太田大八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

太田 大八(おおた だいはち 1918年12月29日 - 2016年8月2日[1])は、日本絵本作家画家

来歴・人物[編集]

長崎県出身。戦時中に(旧制)多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)図案科を卒業。1945年8月、徴用で勤務していた会社の出張で広島県大竹市に赴き8月5日に広島市に入ったものの、間一髪で原爆被爆を免れ、被爆翌日の惨状を目撃した[2]

戦後、大阪市で復興のための建築パネルを建てたことをきっかけに美術界に戻り、デザインの仕事をするために東京に帰って「スタヂオ・トーキョー」を設立した。さらに偶然再会した同級生の依頼で詩のイラストを描いたことがきっかけで、絵本作家となる[3]1949年のデビュー以来、130作の創作絵本、230作の児童書の挿絵を手掛けている。90歳を超えてからも、活躍を見せていた。

また、「子どもの本・九条の会」代表団員を務めていた[4]

受賞歴[編集]

主な作品[編集]

  • 『かさ』文研出版 1975
  • 『ながさきくんち』童心社 1980
  • 『ともだち』講談社 1985
  • 『だいちゃんとうみ』福音館書店 1992 など多数。

主な挿絵[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “絵本作家の太田大八さんが死去”. スポーツニッポン. (2016年8月8日). http://www.sponichi.co.jp/society/news/2016/08/08/kiji/K20160808013123390.html 2016年8月8日閲覧。 
  2. ^ 絵本学会第7回大会 - 作家に聞く」参照。なお、『わたしの8月15日』(あかね書房1975年)に当時の体験記を寄せている。
  3. ^ 同上。
  4. ^ 子どもの本・九条の会