大町 (鎌倉市)
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大町 | |
---|---|
北緯35度18分53.58秒 東経139度33分12.1秒 / 北緯35.3148833度 東経139.553361度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川県 |
市町村 | 鎌倉市 |
地域 | 鎌倉地域 |
面積 | |
• 合計 | 1.44 km2 |
人口 | |
• 合計 | 5,335人 |
• 密度 | 3,700人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
248-0007[3] |
市外局番 | 0467 (藤沢MA)[4] |
ナンバープレート | 横浜 |
大町(おおまち)は神奈川県鎌倉市鎌倉地域にある大字。現行行政地名は大町一丁目から大町七丁目。住居表示は一丁目〜六丁目は実施済み区域、七丁目は未実施区域[5]。郵便番号は248-0007[3]。
地理・歴史
小町大路の滑川にかかる夷堂橋以北を小町とし、以南を大町と呼称した。街の規模が小町に比べて大きかったので、大町と称したという。かつては現在の材木座、由比ヶ浜に至る一帯を指していた。
古代の東海道は鎌倉市中を通過しており、鎌倉時代には大町大路の若宮大路以西の部分が重複していたと考えられる。大町大路と小町大路の交差する地点一帯が、町屋(商店)が並ぶ商業地域であった。
吾妻鏡によると、承久2年(1220年)2月16日に火災が発生し浜辺まで類焼、また小町大路を北上し北条泰時邸の前まで延焼した。鎌倉幕府は建長3年(1251年)、文永2年(1265年)に町屋を大町、小町など7箇所に限定している。
旧高旧領取調帳によると、幕末の大町村は鶴岡八幡宮、八雲神社、妙本寺、別願寺、安養院、長勝寺、本興寺の所領になっており、総額四五六貫一五〇文となっている。
昭和14年(1939年)に鎌倉市の大字となり、昭和41年(1966年)に住居表示に伴い大町一丁目-七丁目となった。
世帯数と人口
2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大町一丁目 | 443世帯 | 907人 |
大町二丁目 | 542世帯 | 1,193人 |
大町三丁目 | 379世帯 | 838人 |
大町四丁目 | 381世帯 | 976人 |
大町五丁目 | 291世帯 | 688人 |
大町六丁目 | 187世帯 | 519人 |
大町七丁目 | 81世帯 | 214人 |
計 | 2,304世帯 | 5,335人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6][7]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
大町一丁目 | 全域 | 鎌倉市立御成小学校 | 鎌倉市立御成中学校 |
大町二丁目 | 全域 | 鎌倉市立第一小学校 | 鎌倉市立第一中学校 |
大町三丁目 | 全域 | ||
大町四丁目 | 全域 | ||
大町五丁目 | 全域 | ||
大町六丁目 | 全域 | ||
大町七丁目 | 全域 |
寺社・旧跡
著名な住民
関連項目
参考文献
- 奥富敬之 『鎌倉史跡事典』 新人物往来社 1999
- 三浦勝男編 『鎌倉の地名由来辞典』 東京堂出版 2005
脚注
- ^ “平成28年(2016年)版鎌倉の統計”. 鎌倉市. 2018年2月22日閲覧。
- ^ a b “鎌倉の人口と世帯数(地域・町丁・字別)”. 鎌倉市 (2018年1月26日). 2018年2月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月22日閲覧。
- ^ “鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況”. 鎌倉市 (2017年2月7日). 2018年2月22日閲覧。
- ^ “鎌倉市の市立小学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
- ^ “鎌倉市の市立中学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。