星製薬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
星製薬株式会社
Hoshi Pharmaceutical Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
141-0031
東京都品川区西五反田7丁目22番17号 TOCビル2階
設立 1982年3月
(大谷製薬株式会社として)
業種 医薬品
法人番号 5010701009029
事業内容 医薬品、動物用医薬品、医薬部外品化粧品、各種薬品類および健康食品の開発、製造・販売
代表者 代表取締役社長 大谷卓男
資本金 7,500万円
主要株主 株式会社テーオーシー 100%
関係する人物 星一(創業者)
星新一(元社長)
大谷米太郎(元社長)
大谷和彦名誉会長
外部リンク http://www.hoshi-ph.com
テンプレートを表示

星製薬株式会社(ほしせいやく)は、東京都品川区西五反田に本社を置く、医薬品化粧品動物用医薬品の製造販売を行う企業である。株式会社テーオーシー子会社

概要[編集]

1910年に、SF作家星新一の実父である星一が創業し、1911年に星製薬株式会社(旧法人)が設立された。しかし、戦後になり、経営不振に陥り、後を引き継いだ星新一は、ホテルニューオータニを創業した大谷家へ譲渡を余儀なくされる。

現在の法人は、旧法人の星製薬株式会社(現・株式会社テーオーシー)から、1982年に販売部門を、2003年に製造部門を、それぞれ移管された子会社の星製薬株式会社(2代目)である。

沿革[編集]

  • 1910年(明治43年) - 星一、「星製薬所」創業。
  • 1911年(明治44年)11月4日 - 星製薬株式会社設立(資本金50万円)[1][2]イヒチオール(湿布薬)の製造販売開始、「ホシ胃腸薬」等の家庭薬・「キニーネ」・「モルヒネ」等の製造販売を開始、東京都品川区大崎に本社工場を設立。
  • 1913年(大正2年)11月 - 大正製薬を合併100万円に増資[1]
  • 1917年(大正6年)11月 - 京橋製薬を合併200万円に増資[1]
  • 1918年(大正7年)10月 - 日本橋製薬を合併500万円に増資[1]
  • 1919年(大正8年) 9月 - 大崎製薬を合併1000万円に増資[1]
  • 1921年(大正10年) - 国際製薬を合併2000万円に増資[1]
  • 1922年(大正11年) - 社内の「教育部」から「星薬業講習会」を経て星薬科大学の前身である「星製薬商業学校」設立。
  • 1926年(大正15年) 11月 - 太平洋製薬に合併し(旧)星製薬は解散。同時に太平洋製薬は(新)星製薬(資本金1300万)に社名変更と500万円増資[3]。後に増資中止[4]
  • 1932年(昭和7年)4月 - 破産宣告[5]
  • 1933年(昭和8年)9月 - 強制和議認可[6]
  • 1934年(昭和9年)4月 - 低温工業を合併資本金1675万円[4]
  • 1949年(昭和24年) - 東京証券取引所上場
  • 1951年(昭和26年) - 星一が死去、星親一(星新一の本名)が社長に就任。
  • 1952年(昭和27年) - 経営状況の改善はさらに困難となり、当時、企業再建で著名であった大谷米太郎が経営を引継ぎ、社長に就任。
    • 会社を譲った新一はSF作家へと転身し、日本のSF界のパイオニア的存在となる。
  • 1963年(昭和38年) - 株式売買高僅少のため東証上場廃止。
  • 1967年(昭和42年) - 本社工場を神奈川県厚木市に移転。
  • 1982年(昭和57年) - 不動産事業の子会社「株式会社東京卸売りセンター」を吸収合併し、「株式会社テーオーシー」に商号変更。製造部門はテーオーシーに残り、販売部門は新設完全子会社の「星製薬株式会社」(現法人、設立時は大谷製薬株式会社)に移管。
  • 2003年(平成15年)10月 - 製造部門を株式会社テーオーシーから、「星製薬株式会社」(現法人)に承継。

星製薬の商品[編集]

  • ホシ胃腸薬
  • ホシ胃腸薬ホリン(顆粒)
  • ホシ隈笹エキス
  • ホシ隈笹エキス(顆粒)
  • ストレスト・メニ - ADプラス
  • ストレスト・ノーニ - AD
  • ストレスト・メニ - Eプラス
  • ティファロ・オリーブアロマバスオイル
  • ティファロクリーム
  • 新ホシ家畜胃腸薬

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f 『株式年鑑. 昭和2年度』
  2. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第20回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『社債の実際知識』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ a b 『株式投資年鑑. 昭和12年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「破産宣告」『官報』1932年4月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「強制和議認可」『官報』1933年9月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献[編集]

  • 星新一 『人民は弱し 官吏は強し』ISBN 4101098166
    星製薬創業・発展期における星一の苦闘を描いた作品。星一は、同じ東北地方出身であったことから、後藤新平の知遇及び強い庇護を受けており、そのことを嫌った政界内の反後藤陣営(主に憲政会系の勢力)や彼らと結びつきが強い内務省(直接には製薬業界を所管する同省衛生局)の官僚らから企業活動への妨害をしばしば受けたとしている。
    さらに後者に関して星新一は、内務省は東京帝国大学出身者が強力な学閥を形成しており、後藤も星もその学閥に属していなかったことも一因と説明している(なお、皮肉にも星新一自身は東京大学出身であり、また、高級官僚採用試験である高等文官試験にも合格している)。
    しかしこの問題については、台湾出身の歴史学者劉明修によって、後藤が台湾総督府の阿片専売収入増加を図るために、阿片吸食者に売る阿片煙膏のモルヒネ含有量を極秘裡に減らして、より高い阿片煙膏を売り付けることを行い、その秘密を守り通すため、総督府専売局が、後藤と癒着した星製薬(星一は後藤の盟友である杉山茂丸の書生出身)以外の製薬業者による粗製モルヒネの分割払い下げ運動を強硬に拒んだことから、星製薬をめぐる疑獄事件である台湾阿片事件が発生したことが明らかにされている(劉明修『台湾統治と阿片問題』ISBN 978-4-6342-8030-4 山川出版社、1983年、81-116頁、189-190頁、194-195頁)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]