大石ヨシエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
大石ヨシエ

大石 ヨシエ(おおいし ヨシエ、1897年(明治30年)2月12日[1]1971年(昭和46年)6月7日[1][2])は、政治家、衆議院議員(5期)。

来歴[編集]

京都府出身[1][2]。1915年、信愛高等女学校卒[1][2]。卒業後故郷の舞鶴市で参政権獲得など婦人運動に加わる[1]。のち国民同志会に入り、1931年から2年間渡米する[1]。帰国後満州国へ渡り、新聞社の顧問などをしたが、間もなく日本に戻った[1]1946年第22回衆議院議員総選挙では京都府から無所属で立候補し当選した[1][2]。当選後は日本社会党に入り、社会革新党を経て社会党右派で活動した[1]1955年第27回衆議院議員総選挙で落選[3]。落選後は埼玉県深谷市に移り、晩年は愛知県西春日井郡師勝町(現・北名古屋市)の親類宅に引き取られ、1971年に死去した[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 『新しき明日の来るを信ず』250-253頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』121-122頁。
  3. ^ 『新しき明日の来るを信ず』249頁。
  4. ^ 『新しき明日の来るを信ず』248-249頁。

参考文献[編集]