コンテンツにスキップ

山西町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 愛媛県 > 松山市 > 山西町
山西町
町丁
新田高等学校
(2016年9月18日)
日本の旗 日本
都道府県 愛媛県の旗 愛媛県
市町村 松山市
地区 味生地区
人口情報2024年1月1日現在[1]
 人口 3,673 人
 世帯数 1,872 世帯
設置日 1889年(明治22年)
12月15日
郵便番号 791-8026
市外局番 089
ナンバープレート 愛媛
町字ID[2] 0345000
運輸局住所コード[3] 38500-0866
ウィキポータル 日本の町・字
愛媛県の旗 ウィキポータル 愛媛県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
テンプレートを表示

山西町(やまにしちょう)は、愛媛県松山市町丁郵便番号は791-8026[4]住民基本台帳に基づく人口は3,673人、世帯数は1,872世帯(2024年1月1日現在)[1]丁目の設定のない単独町名である。住居表示は全域で未実施。

歴史

[編集]

山西村

[編集]

松山藩領。古代は味酒郷に属したと推定される[5]

本郡朝美村の人民が此の地に移住して此の地を開拓した[6][7]。此の朝美村の西に朝日山唐山等があり、其の山の西部にあるため山西村と称した[6][7]

嘉永4年から安政5年に庄屋の一色義十郎が村の西方の海辺の干潟地を埋立、大可賀新田50町歩を開発した[5]。「松山領里正鑑」では里正は一色熊太郎である[5]

村高は「慶安郷村数帳」では838石余、うち田757石余畑80石余[5]。「元禄村浦記」838石余「天保郷帳」「旧高旧領」ともに861石余[5]

1873年(明治6年)、愛媛県に所属する[5]1889年(明治22年)、味生村の大字となる[5]

出身人物

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 令和6年町丁別住民基本台帳登録人口”. 松山市. 2024年1月24日閲覧。
  2. ^ 愛媛県 松山市 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2023年1月25日). 2024年1月24日閲覧。
  3. ^ 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2024年1月7日閲覧。
  4. ^ 愛媛県 松山市 山西町の郵便番号”. 日本郵便. 2024年1月24日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 『角川日本地名大辞典 38 愛媛県』662-663頁。
  6. ^ a b 『新編温泉郡誌 大典紀念』479-492頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月3日閲覧。
  7. ^ a b 『温泉郡誌』 224-236頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月3日閲覧。
  8. ^ a b 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』7、10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月1日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 愛媛教育協会温泉部会編『温泉郡誌』向陽社、1909年。
  • 椿南松田卯太郎編『新編温泉郡誌 大典紀念』松山石版印刷所、1916年。
  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 38 愛媛県』角川書店、1981年。

関連項目

[編集]