石井茂吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

石井 茂吉(いしい もきち、1887年(明治20年)7月21日 - 1963年(昭和38年)4月5日)は、写真植字機の共同発明者。写研の設立者で、石井翁とも呼ばれた。東京都北区堀船町出身。

経歴[編集]

東京帝国大学機械工学科卒業。神戸製鋼で働いていたが、1924年星製薬に入社。そこで印刷部主任をしていた森澤信夫(のちにモリサワを創業)と出会い、ともに写真植字機の実現を目指すことを誓う。石井の実家は米穀商であったため、その資金力を背景に1926年、石井写真植字機研究所を設立。森澤とは後に方針の違いから決別するが、この研究所が後に写研となり、日本の印刷・出版業界をリードする企業に育っていく。

石井は自分自身で書体のデザインも手がけ、むしろその方面での評価が高い。彼の手になる石井明朝体石井ゴシック体など数々の石井書体をはじめとして、写研の書体フォント)の質の高さは彼以来の伝統であり、DTPの怒濤の普及の中で、高価な写研の独自仕様のシステムが戦っていられるのは、組版品質の高さ以上に、外部に開放しなかったその高品位の書体のゆえであるという。

現在、市販されている漫画は大抵、吹き出し部分の台詞が、漢字はゴシック体、平仮名・片仮名はアンチック体(antique=アンティークの意)で組まれている。多くの場合において、このゴシック体が石井ゴシックである。

1951年大修館書店の鈴木一平より『大漢和辞典』(諸橋轍次 編)を刊行するために使用する文字(写植原字)の製作を依頼された。この大著を印刷するための版が、空襲で失われてしまっていたためである。彼は病気を理由に断るが、最終的に承諾。独力で47500字におよぶ写植原字を3年がかりで書き上げた。文化的にも大きな足跡を残した。この業績に対して1960年菊池寛賞を贈られている。

他に、東日・大毎印刷賞1939年)、藍綬褒章1952年)、科学技術庁長官賞1961年)、紺綬褒章1962年)など多くの受賞・受章を受けている。

石井賞[編集]

のちに写研では彼の名を冠して石井賞創作タイプフェイスコンテストを設け、優秀な書体を写植文字盤として発売することとした。第1回は1969年に募集を開始し(締切は1970年1月末日)、1970年4月にコンテンスト結果が発表された。この賞からはナールスーシャなどの書体が生まれ、受賞者たちはそれぞれ、その後の日本のタイプフェイスデザインを引っ張っていく存在として成長していった。1998年の第15回をもって当コンテストは終了している。

石井賞創作タイプフェイスコンテスト
年度 石井賞受賞者 書体名 備考
1 1970年 中村征宏 ナール
2 1972年 鈴木勉 スーボ
3 1974年 鈴木勉 スーシャL・B
4 1976年 興口隆夫 未商品化
5 1978年 波多野煌二 未商品化
6 1980年 鴨野実 カソゴL
7 1982年 今田欣一 ボカッシィG
8 1984年 橘高はじめ キッラミンL
9 1986年 佐藤豊 未商品化
10 1988年 今田欣一 いまりゅうD
11 1990年 長谷川真策 ハセフリーミンB・E・H
12 1992年
13 1994年
14 1996年 重野憲一
15 1998年