大阪府立阿倍野高等学校
| 大阪府立阿倍野高等学校 | |
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2007年7月撮影 | |
北緯34度38分8.7秒 東経135度30分53.2秒 / 北緯34.635750度 東経135.514778度 | |
| 過去の名称 |
大阪府立第十一高等女學校 大阪府立阿部野高等女學校 大阪府立阿部野高等学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 |
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| 学区 | 大阪府内全域 |
| 併合学校 | 燈影女学院高等学校 |
| 校訓 | 自律・敬愛・共創 |
| 設立年月日 | 1922年4月 |
| 創立記念日 | 11月11日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制の課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学期 | 3学期制 |
| 学校コード | D127210000149 |
| 高校コード | 27157J |
| 所在地 |
〒545-0021 大阪府大阪市阿倍野区阪南町一丁目30番34号 |
| 外部リンク | 公式ウェブサイト |
大阪府立阿倍野高等学校(おおさかふりつ あべのこうとうがっこう、英: Osaka Prefectural Abeno High School)は、大阪府大阪市阿倍野区阪南町一丁目にある公立の全日制普通科高等学校。略称および通称は
概要
中等教育機関の入学難を緩和させるため、大阪府が大正中期に新設した高等女学校3校の一つ、大阪府立第十一高等女学校を前身校とする。校地は大阪市阿倍野区の中央部付近に位置する。
2013年度から朝の10分間モジュール学習を実施している[1][2]。英語を中心に書き取りドリル学習を行い、5日間実施で1単位として認定する[1][2]。
有料ではあるが、大手進学塾と提携し、放課後に英数国の「阿倍高塾」を週数回開講している。
スクール・ミッション
校訓「自律・敬愛・共創」のもと、今後の人生を豊かに生きるため、自ら考え行動する力を養い、周囲の人々と協働する力を身につけた、社会で活躍できる人物を育成する[3]。
めざす学校像
伝統ある普通科高校として、次の学校を目ざす。
- 学力の定着と希望に応じた進路実現をサポートする学校
- 「自律・敬愛・共創」を育てる学校
- 地域に信頼され、誇りとされる学校
- 育てる力
校訓
校訓は「自律・敬愛・共創」である[3]。
「自律」…自分の立てた規律やマナー意識に従って正しく行動できる人の育成。
「敬愛」…自分や他者を大切にし、相手を敬い親しみの心を持ち、協力や共働しあえる人の育成。
「共創」…自ら学ぶ意欲を持ち、多様な立場の人たちと対話しながら、新しい価値を「共」に「創」り上げていける人の育成。
スクール・ポリシー
グラデュエーション・ポリシー
確かな知識・技能を習得するとともに、これらを課題解決に活用することのできる思考力・判断力・表現力等を育む。
そして、自ら課題を発見し解決することのできる「主体的な行動力」を備えた、社会で活躍できる人材を育成する。
また、地域の発展を支え、郷土の文化と伝統を担う、豊かな人間性、社会性を備えた他者を思いやることのできる人を育てる[5]。
カリキュラム・ポリシー
生徒一人ひとりの学習や進路等の目標の実現に応えることができるよう、授業において個に応じた学習活動に取り組む機会を大切にする。
また、「総合的な探究の時間」を軸とし、年間を通じて各教科等を横断した探究的な学びを深め、情報活用能力や課題発見・解決能力を育成する授業を行う。
その他にも、生徒会活動や学校行事等を充実させるなど、生徒の主体的な活動を支援し、協調性・責任感・連帯感の涵養を図る[5]。
アドミッション・ポリシー
本校では、規律と自主性を重んじるとともに、思いやりの心や人権尊重の精神など、豊かな人間性を育む教育を実践している。将来の目標がまだ定まっていなくても、普通教科を幅広く学習するなかで、主体的に向上心を持って自らの可能性を追求し、個性を伸ばして自己実現を図ろうとする生徒を歓迎する。
沿革
略歴
阿部野高等女学校
1922年3月に大阪府公報第925号によって設立が認可され、同年4月に大阪府立第十一高等女学校として開校した[6][7]。当初は西区泉尾町(現在の大正区泉尾3丁目)の大阪府立泉尾高等女学校を仮校舎とした[6]。
1922年中に校地の買収と建設工事がおこなわれ、1923年4月に東成郡天王寺村大字天王寺字東中道(現在の阿倍野区阪南町1丁目。現在地)に移転した。現在地への移転と同時に大阪府立阿部野高等女学校へと改称している[6]。
