宇野茂彦
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人物情報 | |
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生誕 |
1944年5月20日 日本東京都 |
出身校 | 東京大学 |
学問 | |
研究分野 | 中国哲学 |
研究機関 | 中央大学 |
宇野 茂彦(うの しげひこ、1944年〈昭和19年〉5月20日 - )は、日本の中国学者・中国哲学研究者。中央大学名誉教授。斯文会理事長[1]。宮内庁書陵部委員[2]。
経歴
[編集]1944年5月20日、東京都にて宇野精一の長男として生まれる。1969年東京大学文学部Ⅰ類中国哲学専修卒業、74年同大学院人文科学研究科博士課程満期退学。愛知教育大学、青山学院大学を経て、1984年名古屋大学文学部(中国哲学研究室)助教授、1989年教授。1994年中央大学文学部(哲学専修)教授、2005-09年文学部長、2005年4-10月中央大学杉並高等学校校長。2015年3月定年退職[3][4]。
受賞・栄典
[編集]研究内容・業績
[編集]令和改元
[編集]2019年4月の令和改元における最終候補6案の考案者の一人であり、国書由来では古事記から「英弘」、日本書紀と続日本紀から「広至」、漢籍由来では易経から「久化」、詩経から「万保」の4案を提出した[7][8][9]。
家族・親族
[編集]著書
[編集]書籍
[編集]論文
[編集]- 1971年6月 『呂氏春秋に於ける儒墨折衷の様相』 東京支那学報16号
- 1974年10月『魏の客士登用と孟軻』 中哲文学会報1号
- 1980年7月 『直躬説話の成立展開とその背景』 東方学60輯
- 1984年1月 『黃榦の道統論と聖賢の祀』 青山学院文学部紀要25巻
- 1985年3月 『子貢像の變遷』 名古屋大学文学部研究論集哲学31
- 1989年3月 『淮南子の総合とその整合管見』 名古屋大学文学部研究論集哲学35
- 1990年10月 『上代における心概念の展開』 山下龍二教授退官記念中国学論集
- 1998年10月 『上代「道」概念の擴大について』 日本中国学会五十周年記念論集
- 1999年3月 『曾子の人物像について』 中央大学文学部紀要178号
- 2000年3月 『呂覧の稱謂の由來』 村山吉廣教授古希記念中國學論集
- 2010年5月 『四科十哲説』 新しい漢字漢文教育50号
- 2015年3月 「諸子百家思想史素描」『文学部紀要 哲学』第57号、中央大学文学部、13-35頁、CRID 1570572702828637056、ISSN 0529-6803、NAID 120006639197。
その他
[編集]- 辞書の編集と事典の項目執筆
関連文献
[編集]- 「宇野茂彥教授 略年譜」『中央大学文学部紀要』257 2015年 3-12頁.
- 宇野精一・石川忠久『書香の家 宇野精一博士米寿記念対談集』 明治書院、1997年。ISBN 978-4625440229(286-289頁で言及)
- 毎日新聞「代替わり」取材班『令和 改元の舞台裏』毎日新聞出版、2019年。ISBN 978-4620325910。(著者の「~取材班」は野口武則の別名義[11])
- 野口武則『元号戦記 近代日本、改元の深層』角川新書、2020年。ISBN 978-4040823782。
脚注
[編集]- ^ 田口暢穗「国史跡湯島聖堂と斯文会の現状」『日本中国学会便り』2021年第1号、日本中国学会、2021年、14頁。
- ^ “代替わりへ 改元の舞台裏/6 元号準備に宇野家人脈 漢学者3代、皇室と縁深く”. 毎日新聞. (2019年4月11日)
- ^ 中央大学 2015年「宇野先生最終講義」(略歴・業績)
- ^ 岸田知子 (2015). “宇野茂彦教授を送る”. 中央大学文学部紀要257号.
- ^ 『官報』号外第93号、令和5年5月1日
- ^ “令和5年春の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 3 (2023年4月29日). 2023年5月2日閲覧。
- ^ “新元号4案は宇野氏 最終6案、考案者全容が判明”. 毎日新聞. (2019年8月6日)
- ^ “平成から令和へ 退位改元3 漢籍落選、元号1300年の転機(元号準備、中心に「宇野家」)”. 朝日新聞. (2019年4月4日)
- ^ 中央大学HP
- ^ 「平成二十六年度 先儒祭墓前講話 祖父 宇野哲人」『斯文』126,2015年,31-38頁で祖父を語っている。
- ^ 毎日新聞「代替わり」取材班 2019, p. 188f.