿のかくておはしまししに、御孫にてかくおはしますを、枝々栄え出でさせたまふを、春日の神も心ゆかせたまひてや、めでたく見たてまつらせたまひけんと、心の中に思ひ余りけるを、同じ心に賤の男までめで思ひ申しけり。またの日帰らせたまふ。御供の人々みな、今日ばかり装束うち乱れ、今すこし思ひやり深く、世にまた三笠の山のかかるたぐひなく、めでたう思ひ余りて、車ひきとどめつつ、道すがら見る人の、『行く末もいとど栄えぞまさるべき春日の山の松の梢は』など、古めかしき人の思ひける。」で締めくくる。
関連項目[編集]
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