昭和時代初期には太平洋戦争の戦局悪化により、1944年から1945年にかけて大阪府阿部野臨時国民学校教員養成所を併設し、召集などで不足した国民学校教員の養成もおこなっていた。また1944年以降、3年生以上の生徒は勤労動員の対象となり、近隣の藤永田造船所や早川電機などへの動員がおこなわれた。
阿倍野高等学校
学制改革により1947年に新制中学校制度が発足したことに伴い、阿倍野高等女学校では高等女学校としての生徒募集を停止した上で、新制の併設中学校を設置し、2・3年生を併設中学校へ移行させた。
翌1948年には新制高等学校制度の発足により、大阪府立阿部野高等学校となった[6]。この際、大阪府立住吉高等学校[注釈 1]と高校1年・併設中学校3年の生徒および教職員を交流して男女共学になっている。生徒交流の際、住吉・阿部野の両校とも、それぞれ元の学校に残りたいと希望する生徒が多数を占めたため、最終的には生徒の住所で両校に振り分ける形になった。
新制高等学校として出発した直後の1948年5月には、義務教育優先としたGHQの方針により、校舎を新制阿倍野第二中学校(1949年大阪市立文の里中学校と改称)および新制阿倍野第四中学校(1949年大阪市立松虫中学校と改称)の2校に転用することになった。このため校舎を使えなくなった阿部野高校は、住吉高校内に移転する形で2校同居することになった。
阿部野・住吉の2校同居当時両校の校長を同一人物が兼任していたことや、新制中学校の独立校舎建設が進まなかったことで、阿部野・住吉の両校合併や阿部野高校廃校も噂された。しかし1950年に松虫中学校が独立校舎を建てて退去したことに伴い校舎を一部復帰し、1年生が阿部野高校の校舎で学んだ。1950年時点では文の里中学校が引き続き校舎を使用していたので同中学校と同居する形になっていたが、1951年に文の里中学校が独立校舎を建てて退去したことに伴い校舎を全面復帰し、住吉高校から完全に引き上げた。
また1950年12月には、隣接地にあった私立燈影女学院高等学校を大阪府が買収し、阿部野高校の校地に組み入れる形で校地拡張をおこなっている[6]。燈影女学院高等学校の生徒は、転入試験の受験・合格を条件に阿部野高校への転入学が認められた。
新制高等学校発足当時、1948年の大阪府条例により校名は「阿部野」となっていた。1954年に条例改正がおこなわれ、現在の「阿倍野」の表記へと変更されている。
年表

- 1922年4月(大正11年) - 大阪府立第十一高等女学校として、大阪府立泉尾高等女学校内で開校。
- 1923年4月 - 大阪府立阿部野高等女学校と改称、現在地に移転。
- 1924年11月- 校舎落成式開校式を挙行し、11月3日を開校記念日と設定。
- 1948年4月(昭和23年) - 学制改革により、大阪府立住吉中学校(現・大阪府立住吉高等学校)と生徒・教職員を交流して、男女共学の大阪府立阿部野高等学校となる。校章制定。
- 1948年5月 - 校舎の新制中学校への転用により、住吉高等学校内に移転して2校同居。
- 1950年 - 現在地に一部復帰。校歌制定。
- 1951年 - 現在地に完全復帰。制服・校旗制定。
- 1954年7月 - 大阪府立阿倍野高等学校と改称。
- 1958年11月 - 創立記念日を11月11日に改定。
- 1960年 - 硬式野球部が大阪府代表として春のセンバツ高校野球(第32回選抜高等学校野球大会)に初出場。
- 2001年(平成13年)9月 - 学校情報ネットワーク開始。
- 2003年1月 - NPO法人「学びネット阿倍野」設立承認。
- 2010年 - 大阪府教育委員会から「志学」研究校に指定[1]。
- 2012年 - 「難関私立大学への現役進学者数及び伸び」の実績を評価され、大阪府教育委員会より「がんばった学校支援事業」の対象校に選定[1][9][10]。
- 2013年 - 「新モジュール型授業」と「志学活性事業」に向けた「モジュメディアステーション」事業を計画し、大阪府教育委員会から「学校経営推進費」支援校に指定される[11][12]。
基礎データ
所在地
通学区域
- 大阪府内全域
アクセス
鉄道
バス
- 大阪シティバス(62・63・64・67号系統)「松虫」停留所より東へ約500m(徒歩約6分)
軌道
象徴
校章
阿部野神社の紋章であり、学識の高かった北畠親房に因んで「学問」「叡智」という意味が込められた「笹りんどう」をモチーフにしていた「阿部野高等女学校」時代の校章の外縁に、阿倍高のシンボルで「熱意」を表す「聖火(炬火)」を配したものである。
校歌
現行の校歌は詩人の安西冬衛が作詞した。新制高等学校制度の発足直後、高等女学校時代の校歌に代わる新時代の校歌を制定しようと、生徒会の意見も採り入れながら職員会議で議論した。職員会議では当時国語科教諭として当校に在籍していた詩人・伊東静雄に依頼しようという方向でまとまった。しかし伊東は病気療養中だったために「病人が新たな時代の校歌を作るわけにはいかない」として固辞し、知人の安西冬衛を紹介した。その縁で安西が作詞することになった。
設置する課程、学科及び定員
2023年(令和5年)度までの募集人員は280名(7学級)であったが、2024年度より40名(1学級)増員での生徒募集となる。
入学者選抜
「一般入学者選抜(全日制の課程)」が実施され、また、合格者数が募集人員に満たない場合は「二次入学者選抜」が実施される。入学者は、学力検査の成績に調査書の評定を加えた総合点により選抜された者が、校長により決定される。
総合点を算出するにあたって、「学力検査問題の種類並びに学力検査の成績及び調査書の評定にかける倍率のタイプ」はⅠであり、学力検査の満点は630点、 調査書の満点は270点とし、総合点の満点は900点となる。
また、学力検査における問題の種類については、国語、英語、ならびに数学は「標準的問題(B)」が選択されており、英語のリスニングテストの配点は約20%(5分の1)とされる。
部活動
運動部は16、文化部は14あり、クラブ数は30である。
運動部
1960年には硬式野球部が大阪府代表として、第32回選抜高等学校野球大会に出場している。
文化部
高校関係者と組織
高校関係者組織
- 大阪府立阿倍野高等学校学校運営協議会 - 保護者、地域住民、校長、関係行政機関の職員の中から委嘱された委員による機関。学校運営及び当該運営への必要な支援に関して協議する。
- 大阪府立阿倍野高等学校PTA - 生徒保護者と教員による父母と教師の会(PTA)組織で、会員は入会金及び年会費を納入する。
- 大阪府立高等学校PTA協議会 - 大阪府教育庁に近接する大阪市中央区糸屋町に事務局を置くPTA協議会。大阪府立阿倍野高等学校PTAの会員をもって会員とし、会員は単位PTA分担金として会費を納入する。
- 大阪府立阿倍野高等学校同窓会芝蘭会 - 前身学校を含む卒業生による同窓会組織。事務局を校地内に所在する同窓会館「芝蘭会館」に置く。
高校関係者一覧
著名な出身者
- 政治(立法)
- 経済・実業
- マスメディア
- 舞台芸術・芸能
著名な教職員
著名な高校修学者
対外関係
海外姉妹校
ザ・ポンズ・ハイ・スクール- 2025年12月、姉妹校提携締結。オーストラリアニューサウスウェールズ州シティ・オブ・ブラックタウンにある私立高校。2026年度より姉妹校交流を実施する予定。
脚注
注釈
出典
- 1 2 3 4 “「特色ある学校づくり 大阪府立阿倍野高等学校」、『府教委ニュース 第140号』 p.8”. 大阪府教育委員会 (2013年11月29日). 2015年1月26日閲覧。
- 1 2 “ごあいさつ”. 大阪府立阿倍野高等学校. 2015年1月26日閲覧。
- 1 2 “府立高等学校スクール・ミッション一覧” (PDF). 大阪府ホームページ. 大阪府. p. 1. 2025年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年12月26日閲覧。
- ↑ “令和7年度学校経営計画”. 大阪府立阿倍野高等学校. 大阪府立阿倍野高等学校. 2025年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年12月26日閲覧。
- 1 2 3 “府立高等学校スクール・ポリシー一覧〈大阪市エリア〉” (PDF). 大阪府ホームページ. 大阪府. p. 1. 2025年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年12月26日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “沿革”. 大阪府立阿倍野高等学校. 2021年4月24日閲覧。
- ↑ “阿倍野高校について”. 大阪府立阿倍野高等学校同窓会「芝蘭会」. 2021年4月24日閲覧。
- ↑ 井上晃『セーラー服の社会史 大阪府立清水谷高等女学校を中心に』青弓社、2020年8月27日、67頁。ISBN 4787220888。
- ↑ “「『がんばった学校支援事業』の対象校が決定しました」、『府教委ニュース 第127号』 p.2”. 大阪府教育委員会 (2012年11月1日). 2015年1月26日閲覧。
- ↑ “平成24年度「がんばった学校支援事業」について”. 大阪府教育委員会. 2015年1月26日閲覧。
- ↑ “平成25年度 学校経営推進費支援校 事業計画書”. 大阪府教育委員会. 2015年1月26日閲覧。
- ↑ “学校経営推進費 事業計画書”. 大阪府立阿倍野高等学校. 2015年1月26日閲覧。
参考文献
- 大阪府立阿倍野高等学校同窓会『芝蘭 -五十年のあゆみ-』1977年。
